2-10.条件


 壬軍は何とか山路を越え、ようやく北昇(ホクショウ)まで辿り着く事が出来た。中途北昇軍が待ち構え

ていると言う事も無く。北昇は篭城策をとったようで、門を閉じ、城壁の上にはずらりと弓兵が並んでいた。

落石等の対攻城への準備も万全に見える。

「ふむ、・・・これはしんどい」

 それらを見ながら壬軍総大将、司譜(シフ)がうめく。

 彼から見ても北昇は理想的な守りの形を誇っていた。見渡す限りの弓兵は敵兵ながら壮観ですらあるが、

それが一斉に矢を放って来た時を考えるとぞっとしない。

 司譜は部下に矢防ぎの柵防を急ぎ築かせ、ぐるりと北昇を包囲させた。勿論、相手に決死の気持を抱かせ

ないよう、一方面を空けておく事も忘れない。念の為にその付近に兵を千人程伏させても置いた。

 こうして逃げ道を作っておけば、人間の感情として死に花を咲かせようと思うよりも、何とかして助かろ

う、逃げようと言う気持が浮く。そうすれば、窮鼠猫を噛む、と言う事態になりにくい。これは古来から城

攻めの常道とされている法である。

「しかし兵糧攻めも部が悪いであろうな」

 双の地は肥沃である。その収穫量は壬とは比べ物にもならなかった。こちらの糧食はおそらく一月も持た

ないだろう。しかし相手の方はと言えば、その兵数を考えても半年は持つかも知れない。そしてその事は北

昇側もよく解っている事だろう。

 敵兵の心を揺さぶろうにも、この弓兵の理路整然とした隊列を見れば統率が見事にとれている事も明らか

であり、この初期段階では心理攻めも効果が薄いだろう。

 司譜は警戒を怠らないように兵へと命じ、自らは幕僚達を集めて軍儀を開く事とした。



 しかし幕僚達にも、こう守備をきっちりと固められては軽々しく策を使えず、あまり建設的な意見は出な

かった。結局、漢嵩(カンスウ)将軍に使者を送ってもらうと言う、懐柔策でいく事に決まったのである。

 そして意見も出尽くし、そろそろお開きと言う所で、それまで静かに聴いていた蒼愁(ソウシュウ)がゆ

っくりと口を開いた。彼は例の策を語り、自分に明宗家を説く役目を与えてくれるように頼んだ。

 それには司譜や幕僚達にも異論は無く、やれるべき事は全て試してみるべきだ、という事になり。その策

は望みどおり彼に一任される事と決まった。

「漢将軍に一筆お願いすると良いだろう」

 司譜は蒼愁にそうも言った。なるほど、双国の民の信が厚い漢嵩の言ならば、これ以上心強い援護は無い

だろう。軍儀に参加していた漢嵩もそれも最もであると言い、その場でさらさらと書状をしたため、蒼愁へ

と預けた。

「漢将軍、ありがとうございます」

 蒼愁は漢嵩に礼の姿勢をとってから丁重にその書状を受け取り。

「尽力致します」

 そう言って即座に陣内から出た。前にも記したが、兵数と国力の乏しい壬国では戦争を長引かせない事が

何より重要になり、優先される。しかも今回は他国遠征である、その隙を突いて賦国が攻め入ってくる可能

性も高い。いや、もうすでに進軍している可能性すらあった。

 司譜も落ち着いているように見えるが、内心は焦っているに違いは無かった。長期戦争が出来ないのは

壬国建国以来の悩みであり、老将司譜には誰よりもそれが解っている。

 蒼愁はまだ行軍の疲れが抜けない身体に鞭打ち、ただひたすらに急いだ。



 蒼愁の目指す、明の宗家は今は北昇より数キロ離れた止水(シスイ)と呼ばれる小さな村に在る。なんで

も一代前に北昇の家財を売り払ってこちらに移り住んだらしく、今では盛時の面影も無いが、それでも村人

からは尚敬られているようだ。この村を治める地方官のような役目もしているらしい。

 治める、とは言え、人口百人足らずの小さな村だ。北昇の太守である分家とは天と地程の差がある。

 宗家現当主の名は明泰(ミョウタイ)、大柄で朴訥な人物であると聞いている。

 蒼愁は慣れない道をひた走り、それでも小一時間程でこの村へと辿り着いた。幸い道のりは単純で小川に

