10-8.必勝必敗


 悩んだ末、白晴厳は軍勢を城壁の側へ布陣させた。

 篭城するのが得策なのだろうが、気質として賦族が只管に静して守る事は不可能に近い。速度も強靭さ

も防衛の側に回っては効果が薄れてしまうし、かえって士気が鈍ってしまうだけになりかねない。

 兵達も攻勢しか考えて無い事を考えれば、よほどの策が無ければ彼らも納得して動いてくれないだろう。

この程度の兵数差ならば、凱兵などは恐れるに足りないからである。

 だが大軍を率いて戦場を駆けるのは白晴厳の柄では無く。結局はその自信の無さが、こうした半分防衛

のような中途半端な形となってしまった。もし今、紅瀬蔚が健在だったならば、すでに颯爽と迎撃に向っ

ているに違いない。間違ってもこのように布陣して待つ事は無かったろう。

 とは言え、白晴厳も愚かでは無い。

 陣内でも絶えず声を上げさせ、常からの訓練も怠らず、軍紀が乱れぬように細かく気を配っていた。

 それに賦族は生まれ付いての闘士。いざ戦いとなれば、さほど細かな指示の必要は無い。大雑把に命じ

ても、各隊長がそれぞれ判断して連携し、最良の戦い方をするように訓練されている。白晴厳も単独指揮

に慣れぬが、それでも充分に機能出来るはずだった。

 勿論、紅瀬蔚などに比べれば、その力が劣る事は避けようが無いのだが。

「今回は単純に中央突破とは行くまい。性に合わないと思うが、皆には細かな運動をしてもらわなければ

ならない。となれば私の指揮次第となるが・・・、ええいままよとやるしかあるまい」

 得意の突進力が使えないとなれば、組織的に細かな運用をして、言わば技によって敵兵を打ち破らねば

ならない。むしろそちらの方が白晴厳に向いているのだが、如何せん賦族には慣れない手段である。果た

して思惑通りに行かせられるだろうか。

 賦族はあまり綿密な計画や細かな運動は用いて無いから、暴風のような単純な力押しだけしか出来ない

と誤解されがちだが、それは違う。命じさえすれば兵士は充分組織的に動け、漢嵩のやるような指揮でも

迷わず付いて行ける事だろう。

 だからその能力如何にはまったく心配していないのだが、何しろ相手はあの凱禅。一体どのような策を

用いてくるだろうか。彼も馬鹿では無いから、こちらの状況を調べ上げ、充分に勝算があると判断した上

で大軍を動かしたはず。一体どんな手を使ってくるやら。

 そしてそれを目にした時、一体白晴厳の率いる兵達はどう言う状態に陥るのだろう。

 以前感じた恐怖、それに捕らわれぬ強さを誰もが持てるとは思えない。例え賦族とは言え、我らもまた

ただの人間なのだ。

 その時果たして自分は上手く兵を統御する事が出来るのだろうか。

 いくら考えても自信が湧き上がって来ない。

 黄竜の力に疑いは無いが、とにもかくにも自らの采配に不安が残るのだ。そして訓練と実戦は似て否な

るモノだと言う当たり前の不安も、またそれを助長させる。

 紅瀬蔚もいない、賦正もいない。独りで戦う事の、なんと心細い事か。

 それだけで無く、ここを抜かれればもう終わりだと言う、国家滅亡の危機感も肩に圧し掛かる。おそら

く彼のような心配性の男は補佐にこそ相応しく、将帥となるには甚だ向かないのだろう。

「しかしやるしかない。やるしかないのだ」

 心中に葛藤を抱え、白晴厳は平原を睨む。

 この穀倉地帯を失う訳にはいかない。ここが踏ん張り所である。

「やれる。やれない事は無い。我々はこれ以上の窮地も今まで何度も脱して来たはず、いつも通り出来れ

ば負ける事は無いのだ!」

 白晴厳は自らに喝を入れ、何度も深呼吸を繰り返した。

 目を瞑り、雑念を払おうと集中もする。そして何度も何度もそれを繰り返した。

 しかしやはり不安は晴れない。

 いつも通り? いつも通りの状況で無いから、これほど不安なのではないか。後方支援も期待出来なけ

れば、頼れる将軍もいない。そんな状況で一体何処に不安を消す材料があると言うのか。

 負ける、このまま負けて滅亡するのではないだろうか。

 そんな具体的に想像出来るだけに、やけに生々しい不安が消えずに心を廻る。

 今に及んでも、何度と無く繰り返した自問が心底から浮き上がって来るのである。何度自答して抑え付

けても、決して沈みきる事は無かった。

 例え紫雲緋が居たとしても、黒双まで落とされた今、賦国は最早袋のねずみ。すでに漢嵩の手の内に握

られてしまっているのかも知れない。

 いやそれ以前に、凱禅の悪質な手で葬られてしまうのでは無いだろうか。

 白晴厳の心はやはり安定とは程遠い場所に在った。

 攻勢しか出来ない存在はいずれは滅ぶしか無いのかも知れない。むしろ防衛に秀で、時期を気長に待て

る者だけが、この大地を支配出来るのではないだろうか。

 常に走り続けなければならない者は、一度躓いただけでもうお終いなのだから。

 一時で全てを失う恐怖、それは筆舌に尽くし難い。

 

