10-7.覇王と成らん


 凱の国風は一新された。

 勿論全てが変わった訳では無く。また、この短時間で何事も上手く行く訳が無く。多分に無理があった

のだが、それでも凱禅は状況を利用しつつ強引に、彼の言う改革をし始めたのである。

 それにより、他国と同じく碧嶺の風を世襲した、多分に民主性のある機構であったのが、ほぼ完全な専

制君主国家となった。

 つまり王をより絶対的な存在とし、権力を唯一人に集中させる事になる。それは国民の声がほとんど反

映されないと言う事でもある。

 軍部も凱禅に強固に掌握され、意に従わない者は何の躊躇いも無く処罰された。王である凱禅に反意を

抱く事、今はそれ自体が罪となるのだ。

 そして階級の権威も大幅に高め、軍位による格差を増大させ。個としての自分よりも、軍隊としての組

織を重視する事を、兵卒の端々にまで徹底させた。

 これによって上の地位の者が、下の地位の者をある程度自由に出来るようにもなったのである。

 勿論理由は必要となるが、それでも軽い罪状で追放したり、私財を没収したりなども出来る。おそらく

これによって凱禅に反意を抱く者を、より細かく徹底的に消そうとしたのだろう。

 当然、軍位の高さに応じ、より多くの凱禅への忠誠心を要求される。こういった摘発、はその忠誠心を

示すのに一番簡単な方法であるから、大いに威を揮った事だろう。更にこれにより、兵達がお互いを監視

する事になり、その横の繋がりも薄れる。

 横の繋がりが希薄になれば、反乱組織が生まれる可能性も自然と低くなるだろう。

 勿論、抑え付けられれば抑え付けられる程、その反発心も強まるモノだが。すでに凱の兵の心は折れ、

少なくとも凱禅が居る限りは、彼に逆らおうなどとは思うまい。

 せいぜい、酒家で管を巻く程度であろう。誰かが今の世を変えてくれないかとは切望しても、怖ろしく

て自らは動く気にはならない。えてして人間と言うのは、困難を嫌い楽を好むものである。

 そして凱禅が大将軍の地位を正式に兼任した事により(最も以前から同じようなものだったのだが、階

級の権威を高めた事により、正式に就く事が重要となったのである)、この専制はより完全なモノと成っ

た。国内で最大唯一の力である軍を抑えれば、例え民衆がいくら騒ごうとも、何をする事も出来ない。

 これは軍と国の力を高め、そして宿敵である賦国を完全に亡ぼす為だと理由付けられてはいたが。その

実、単に凱禅の私欲の為であろう事は誰の目にも明らかであった。

 流石にそれに対しての反論はあった。

 しかし誰もがあの惨劇を目に、耳にしているのだ。例え自国の民が居ようと居まいと、何の呵責も無く

焼き尽くした、あの魔性の炎。しかも逃れてくる味方の兵すら、敵兵と区別無く止めを刺したと言うでは

ないか。

 これから察しても、凱禅がどれほど残酷な事をするのか。何を言ってもただの脅しでは無く、実際に躊

躇いもなくやるだろう事は察せられる。

 反旗はすぐに収められ、民衆は恐怖に縛られた。

 その為心中は賛同したい者も、恐怖に怯え、反乱を告発する側へと回ったのだ。元々利に聡い国である。

巨額の賞金を出し、密告を奨励すれば、それを受け入れる者も数多く出て来てもいた。

 意外にも、凱禅の能力に心服している者も居る。

 彼以外に今の戦乱の世を、誰が渡って行けるのだろうかと、そう言って自ら忠誠を誓う者も少なからず

居るようだ。

 そしてもし賦を滅ぼす事が出来たのなら、多くの土地と共に、多額の利も入って来るだろう。それに魅

せられた者も居たに違いない。

 驚くべき事に、こうして今までの歴史から考えれば一瞬にして、国中が八割方凱禅の風に染まってしま

ったのである。凱禅が昔から着実にして来た準備が、今大きく花開いたのだと言えるのかも知れない。

 凱の風を上手く利用したとも言える。

 それに利害を無視しても、先祖以来の土地をようやく賦族から取り戻せると思えば、単純にその陶酔感

に浸りたい者も当然居る。

 凱禅は言わば一国を丸々洗脳してしまったのだろう。

 もし別の時代、別の場所に生まれて居たなら、歴史に刻まれる程の詐欺師か宗教家にでも成っていたか

も知れない。

 それほど人を操る事に長けており、悪く言えば脅し騙しの技術が群を抜いているのだろう。

 白晴厳が予想したように、未だそこかしこに不備が見えるものの、凱一国は彼に掌握されてしまった。

 例え恐怖と利による危なげのある統一とは言え、一つにまとまった力と言うのは怖ろしい。国が団結し、

時に予想以上の力を発し、歴史家や読書階級の予想を覆して来た例も多い。

 そして凱禅はよりその統一を強固にする為に、早々に戦果を立てる必要もあった。充分な戦果を出せば、

新しい制度に文句を言おうにも言えなくなる。

 何せ今までの制度では、凱は一度として賦族に勝っていないのである。その汚名が、凱禅にとっては有

利に働くはずだった。後は弱りきった賦を叩けば良い。