沿って行けば良く、迷う事は無かった。名前の通り小川沿いに造られた村で、小川からひいたらしいため池

が村のそこかしこに見える。この小川は悠江の支流であろうか。

 今は昼過ぎと言う事もあって、田畑が村人の姿で賑わっていた。百姓仕事には独特の賑わいがあると思う。

「ああ、明様にお会いにきなさったのかい」

 一人の村人に明家の場所を聞くと、そう言ってわざわざ明家まで案内してくれた。

 明家、とは言っても他の民家とそう変わりなく。如何にも質素な家であった。蒼愁は中へ一言断ってか

ら、ゆっくりとその戸を潜った。

 中も外観通り質素であり、これがあの明辰(ミョウシン)の血を受け継ぐ者の家だとはとても思えない。

「おう、そろそろ来る頃だと思っとったよ」

 質素な佇まいの中に、質素な服装の大柄な男が居り、品良く笑った。口の大きな男だった。木彫りでもし

ているのか、手にはのみが握られている。

「何も無いが、これでも飲んでくれ」

 その男はそう言って湯気の立つ湯のみを差し出した。蒼愁が丁重に押し頂いてから口を付けると、何の事

は無いただの白湯である。それでも走りに走り喉が渇ききっていた彼にはとてもありがたかった。味も何も

無いが、その分すっと身体に染み渡る感じがする。

「貴方が明泰様ですね。私は壬国の蒼愁と申します」

 蒼愁は白湯を飲み干し、改めて丁重に礼の姿勢をとる。

「ああ、わしが明泰だよ。まあ、そんな堅苦しくせずとも良い。今はただの田舎親父よ」

 明泰(ミョウタイ)はそう言ってもう一度にこやかに笑い。それから、用件は言わずとも解っておる、と

も言った。

「壬国の言い分はこちらとしても実はありがたいのよ。今の双は駄目だ、明節殿も苦労されておられる」

 そして今度は溜息をつく。それから双の内情を少しばかり語った。双国内情は壬国が思っている以上に酷

いもので、税金も驚く程高騰している。その為に民衆も疲弊の一途を辿り、都以外は見るに耐えない状況

だそうだ。

 北昇は太守、明節(ミョウセツ)のおかげでまだ保っていられるが、実は壬国側が思っている程兵糧も備

蓄されてはおらず、実際には二月も篭城出来ないだろうと言う驚くべき事実も明泰の口から告げられた。

 しかしそれでも今の壬軍から守り抜く自信はある、とも彼は言う。

 確かに壬軍の方がその点においても厳しいであろう。今回の進軍だけで壬国は相当の覚悟をして出兵して

いるのである。それほどに壬の国力は弱い。つまりは双方戦争等をしている余裕は元々無かったのである。

「だから一つ条件がある」

 と、明泰は言った。

「はい、なんでありましょう」

「うむ、北昇の自治を認めて欲しい」

 出された条件は驚くべきものであった。漢嵩将軍とその兵を収納するのも壬国に付くのも構わない。ただ、

民衆にも将兵にも手を出さず、そして北昇を自治都市として認めて欲しい。つまりは一種独立し、壬の領

土としてではなく、言わば属国として見て欲しい。そう言うことである。

「しかし・・・・それは・・・・」

 蒼愁は迷った。ただ迷っては見ても、彼に言える事は初めから決まっていた。明泰もそれを知っていて言

っているに違い無い。

「解りました。しかし私の一存では決められません。将軍に話して来ますので、しばし時間を下さい」

「うむ、それはそうだろう。蒼愁殿と言ったな、その条件さえ受けていただければ、必ず北昇が壬に付く事

はお約束する」

 結局はそう言うしか無く、蒼愁はそのまま慌しく司譜の元へと駆け戻った。

 だがそこまでの大事であると流石の司譜も軽々しく返答は出来ず。こればかりは王へ裁可を仰ぐ為に伝令

を発する事となった。

 しかしこの時、司譜達は知り得る術も無かったが、壬本国にも努々ならぬ事態が起こっていたのである。



                              第二章  了  

 




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