 凱軍は賦軍を焦らすかのように悠々と進み、ようやく予定戦場に到着した。

 つまりは栄覇付近の平原である。

 しかし予定よりも城壁に近い位置であり、多少の困惑と嘲笑を覚えないでもない。賦族がとうとう億し

たのかと。

「この地形では兵を伏す事も出来まい。そんな城の前に立ち、一体何をしようと言うのか。愚かなり、賦

の残党よ」

 この見渡す限りの平原では、兵を隠す場所が何処にも無い。しかも賦軍は防衛力の無い城の、しかもそ

のすぐ前に布陣している。見付けるのも容易く、三方から攻めるのもまた容易。逃げ場所があるだけまし

程度の場所である。愚かしくて失笑も漏れようと言うものだ。

「それとも何か策でもあるのか・・・。いや、あるまい。せいぜい弩兵に頼るのが関の山だろうよ」

 最早あの恐るべき突進力は無いと見た。そうなれば後は弩が問題であるが、強弩兵の不在はすでに確認

済みであり、弩兵も今となっては昔程の脅威は無い。

 防具も進歩しており、確かにあの早くて直線的な弾道と、その突貫力には注意を払う必要はあるが。い

くら賦族でも何万もの弩兵が居る訳も無く、それだけでは戦況を一変させるような効果もあるまい。

 そうなれば最早賦族など恐るるに足らず。天運は我が下に跪(ひざまず)くのだ。

「先鋒を出せ、敵陣営に突撃させよ!」

 凱禅は二千程度の先鋒隊を賦軍へと向わせた。

 本来先鋒とは緒戦を飾る上で最も重要な部隊であり、それ故にもっとも武勇に優れる者に任されるのが

常である。しかしこの先鋒隊は実力から言って最下層の隊であり、言わば敵の出方を探る為の捨て駒とし

て選ばれた者達であった。

 勿論彼らはそれとは知らず、この名誉に高揚しているのだが、それだけに哀れを誘う。

「賦族共に思い知らせてやろうぞ!!」

「オオオオォォォォオオオオッ!!」

 津波のように鬨の声を上げながら、先鋒隊は一軍のみ突出して賦軍へ攻撃を仕掛けた。

 凱兵には主に騎馬兵対策として槍を持たされている。その中でも先鋒隊に与えられた槍の質は、全てが

全て劣悪なものであったが、兵の意気は衰える事が無かった。何故なら彼らは、槍の質も解らない程経験

不足の新兵ばかりだったからである。

 しかし新兵だけに怖いモノ知らずの面があり、それを凱禅に買われたのだろう。最高の捨て駒として。

 賦軍は当然それを迎え撃つべく、一斉に動き始めた。

 賦族は兵を分けて小出しにする事は少なく、主に全軍を持って一挙に粉砕する戦法を使っている。力押

しの彼らに最も相応しく、彼らだからこそ出来る攻撃的な戦法であるが。それには将に高い統率力と天才

的な閃きが必要でもある。

 だがこの賦軍には何処か動きに精彩が無いと言うか、常の賦族よりも少し鈍重に思えた。将に迷いがあ

る以上、当然の結果なのだろう。

「思うた通り、代わりとなる将軍はおらぬようだ」

 これを見て、凱禅は誰を憚る事も無く、大きな笑い声を上げた。

 少し甲高い彼の声は、遠く兵の端々にまで良く伝わる。

「見よ、あの動きを! 如何に個々の力があろうと、あの程度の運動しか出来ないような軍隊など、何を

恐れる必要がある!? 皆の者、存分に手柄を立てるが良い!!」

 凱禅の声に、あらかじめ各所に配置しておいた兵が大声を発し、それに応える。見る間にその声は伝染

し、全軍が勇気付けられて大いに奮った。

 こう言う芝居がかかった事も、凱禅の好みであろう。

 そして凱禅は、早々と劣勢になった先鋒隊を救うべく、(予定通りに)仲間を助けようと更に奮い立っ

た全軍を一気に進めさせた。

 弩矢が唸りを上げて襲いかかり、出発早々死傷者を出したが、凱軍はまったく意に介した風は無かった。

すでに全軍が狂徒の如く高揚しており、死者を省みる者も、それを見て恐れる者もいない。

 例え悪鬼羅刹のような手を使ったとは言え、彼らは一度賦族に勝っている。その思いが賦族への長年の

恐怖感を薄れさせた事も、この高揚を手伝っているのだろう。

 相手が魔人のような強さを持ち、決して敵うはずがないと思わせるからこそ、賦族は強かったのだ。

 その恐怖を失いつつある今、賦族などはただの猪でしか無い。後は躓(つまず)かせて、ゆるりと始末

してやれば良い。

 凱禅は満足そうに、薄く笑みを漏らした。

 しかし油断してはならない。

「ここからが我が才の見せ所よ」

 例え賦族を衰えさせたとは言え、現実の力の差までが埋まる訳では無い。当たり前に正面からぶつかり

あっただけでは、決して凱軍には勝ち目が無いだろう。

 それを覆す為に、戦術と言うものが在る。そして今こそ凱禅の力を見せる時である。この一戦に勝ちさ

えすれば、凱は彼の思うままとなろう。

 凱禅の心は、自信に満ち満ちている。  




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