2-1.高まり満つる国


 大陸の中心に賦(フ)と言う国が在る。

 現国王の名は賦正(フセイ)、碧嶺(ヘキレイ)配下の勇将、賦真(フシン)を祖に持つと公言している。

 この賦真、碧嶺配下となる前は紫雲竜(シウンリュウ)と名乗っていた。紫雲と言う珍しい二文字の姓に

は少し訳がある。この紫雲竜の祖先は元々異民族と言われ、どうも碧嶺の時代よりも更に以前に何処からか

奴隷として連れて来られた者達であるようだ。文献が残っていない為に、今となっては詳しい事は解らない

のだが。ともかく、二文字の姓を持つ者は大陸広しと言えども、この異民族の子孫しかいない。

 この異民族とその子孫を大陸人は賦族と呼んだ。


 賦族は総じて大柄な体躯をしており、顔が厳しい。体格に相応しく武芸にも秀で、特に馬と弓矢の扱いに

長けており、兵としても大いに使われたそうだ。この部族の特徴として、男女の区別が希薄であると言う事

もあげられる。その為、女も当たり前のように戦場に出、しかも驚く程剽悍で強いと言われる。この部族の

男が厳つい顔をしているのに比べ、女は不思議と優しげな顔で美しい者が多かったのだが、むしろ女兵の方

が強く色んな意味で恐れられたのではないかと思われる。

 賦族は武器開発にも長け、得意な馬具や弓矢に関しては当代一の技術を持っていたようだ。短弓、長弓、

そして弩も賦族の作品であると言われている。

 短弓は速射性に優れ馬上での使用に適し。長弓は驚く程射程が長く、そして威力も申し分無い。ただこの

どちらの兵器を扱うにも熟練の技術が必要になる。これに比べ、機械式の弓と言った態の弩は技術をさほど

必要とせず、しかも命中精度も良く、矢が曲線を描く弓と違い直線的に飛ぶので、矢足が速く貫通力もあっ

た。ただ矢の装填に時間がかかり、その故障も少なくは無い。何より作成に金と時間がかかると言う欠点が

あった。その為か、弩はあまり他国では使われてはいないようだ。

 ただ、賦国の弩部隊は強い。その性質上頻繁に使えないのだが、この部隊にはどの国家も多大な被害を受

けている。言わば賦国の虎の子、切札と言った所だろうか。

 この賦族は元々奴隷として連れて来られ、下兵や性奴として扱われ。間違っても人間扱いはされなかった。

しかし碧嶺の登場に到って転機が訪れる。碧嶺は当時の賦族の主導者的存在であった紫雲竜を上将軍として

手厚く迎え入れ、初めて賦族を同族として扱った。これ以降、賦族はその恩に報いる為に死に物狂いで碧嶺

の為に働く事となる。彼らは虐げられてきただけに、義理や人情に対して大陸人には無い、一種絶対的なも

のがあったようだ。勿論、碧嶺がわざわざ賦族を解放せしめたのは、慈悲の心だけでは無く、多分にその兵

力が目的でもあったのは言うまでもないだろう。

 仕官するに当って紫雲竜がわざわざ名を変えたのは、その時代すでに二文字の姓を持つ者はそれだけで虐

げられる風潮が出来ており、それを心配した大軍師、趙深(チョウシン)と大将軍、壬牙(ジンガ)が改名

を申し訳なくも勧めたからだと言う事らしい。

 余談だが、壬牙は士官前の放浪時代には随分賦族に世話になったらしく。彼は生涯賦族に対して礼節と恩

を忘れなかった。ただ碧嶺が奴隷身分から解放したと言っても、長い年月に染み付いた差別を簡単に無くせ

る訳も無く、賦族差別は碧嶺配下の将にすら根強く残っていたらしい。その為、碧嶺死後に到ってまで彼ら

を同族とする者は温厚な趙深か義理に厚いこの壬牙くらいなものであったようだ。

 年月が経つにつれてもこの差別意識は消えず、現在でも大陸人の中に色濃く残っている。



 この賦と言う国はその名の示すように、賦族が言わば乱世のどさくさに独立して創った国であるとも言え

る。国王が別に紫雲の姓も持っている事から、五国家の中でも最もその出自に信憑性が高いだろう。

 以後の話を進める前に、賦国と賦族についてもう少し語らねばならない。



 異民族である事以外に、この賦と言う国が異端と蔑まれているのにはもう一つの理由がある。

 それはこの国が信奉している国神、地海黄竜王の事である。竜王とは本来、東海青竜王、南海赤竜王、西

海白竜王、北海黒竜王の四海竜王を指す。ではこの黄竜王とは何者であるのか。

 実は賦族では竜王は五体であり、五海竜王であるとされている。そしてこの黄竜王こそが地海、つまりは

地上の全ての海を統べる竜王の長であると伝えられていた。この神話伝承の相違は民族の違いとしか説明の

しようが無い。或いは賦族がこの大陸に連れて来られる前に信仰していた神を、無理矢理にこの大陸の宗教

に取り入れた結果なのかも知れない。これも詳しい事は今となっては解らないが、とにかく賦国ではこれを

自らの教えに従い国神とした。

 しかし他の国家は当然そんな竜は知らぬと、竜王の長等とは片腹痛いと言い、竜とすら認めず。地海とは

