真理の饅頭

1-8.蒼愁、悟るに及ぶ

　ようやく試験も終わり、蒼愁（ソウシュウ）は城内に作られた休息所にてぼんやりと結果を待っている。

　特に城内で待つと言う約束事がある訳でも無かったのだが、彼には他に行く所も無かったのである。それ

に一歩でも街中に出れば、客引きの群れに囲まれ、蒼愁などは二度と城門まで戻って来られなくなるに決ま

っていた。いくら彼でもそのくらいの事は解る。

「・・・・・」

　何するでも無くのんびりとふやけている彼の前を、時折警備兵が不思議そうな顔をしながら通り過ぎた。

　通常、試験が終れば今まで我慢して勉学に励んでいた反動か、暴風のように街へと繰り出し騒ぎ倒すのが

常であり、城門前に貼り出される結果を見るのが明日以降と言う事もしばしばで。更に試験前は皆城門で待

つのが当たり前であるから、一応申し訳程度の理由でこの休息所が設置されているにしても。ここを使う者

は試験全日程を通して見ても数える程しかいない。

　特に蒼愁の蒼い衣は良く目立った。そして何よりその呆けた表情。不思議どころか不審がっても良さそう

なものである。

「・・・・・・・」

　ただこう言う手合には、正直あんまり関わり合いになりたくないのも人情で。それ以上に警備兵は色々と

忙しい時期でもあり、皆眺めはしても何も言わずにそのまま通り過ぎて行く。

　おそらくこの休息所に現れた妙な男の噂もしばらくは城内外で絶えないであろう。

　そしてどれほど経った後か、そんな蒼愁の前を大柄な厳つい壮年の男と雲のようにふうわりとした態のあ

る蒼愁と同じくらいの歳の優男がふらりと通りがかった。

「楓仁竜将、何やら変わった御仁がおられますよ」

　優男が蒼愁に気付いたらしく、大柄な男、楓仁（フウジン）にそう告げた。

　竜将と言うのは竜将軍の略称であり、位は大将軍に次ぐ。大将軍空位な昨今、実質的な軍の総帥と言って

いい。そして竜将とは同時に竜の、つまりは正規軍の長を表す。

　軍位としては次いで、上将軍、次将軍、大隊長、小隊長、兵長、一般兵と続く。竜将軍が統括する訳だが、

竜将軍の権限では将軍以上の者に命じる為には事前に王の認可がいる。その為、戦時以外には将軍ごとに一

種独立した部隊が機能していると考えてもいい。そしてその将軍の下にそれぞれ大隊長以下が居て、軍の微

細を指揮、統率しているのだ。

「ほほう、わしは今まで人間とは動く物だと思っていたが。緑犀よ、あれは本当に人間か」

　楓仁は隣の優男、緑犀（リョクサイ）に問いを返した。

　話の種にされている当の蒼愁はと言えば、まだ二人に気付きもしていない様子で、そのままじっと呆け続

けている。

「しかしあのような精巧な彫像は今まで見た事もありません。竜将、ここは一つ話し掛けてみましょう」

「うむ、そうしよう」

　そう言う事になり、二人は蒼愁へと静かに近付いた。この二人が居る時、人当たりの良い緑犀の方が交渉

役を買って出る事が暗黙の了解となっている。それほどにこの二人、付き合いは長い。

　この場合も緑犀が精巧な彫像へと問い掛けた。

「もし、そこの方。如何なされましたか？」

　先程も書いたように、今この場に居る事は不審がられても少しもおかしくは無い。

「・・・・・あッ、私ですか？」

　蒼愁も流石に驚いたようで、一頻り慌てて、やっと礼の姿勢を取った。それから初めて二人を見上げ。

「私は趙庵より参りました。蒼愁と申します。私はここで合否の結果を待っている所なのです」

　二人はゆっくりと会釈して返礼をし、それから再び緑犀が不思議そうに問う。

「しかし合否が出るまでにはまだ時間があります。それに例え合格しても出仕するのはまた後日ですよ」

　合否の判定が出るのは全ての試験が終了した後なのだ。出た頃には日も暮れ始めるだろう。しかし今はま

だ昼前なのである。

　すると蒼愁は照れたように微笑み。

「私は他に行く所もありませんし。それに一度街に出るとなかなか動けないもので」

　と一種爽やかにも見えそうな顔で答えた。

「ならば暫し、あちらで食事でも如何か」

　すると珍しく楓仁の方が口を開き、にんまりと蒼愁を誘った。おそらく面白そうな奴が来たと興味をもっ

たに違い無い。それを見て、緑犀はまた悪い癖が出たと心中苦笑いする。この竜将はこういう癖があった。

気に入れば誰彼構わず食事等に誘う。ようするに人間が好きなのだろうが、これでは将軍の威厳も何もあっ

たものでは無い。

　まあ、だからこそ一兵卒にまで人気があり、彼が率いる部隊は常に士気が高いのだろうが。

「はあ・・しかし」

　蒼愁は誘いを受けて、しかし困った顔をした。彼にしてみれば、見ず知らずの方に理由も無く食事をいた

だく訳にはいかない。

「さあ、遠慮無くこちらへ」

　しかし何を言う間も無く緑犀に促され、蒼愁はあれよあれよと言う間に奥へと通されてしまったのだった。

実は緑犀にも少なからず、楓仁と同じ癖があったのだった。所詮は似た者同士だからこそ、こうも馬が合っ

ているのかも知れない。

　蒼愁が通された一室はどうやら大食堂のような場所らしく。昼前と言う時間帯の事もあり、気の早いもの

