壬劉(ジンリュウ)の命により、再び司譜(シフ)上将は双国へと向かう事となった。先鋒に漢嵩(カン スウ)率いる降兵1万を置き、自らは黒竜1万を率い、総勢二万と言う大軍である。 残り一万の黒竜は他国への控えとして残した。降兵を一万残したのは、単純に流石に三万を運用出来る資 金が無く。そして降兵が正規軍の倍もいる事は統制する上で困難であると言う、そんな軍事的理由もあった。 降兵が自然に受け入れられるまでには、まだ多くの時が必要なのだろう。 今回は蒼愁(ソウシュウ)も参謀として正式に従軍している。若輩でしかも何の功績も知名度も無い彼が、 こんな大会戦に参加出来たのは偏に司譜の口添えに寄る。司譜は蒼愁の事を気に入ったらしく、彼の素養を 高く評価し、何でも壬劉と参謀長蜀頼(ショクライ)に直接掛け合って幕僚に引き入れたらしい。今の内か ら手元に置いて、次世代を担う者として鍛え上げようとしているのかも知れない。 蒼愁自身は困惑したが、百の書物よりも一の実戦である、と直接な上官である蜀頼に諭され。是も否も無 く、この大軍に組み入れられる事となってしまった。 漢嵩来襲時には戦闘らしい戦闘をしていなかった為、これが彼の実質の初陣となる。 「この山道は、これほど辛いものだったのか・・・」 趙庵から双へ到る山道は当然ながら防衛の為、西砦から先は軍がなんとか通り抜けられるかどうか程度し か整備しておらず、山道に慣れているはずの黒竜ですらこれには難渋した。悪路と言う程では無かったが、 行軍はお世辞にも迅速であるとは言えなかった。 蒼愁も一平民であり、趙庵出身だとは言え、当然この山道を通った事は無い。毎日のように見ていた、あ の行商人達はこんな道をいつも通っていたのかと、まるで目の覚める思いだった。 背中に滲む汗を堪えながら必至に歩く。しかし未だ大した訓練も受けていない蒼愁にとって、この行軍は 生半な事では無い。 司譜も心得ており、行軍速度は無理の無いモノであったのだが。しかしそれでも蒼愁には辛かった。 「迂闊だったかな・・。もう少し鍛えておけば良かった・・」 嘆く自分が情けない。 将や参謀等は通常馬にも乗れるのであったが、今回は足並みを揃える事も含め、皆徒歩である。勿論それ は総大将の司譜や、漢嵩も変わらない。それにこんな山道で馬を使えば、貴重な馬が潰れてしまう。 蒼愁は遅れないように付いて行くのが精一杯であったが。しかし彼もただぼんやりと歩いている訳では無 かった。 彼はこの行軍と言う時間を利用し、策を完成させようとしている。敢えて漢嵩軍の方に位置し、降兵達か ら数多の情報を得ようとしているのだ。歩くのに必死でそれはあまり成果があるとは言えなかったが、それ でも休息時間等に様々な情報を得る事が出来た。 北昇は双国東方を統べるように設計された都市であり、望岱(ボウダイ)とまでは行かなくとも、城塞都 市として堅固な事極まりない。守備兵も1万とも2万とも言われ、これを正面から打ち破ろうとすれば膨大 な時間と犠牲を強いられる事になるだろう。いや、この二万の大軍でも数年かかっても落とせまい。 正面からが駄目ならば、側面、つまりは策を使うしかない。幸い蒼愁にも一つだけ策があった。彼はそれ を今練り込んでいる最中なのである。 「うあッ」 小石に脚をとられ呆気なく転倒する蒼愁。慌てて付近の兵が助け起こしてくれたが、あわよくばここで踏 み潰されて殉職となってしまう所であった。 そう、確かに策はある。 「北昇まで、無事辿り着けるだろうか・・」 顔に纏わり付いた汚れを払いながら、蒼愁は自信無く呟いたと言う。これは冗談でも何でもなく、彼にと っては切実な問題でもあった。
北昇の太守を任されている明(ミョウ)家と言うのがある。明家で有名と言えば、あの明辰(ミョウシン、 ミョウタツとも言う)が居る。双国中興の士と言われ当代最高の武将とまで呼ばれた男で、その武略は賦族 でさえも畏敬の念を覚える程であったと言う。 壬国の祖、壬臥(ジンガ)が今のような山地に国を興さざるを得なかったのは、偏にこの明辰が双に居た と言う理由に寄る。壬臥は始め建国地としてこの北昇一帯に目を付けたのであるが、この明辰に散々に撃ち 破られ、東、東へと追い払われる内に、最終的には現在の山地まで退かざるを得なかったと言う。 その後、壬臥があれほど防衛に重点を置いた国造りを目指したのも、この時の手痛い敗北が少なからず影 響していると考えられる。 そしてこの明家だが数十年前に分家し、現在二つの家筋がある。そして不思議な事に思えるが、現在太守 として治めているのはこの内の分家した方なのである。宗家の方はと言えば、分家した後当主に恵まれなか ったのか見る間に衰え、今では盛時の面影も無くひっそりと田畑を耕して暮らしているらしい。 それに反して分家の方は、瞬く間に隆盛し当主が北昇の太守に任命されるまでになった。 こうして言ってみれば宗分逆転した形になっているのだが、しかし分家の方はこの宗家に対して今も丁重 な姿勢を崩してはおらず。事ある毎に宗家を立て、尽力を惜しまないらしい。 双国の情報を細に到るまで調べていた蒼愁はこの事実を知り、そしてこれを上手く利用する事を考えたの である。 つまり宗家を持って分家を説く。 この行軍も急であった為に、大した下工作は出来なかったのだが。参謀長と外交長とも相談し、すでにこ の宗家に何度か使者を送ってあった。常にこう言った布石を打って置くのも、参謀府の重要な役割なのだ。 その使者の話によれば、宗家の側も今となっては壬国への投降には異存なく。北昇の民達もすでに双国を 見限りつつあり。漢嵩次将にも理解を示して、今回の投降についてもむしろ同情的な感情が占めているらし い。長年に渡り双国を守った漢嵩の実績は、国家首脳部よりもむしろ国民の方に根付いているようだ。 特に漢嵩が民出の将軍であると言う事が大きい。民にしてみれば、胡散臭い貴族高官達よりもよほど信用 出来ると言う事なのだろう。 明分家現当主であり現太守でもある明節(ミョウセツ)も、北昇出身でありその民の感情を良く理解し、 むしろ貴族達、つまりは政府高官には否定的な立場をとっているらしい。 彼も漢嵩に劣らず民からも北昇の官僚達からも信頼されており。後は彼さえ首を縦に振れば、それで北昇 ごと壬へ降ると言う事になる。守備兵や将官の多くも、他ならぬ漢嵩にならば従うだろう。勿論、一騒動も あるだろうが。 しかし最終的には開城させる自信が蒼愁にはあった。ただ、それもこれもまずは宗家を説けるかどうかに かかっている。相手は宗家、個人ではない。漢嵩の時のように単純にはいかないだろう。 ともあれ、全てはあちらに着けなければどうしようも無い。今は一丸となって懸命に進むのみであろう。 |