地底の海であり、黄竜は泥臭い土竜の王であるとした。そしてこれだけでは飽き足らず、賦国人の事まで悪

意を込めて土竜と呼んだ。



 こういう理由もあり、土竜の国よと他の三国家(当時壬国はまだ存在していない)は当然賦国の建国を認

めなかった。それどころか益々蔑み、賦族は各地で碧嶺以前の奴隷身分へまで堕とされて行ったのである。

 賦国は怒り、他の四国家を敵として死を決して火のような猛攻を続けた。元々は肥沃である中央の、しか

したかが数都市に過ぎない小さな国だったのだが。その戦乱の間に各地の賦族達が連鎖的に蜂起し各国内部

を混乱させ、あれよあれよと言う間に中央に巨大な国家を築いてしまったのである。

 三国家は改めて賦族の強さに恐怖し、次々と講和を申し出、ここに賦国が正式に誕生する事になった。し

かし賦族は賦族以外を信ぜず、一度停戦した後も事ある毎に他国へ侵攻している。

 賦族は死を畏れず、武勇に優れ、しかも肥沃な中央の平野を治める為に兵力も五国家第一。兵の精強さで

言えば壬国に一歩劣るとは言われるものの、総合的に言えば兵力も国力も五国家一であると言われる。

 賦とはそんな複雑な国である。

 そしてその賦国に更に不穏な気配が見え始めたと言う。



 発端は大陸北西に位置する双(ソウ)との間で起きたある事変による。

 この双と言う国は五国家の中では一番古く、建国からもう200年近い年月を経ている。この国は古さ故

か、はたまた代々の王と高官の国風なのか、五国家で唯一完全な貴族主義の国であった。

 国神は西海白竜王、同じ北方に位置する壬国とは違い、山地が少なく平野の方が多い。この平野には悠江

(ユウコウ)と呼ばれる大河が流れており、土地が肥え、大陸有数の穀物地帯となっている。この悠江、広

大だが古来氾濫した事が無く、ゆったりと優雅に流れる。余談だが、春や秋にはこの大河に船を浮かべて、

樹花を愛でつつ酒宴を開いている姿も多く見受けられるようだ。

 祖と崇める双正(ソウセイ)は碧嶺当時からすでに大陸でも最も古いと言う名門の出であり、碧嶺の配下

の中では唯一の生まれながらの貴人であった。その家柄と篤実な性格、そして生まれついての優雅な物腰で

外交官として数々の勲功を上げた。たかだか一成り上がり者である碧嶺に簡単に他国が平伏したのは、その

勢力だけで無く、双家の名の重みもあったおかげと言って良いだろう。

 貴人の中でも異質な存在と言える人で、清廉な上胆力もあったらしい。

 だが今の双王、双処(ソウショ)はこの双正とは別人のように気概が無く、事なかれ長いものには巻かれ

ろ主義を通している。しかもこの国は王だけでは無く、臣下、国民に到るまでその主義が浸透しており。他

国人からは賦族以上に信用されていない。

 肥沃な土地柄の為、国民は多く、それに比例して兵数も多い。その数は十数万とも言われ、数だけなら賦国

に匹敵するだが。その国柄、兵は弱く。勝っている時はまだいいのだが、少しでも負けようものならすぐさ

ま全軍総崩れとなってしまう。肥沃な大地の恩恵による大兵団が無ければ、とうに他国に併合されてしまっ

ていただろう。



 

 この双と賦の間に大きな変化が訪れた。

 双と賦の境界に望岱(ボウダイ)と言う街がある。双の最前線とも言える所で、賦からは毎年しつこく兵

が送られてくる。

 双国は以前から賦国に領土を攻め取られてしまっていたのだが。この望岱は碧嶺時代から街と言うよりは

むしろ砦として想定され、当時から年々堅固に改、増築されており。今では双が落ちても、望岱は落ちぬと

まで言われる程の一大要塞を為していた。

 その為に流石の賦の進撃もここ数年来、この望岱で遮られている。

 しかしあろう事かこの望岱の司令官である、双国唯一と言える名将、漢崇(カンスウ)次将軍がこの望岱

ごと賦に寝返ってしまうと言う事変が起きたのである。

 最早未来永劫落ちる事は無いと、そう高を括って安堵していた双王と高官達はこの知らせに慌てふためき。

急いで賦国へと休戦の使者を派遣し、愚かにも全ての要求を尽く呑み、戦わずして双国は半ば賦の属国と化

してしまったのである。

 こうして大陸の二大穀倉地帯である、中央平原と悠江流域を手に入れる事となった賦国の勢いは最早止ま

る事を知らず。兵力を増し、虎を募り、今にも他の三国を攻め滅ぼさん勢いを見せている。現に、三国家と

の境界線に兵力を集中させつつもあるようだ。



 そして双国から壬国へ進軍していると言う情報が、壬国参謀府へと入った。しかもこれを率いるのが、か

の漢嵩らしい。壬王、壬劉(ジンリュウ)は即座に主だった将を集め、迎撃の体勢を整え始めた。

 ここに再び戦乱の世の開戦の幕が切って落とされる事になったのである。




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