や早めに食事を済ませておく必要のある兵卒などが思い思いに飯を掻き込んでいた。緑犀が歩きがてらに言

うには、壬（ジン）国に仕える者であれば誰でも利用出来る気軽な場所らしい。

　いつもの歩調でゆるりと楓仁と緑犀が側を通ると、皆軽く頭を下げるのみだった。通常はするはずの礼の

姿勢を取らないのは、ここが一種無礼講な場所だと言う証明でもあるだろう。本当に気軽で気楽な場所にな

っているようだ。

　そして二人を見た後で、皆一様に蒼愁の方を不思議そうに見やる。いくら気軽な場所でも、兵や文官以外

の城外の人間がここに入るのは珍しい。特にそれを連れているのが楓仁と緑犀ならば尚更だ。何しろ楓仁が

竜将軍、緑犀も大隊長と言う一兵卒から見れば雲の上の存在なのだから。

　余談だが、高位の者でここに来るのは楓仁と緑犀くらいなもので、彼らが珍しい。彼らくらいの軍位にな

れば、専用の部屋などもあり。当然皆そこでゆったりと食事を摂る事になる。しかし楓仁は皆で騒いで食べ

るのが好きで、緑犀は単にそれに付き合っているのだった。だからこの二人も充分妙と言えば妙な御仁なの

である。彼らは蒼愁の事ばかりを言えない。

　勿論、そんな細かい事どころか、この二人の軍位すら蒼愁は何も知らない。

　例え別機関に当る参謀府であっても、少なくとも黒竜を志しているのだから。その武勇は全土に響き渡り、

他国からは黒き修羅と悪鬼以上に畏れられる楓仁竜将くらいは知っていても良さそうなものなのだが。何し

ろそこは蒼愁である。彼は精々試験についての情報しか仕入れていなかった。

「今日はここにしよう」

　楓仁は奥まった場所にある席を選んだ。風通しの良い出入り口や窓際では寒かろうと蒼愁に気を使ってや

ったのだろう。彼はその体格に似合わず、繊細な部分も持っている。と言っても信じる者は少ないだろう。

この竜将はいかにも鬼かと言った厳つい顔で、しかもやたらと威圧感があって居るだけで怖い。

　その分、緑犀の優しげな顔と物腰に人はほっとするので良い組合せなのだが。楓仁の方は少し複雑だった

りもするようだ。まあ生来、豪胆な性格も持ち合わせており。その複雑さもたまに拗ねて緑犀に愚痴る程度

が関の山であったが。

　ともかくも三人は食卓に座し、料理が運ばれて来るのを待つ。

　こういう所では出す料理は注文前から決まっている事が多い。まあ簡単に言えば、豊富に食材が手に入る

訳でも無いので、注文取れる程の余裕も無いと言う事なのだが。それでも大抵は毎日違った料理が出される

ので、不満を言う者は少ない。毎日充分に食べれるだけ幸せと言うものだ。

　少し生活の苦しい家計であったら、一日一食を抜いたりする事もそう珍しい事では無い。ただ山菜や木の

実は割と手に入り易いので、春と秋にきちんと貯蔵しておけば飢える事は無い。

　そうして暫くすると三人の食卓へと料理が運ばれて来た。忙しい時間帯らしく、配膳娘はあいさつもそぞ

ろに厨房へと消えて行ってしまったが。

「暇な時には良い話し相手になってくれるのだが。まあ覚えておいて、受かったら来て見るといい」

　楓仁は蒼愁にそう言いながら、すぐさま料理に手を出し始めた。今日は饅頭らしい。小麦粉だかどんぐり

粉だかを捏ねた生地に山菜やら肉やらを入れ、じっくりと蒸し上げた物のようだ。これはどの国でもお目に

かかるこの時代の定番の家庭料理と言った所か。

「さあ、遠慮せず食べるといい」

　そして楓仁はしきりに饅頭を勧める。どうやっているのか解らないが、食べながらでもはっきりと声が聴

こえ、食べカスも飛んでは来なかった。食べ物は一欠けらも無駄にしない性質らしい。

　緑犀もすでに食べ始めている。こちらは品良く、しかし見る間に饅頭が減っていく。

　この食堂は時間制限でもあるのか。と、蒼愁は少し焦ってしまった。

「それでは、いただきます」

　そして遅ればせながらも慌てて饅頭に齧り付いた。

「・・・・美味い・・」

　蒼愁は驚いた。当たり前の料理だからこそ難しい。当たり前の料理だからこそ、その美味さに感動した。

「これも強兵を作る上で重要な事です。兵達への食料に気を使うのも建国王以来の伝統なのですよ」

　それを聞いたのか緑犀が静かに言った。

　蒼愁は黒竜の猛名の訳を、少しだけ理解出来た気がした。古今軍にとって大事なのは補給だと言われてい

る。飢えれば人は戦えないし、例え意気盛んでも一本の矢も無ければ弓も使えない。その点壬国の武具は申

し分無い。それと共に兵の食料にまでこうも気を使っていたとは。

　建国王壬臥（ジンガ）は、何から何まで一つ一つの事をまるで職人のように丁寧に仕上げて行ったのだろ

う。あくまでも質を尊び、それを可能にする為にあらゆる手段を尽くす。創作者とは、戦略家とはかくある

べきか。

　蒼愁はこの饅頭の味にこそ、壬臥の戦略の奥義を垣間見たと思い、しばし何も言えず饅頭に見入っていた。

　ただ彼の持つ饅頭だけが、一人虚しく冷めて行くのを感じていた。一番美味い時に食べてもらえないので

は、この饅頭にしても立つ瀬が無かっただろう。

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