困り大臣

1-5.蒼愁大館に怯む

　夜の帳の到来を告げる茜色の空が降りて来る。それは全てを朱に染めながらゆるりと世界を見回して消え

て行く。朝と夜の間に在るほんの少しの隙間にしかいられないそれは、儚くもあるが雄々しくもある。

　例え瞬きの間しか許されぬとしても、その一瞬でも世界を支配出来たとしたら、それはやはり途方も無く

偉大なのでは無いか。男子と生まれたからには、例え一瞬であったとしても世に名を広く残す事こそが本懐

なのかもしれない。

　蒼愁（ソウシュウ）は少女に教えられた道をさっさか歩きながら、いつもの癖でそんな事を考えていた。

　しかし眼は開いたままなので、通行には支障は無いようだ。夕暮れ時だとは言え、この街の喧騒は未だ収

まる事を知らない。おそらく夜になっても賑わいは続くのだろう。

　この街は日が落ちても、人が灯す光が名残のように多く残っている。人の顔が見分けられるくらいには明るい。

「うーん、この道で合っていると思うのですが・・・・」

　蒼愁はだんだん自分の記憶に自信が無くなっている所だった。街並みは延々と続き果てし無き、例え一本

道の大路であっても迷子になりそうな、そんな錯角を受ける。

「困ったな・・・、また困ってしまった」

　考え込む蒼愁。本当にこの衛塞（エイサイ）に来てからと言うもの、彼は困ってばかりだった。

　唸る度に彼の纏った、目が覚めるような蒼がはたはたと揺れる。

「・・・もし、そこの方」

「うーん・・・ん、私ですか？」

　ふと現れた声に蒼愁が振り返ると、黒い軽鎧に身を包んだ男がひたひたとこちらへ近付いて来るのが見え

た。厚い帷子に鉄片を貼り付けた物だろうか、歩く度に擦りあって良く響く音を奏でている。防犯の為にわ

ざと煩くしているのだろうが、耳に入って気持の良い音でも無かった。

　衛兵だろうか。そう言えば城門の前でも似たような格好をした人達を見た記憶がある。この国で黒鎧を着

れるのは正規兵である黒竜だけでもあるし。

　余談ではあるが、傭兵である虎は国色の布を片腕に縛り付ける事になっている。乱戦でも間違えないよう

に目立つ大きさの布を。もしくは旗か何かを身に付ける事もある。

「ええ、そこの方」

　衛兵はさかさかと蒼愁の側までやって来た。愛想の良い笑顔を浮かべている。年齢は解り難いが、顔だけ

見ると中年に差し掛かった頃と言った所か。

「もしかすると、迷われましたかな？」

「はい、お恥ずかしながら」

　蒼愁がありがたく衛兵に道を尋ねると、身振りを交えて丁寧に教えてくれた。衛兵の話によると、この時

期は犯罪だけで無く迷人も増えるらしく。彼らがこうして街中を巡回しながら迷人の手助けもしているらしい。

「しかし桐家に所縁のある方でしたか」

　衛兵は蒼愁の尋ね先の名を聞くと少し驚いたような顔をしていたが、それ以上は特に何かを訊こうとはし

なかった。よほど兵への教育が行き届いているのだろう。一介の受験生をこうも丁重に相手してくれる兵を

蒼愁は聞いた事が無い。何しろ衛兵と言っても、黒竜試験を通ったれっきとした正規兵なのだから。

　流石王都と蒼愁は変に感心して、衛兵が去った後も何度も一人頷いていた。

　通行人がそんな彼を見て、訝しげな色を浮かべては遠巻きに消えて行く。

「ともかく真っ直ぐに行けばすぐに解るらしいですが・・・」

　ここで感心していても始まらないので、蒼愁はさっさかと進む事にした。

　気付けば朱に暗闇が混じり始めているようだった。

　

