蜀頼、大いに狼狽す

1-7.蒼愁、我道を行く

　大路をひた歩き、蒼愁（ソウシュウ）は城門の前にまで到達した。朝も早い為に未だ出店もほとんど営業

しておらず、通行自体は昨日よりは遥かに容易であった。その分少し街並みが寂しくも見えたが、道端や庭

に植えられた木々をゆったりと眺め見る余裕もあった程だ。

　この国都衛塞（エイサイ）だけで無く、壬国の民は木々や草花を愛して止まないと言われる。その為か、

少しでも開いた土地があれば木々か草花を植えようとする傾向にあるようだ。

　その理由の一つには単に他に楽しみが無いと言う事も言える。何しろ壬国の領地のほとんどは山であり、

こうして数少ない盆地や台地に街を造って住んでいるのだが。そう言う地形的な条件もあり、今で言うスポ

ーツ競技等の能動的な文化はあまり育たなかった。その代わりに工芸や詩や唄が眩い程に発達した訳だが、

その限られた趣味を活かす為には良い景観と素材が必要になる。だから少しでも余裕のある者はせっせと庭

作りに、そして代々の王は趣き深い街づくりに励むのである。

　今も蒼愁の側には色とりどりの木々が立ち並んでいた。壬国の四季は木々と共に移り変わるのだ。

　話を戻す。

　城門の前には流石に街中よりは人の数が見えた。試験の開始時刻は一様に早い。しかも時間厳守が原則で

あり、早めに城門まで来るのが当たり前になっている。試験開始一時間前から来ている者もざらに居るだろう。

　遅刻する事を受験者は何よりも恐れた。試験が受けられないだけで無く、次回また試験を受ける時に試験

官側への印象がとても悪くなるからである。適当に誤魔化す責任感の無い者を壬国人は最も嫌う。

　蒼愁は受付の前に行き、正確な順番を聞いた。どうやら彼と同じ時間帯を望んだ者が他に数人は居たよう

で、蒼愁は三番目にされていた。試験の順番はこういう場合、公正にクジで決められる。

　まあいずれにしても、蒼愁にとって順番は大して問題では無かった。時間に遅れさえしなければ良いので

ある。彼にとってあの頑固父から許された生涯一度のチャンスだ、遅れて受けられなかったでは涙も出ない。　

「ふう・・・取りあえずは一安心です」

　蒼愁はその辺の手頃な石にぽてっと座った。蒼い衣が朝日を浴びて翻る。

　後は受付が呼んでくれるのを待てば良い。気楽なものだ。ならば今少し休憩していようと思った矢先。

「趙庵の蒼愁さん。趙庵の蒼愁さん」

「えッ、あッ、はいい！」

　あたふたしながらも何とか返事をし、受付の元へと向かう蒼愁。予想外に早かった。試験が始まってから、

おそらくまだ半時と経ってはいまい。三番目とは言え、いくら何でも早過ぎるのではないか。もしかすれば

間違えられているのでは。そう疑問が浮かんだ蒼愁はともかく訊いて見る事にした。この場合、気をつけて

気をつけ過ぎる事は無いだろう。

「あのう、私は三番目だと聞いたのですが」

「はい、その通りですが」

　だが受付は表情一つ変えず返答した。どうやら特に順番を間違えた訳では無さそうである。

「参謀府試験とはそんなに早く終るものなのでしょうか？」

「あー、そうですね。何しろ面接試験のみですから、場合に寄ってはあっと言う間に終る事もあるのですよ」

　受付は慣れたようにそう言う。異常に思えるこの進行速度も、それだけこの試験では当たり前と言う事な

のだろうか。

「ははあ、なるほど」

「では彼に付いて城門の奥へとお進み下さい」

　蒼愁は言われた衛兵の後ろを、まるで近所の庭でも行くようにひたひたと付いて歩いた。そして生まれて

初めてくぐる城門と、初めて間近で見た城の景観に、蒼愁は甚く満足したのだった。

　城門を潜り城内へ入るとすぐさま謁見室らしき大広間に付いた。そしてその大広間の真正面に在る豪奢な