 何より重大な事に。

「全軍を持って栄覇を落す!!」

 最早彼のその言葉に逆らえる者は居ないのである。

 凱は急ぎ軍勢を編成し、一路栄覇へと向った。率いるのは当然凱禅本人である。

 国を空けるのは不安ではあったが。しかし今は彼自身が率いなければならない。それにもし反乱が起こ

り王城を乗っ取ったとしても、主力全てが彼の下に居る以上、簡単に取り戻せる事だろう。

 そう言う意味で、後顧の憂いは無かった。


 湿った風が草原を揺らす。

 新年と共に春が始まり、祝福の下に全てが芽吹き、喜びと共に新たな生を得る。

 しかしその麗しき風も、凱の国ではすでに熱と湿りを帯びていた。まだ偉世付近は良いものの、南部の

方はねっとりとした暑さが訪れている事だろう。

 だがこの一戦次第では、その暑さから解放されるかも知れない。

 凱国の民はすでに暑さに慣れている。この北部一帯から賦国南部への気候などは何でも無かった。

 湿った風で凱の進軍が弛む事も、草花のように揺らされる事も無い。

 相手が賦国となれば、それは尚更だろう。

 以前ならば逆に恐怖と躊躇するしか無かった悪鬼のような賦の軍勢。しかし今はそれも滅び行く前の足

掻きにすぎないと思える。

 将軍は無力化され、国王まで死んだ。

 凱とは逆に、賦族の心は揺れに揺れ、どこをどう見ても動揺している。そんな国家など、何処に怖れを

抱く必要があると言うのだろうか。

 それに凱禅に逆らえば即殺される。それが戦場でともなれば、罪は家族まで及ぶと布告されてもいる。

 元々今更恐れようと何をしようと、彼ら一兵卒達は進むしか無いのだ。賦軍を破り、栄覇を落す以外に

生き残る道は無い。

 利に聡い凱の民とは言え、恥を死よりも厭う事に他国とさほどな違いは無い。それも家族に罪を負わせ

て一人逃げるなどと、そのような事をすれば、汚名は未来永劫晴れる事は無いだろう。

 そんな怖ろしい道を、死しても救いの無い道を選ぶよりは、大人しく勇名を立てた方が遥かに良い。

 万が一生き残る事が出来、そして勝てたとしたら、莫大な恩賞が待っていると言う事もある。

 どうせ戦うしか無いのだ。そうとなれば、後は自分の命よりも、後の恩賞を願う方が遥かに良かった。

 諸々の感情が飛び交ってはいたが、このようにして将兵の心は一つ所に纏まっているようだ。

 即ち、やるしかないのだ、と。

 凱禅の再三に渡る訓練も効いている。全土に配置している守備兵等から、出来るだけ精鋭らしいのをか

き集め(その代わり全土の警備は当然の如く手薄になったが、それだけ凱禅もこの一戦に賭けていると言

う事だろう。実際その価値もある)、彼は三万もの軍勢を鍛え上げた。

 短期間の為、技術や全体としての連携もまだまだ未熟ではあったが。その代わり、精神的な面をこれで

もかと鍛え上げた。精神面だけなら、短時間でも効果を出す事は可能である。

 まあ鍛え上げたと言うよりは、洗脳と恐怖によって無理矢理抑え付けた、とでも言った方がより正確で

はあったが。それでも命令に絶対服従するのだから、軍勢としての強さは間違い無く上昇しているだろう。

 方法は陰険極まり無いが、それでも確実に一つに纏まっているのだ。

「物見の報告はどうか」

「ハッ、予想通り賦は迎撃の準備を進めているようです」

「フン、将軍も無しにどう戦をすると言うのか。これは見物だな」

 凱禅は乾いた声を上げる。

 彼は前竜将軍、是招(ゼショウ)のような馬鹿な真似はしない。きちんと斥候も出し、情報収集と準備、

更に作戦もしっかりと立て、万全の状態で進軍している。

 凱の兵力も減少しているのだ。例え勝ったとしても、被害が多ければ、それは後々の為にならない。当

たり前だが先を見据え、この戦も最小の被害に止めなければならない。

 その為に使うのが、彼お得意の策略である。

「本来ならば虎にでもやらせる所だが。まあ、仕方あるまい。奴等も我らの力が大きくなれば、あちらか

ら尻尾を振って来るようになろう」

 先の悪鬼のような所業によって、虎はほぼ凱国から姿を消した。

 これは多少不便ではあったが、逆に正規兵である竜のみであるからこそ、一枚岩の団結力を見せる事が

出来るとも言える。このような大事な一戦には、むしろ好都合だったかも知れない。

「策はあるが、最後は我らの手で打ち破らねばならぬ! 皆の者、死を覚悟せよ! もし奮迅の働きをす

れば、例え死すとも未来永劫その名を称えようぞ! 凱の青竜の力、今こそ世に示すのだ!!」

 兵達はそれに応じ、高らかと鬨(とき)の声を上げる。その声が兵隊の心に、更に膨大な熱を灯し始め

た。意気や良し、後は時の運であろう。そして時の運ならば、凱禅には揺ぎ無い自負がある。

 何故なら、彼は自らにその天運ですら従える力があると、心から信じているからである。

 天も怖れを為す自分であれば、何者も覆す力があるのだと。




BACKEXITNEXT