　衛兵に教えられるままに蒼愁は歩き続けた。

　道なりにすたすたと歩んで行くとふと視界が開け、彼の眼前に今までとは比較にならない程趣深く大きな

建物が現れた。正面に掲げられた立派な看板には、桐明館（ドウメイカン）、と達筆で記されてある。この

看板も相当古い物だろう。しかしその古さは深さを感じさせても、朽ちた印象を感じさせない。そんな趣味

の良い看板であった。

　入り口も堂に入ったもので、それでいて気圧される事無く気楽に寄れそうな親密さも出している。おそら

く全てがとても落ち着いた作りになっているからだろう。自然に風景に溶け込むようなその色調が、とても

ゆったりとした心持にさせてくれる。

「これは・・・なかなか」

　蒼愁は入り口の真中に建物に負けず劣らず堂々と立ち、興味深そうにその商館を眺めた。

　客や店の者が邪魔そうに通るが、何故か誰一人彼に文句を言う者はいなかった。それは彼の纏う蒼が商館

に負けず良く映え、そこに居るのが当たり前のようにその存在を明示していたからかも知れない。それがあ

まりにも似合い過ぎていると、人は不思議とそうする事が当たり前の事なのだと錯角してしまうものだ。

　夜に近い今は一番忙しい時間らしく、人の行き来が絶える事は無い。店員も忙しそうに一時も同じ所に止

まる様子も無かった。

「また、困りましたね・・・。どうしましょうか」

　蒼愁があの少女から教えられた所は確かにこの商館ではあったが。そうと言ってもこう忙しそうにしてい

ると話し掛け辛いモノがある。礼儀に煩い頑固親父蒼明（ソウメイ）の子としては無理矢理お邪魔する訳に

もいかない。

　仕方が無いので、そのまま店先に仁王立ちして待つ事にした。

　紹介者がいるのだからもっと堂々と入れば良いのだが。蒼愁は元々あの少女の名さえ知らず、良く知らな

い者に良く知らない所を紹介されても、彼としては図々しく入っては行けないのだった。

　しかし店先に仁王立ちされていると邪魔な事この上ない。ただ、相変わらず注意する者は誰一人として居

なかった。誰もが迷惑そうに通りつつも、まるで彫像でも置いてあるかのようにその彫像自体には文句を言

わないのである。つまりは矛先の向けようが無い苛立ち、そのようなものだろう。とにもかくにもはた迷惑

な男ではある。自覚が無いだけに尚更性質が悪い。

「しかし良い建物だ・・・これは凄く良い・・・」

　当の本人は悪気無く、建物を見ては満足そうに頷いていた。彼にしてみれば、別に邪魔しようとしている

のでは無く。むしろここに立っている理由はその逆の理由であり。なら何故こんな真中にと言えば、ただ単

にここからの眺めが一番良かっただけの事なのだった。

　そうしている間にも見る間に日は落ちて行き。あらゆる物は暗闇に塗り潰されて行った。

　逆らうように灯火が彼方此方で灯されるが、それも如何にも儚いモノに見える。光と闇には何者も抗う事

はできないのだろう。所詮は何者も光と闇に形作られたモノに過ぎないのだから。

　人通りも絶えた頃、蒼愁はようやく安心して館内へと踏み入れて行った。

「いらっしゃいませ」

　一人残って居た店番の女性が彼に気付き、閉店間際にも関わらず丁寧に出迎えてくれた。

「今宵は何をご所望でしょうか」

「ええと、ある方にここを紹介されまして。この片袖を見せろと・・・」

　その片袖を見ると女性の顔が明らかに変わった。

「こ、これは・・・・」

「・・・・・・？？？」

　心配になった蒼愁は女性に問い掛けようとした。

　しかし。

「旦那様、旦那様ッ！」

　彼が問う前にその女性は慌てふためいた様子で、店奥へと走り去って行ってしまった。

「・・・・・また困りました・・・」

　一人残された蒼愁も流石に今度は溜息を洩らした。

　夜闇に冷え切った身体を竦めながら、彼にはそのまま待つ事以外には無かったのである。

　まったく色んな意味で困った青年であった。困り神も彼には困る事だろう。

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