王座の下方に、新たに三つの椅子と一つの長机だけが簡素に設置されていた。その椅子に試験官らしき人達

が座っている。

「そこへ座られよ」

　真中に座す一番年配の試験官が、威厳のある低い声で蒼愁の目前にある空椅子を指差した。

「はい、よろしくお願い致します」

　蒼愁は礼の姿勢をとってからゆったりとその椅子へと座った。案内をしてくれた衛兵はいつの間にかいな

くなっている。余人は交えず、試験官と受験者とだけで面接をやるらしい。

「まず名乗らせていただこう。私は参謀府に仕える蜀頼と言う者だ。よろしくお願い致す」

　蜀頼（ショクライ）と名乗った試験官はゆっくりと会釈をした。これが目上の者がする伝統的な返礼である。

　どうやら問答をするのはこの蜀頼一人だけのようだ。他の二人は書記のようなものらしく、さらさらと筆

の流れる音が聴こえて来る。

「私は趙庵の蒼愁と申します」

　蒼愁はもう一度、礼の姿勢を取った。

「ふむ。それではまず、何故参謀府に仕えたいと思ったのかね」

「はい、説明するのは難しいのですが。一言で申し上げますと、大志を抱いたのです」

「ほほう、大志とな」

　蜀頼はそれを聞いて面白そうな顔になった。

　彼も試験官を長年やって来ているのだが、こんな古い言葉を真面目に使う者とは初めて出会った。碧嶺（ヘ

キレイ）時代の故事は割と有名で、この言葉も知られているのだが。その意味や用途まで知る者は少なく、使

う者は更に少ない。賢者が集うと言われるこの参謀府内でも、もしかすれば蜀頼の他数える程しか知らないの

ではないか。　

　蜀頼は少しこの青年に興味が出てきた。

「ならば大志とは壬王陛下にお仕えする事なのだな？」

「いえ、それが・・・・」

　すると蒼愁は何故か照れたような笑みをこぼし。

「それが私にも解らないのですよ」

　などとまったく解らない事を言った。自ら黒竜試験に来て置いて、解らないとは何事だろう。

「解らない？？」

　案の定、蜀頼ならずとも書記官二人も呆けたような顔になった。この男は一体何を言っているのだろうか

と。蜀頼はとにかくもう一度聞いてみる事にした。このままではこちらの方がおかしくなりそうだ。

「解らないとはどう言う事かな」

　蒼愁は未だ顔を伏せてもごもごと何事かを呟いていたが、やがて再び顔を上げ。

「大いなる志、故に未だ果ては見えず」

　大きくは無いがはっきりした声でそう言った。

「・・・・・ふむ。・・・・・ふむ。なるほどの」

　書記官二人は相変わらず呆けた顔をしていたが、蜀頼だけはまた面白そうな顔をして何事かを頷いた。

　それから次の問いを発す。

「それでは何事か得意とし、誇れる事はあるか？」

　すると蒼愁はまた少し考えた後、穏やかにこう言った。

「得意とする事ですか・・・・・。そうですね、桃の皮剥きなどは得意です」

「桃！？」

　流石の蜀頼もあまりにもな返答に思わず大きな声を上げてしまった。書記官二人が驚いて蜀頼を見入る。

それに蜀頼は暫く経ってから気付き、取り繕うように咳払いをした。

「おほん。なるほど、桃の皮剥きもなかなかに難しいものよ」

　蜀頼は静かに頷き。そしてある事を思い付いてしまい、心中堪えようも無く可笑しかった。しかしそんな

感情はこの時億尾にも出さず。

「よく解った。それではこれでそなたの面接を終るとす」

　重々しく終了の言葉を発し、蒼愁の面接を終らせた。

　余談だが。蜀頼はこの後笑いが止まらず、試験日程が少しだけ滞ってしまったそうだ。まったくもって蒼

愁と言う男は傍迷惑な男である。

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