2-8.漢嵩、降る


 司譜(シフ)率いる壬の使者三名は静かに敵将漢嵩(カンスウ)の返答を待っている。ここが正念場であ

り、もし相手に投降の意志が無ければ、このままここで彼らは刺し殺されてしまう可能性もあった。

 流石の蒼愁(ソウシュウ)も目を閉じたまま一言も発しない。どこか張り詰めた空気が、この彼らに宛が

われた天幕を包んでいた。

「ん、騒がしいな」

 逸早く異変に気付いたのは司譜だった。先程まで静まり返って居た陣内が、ふと俄かに騒ぎ始めたように、

微かな物音やざわめき等が天幕越しに外から聴こえて来る。

「攻め入ってくるのでしょうか」

 司穂(シスイ)が強張った面差しのままで呟く。

 攻め入ってくるとは、この天幕へ、と言う意味である。

「さてな・・・、人の心理だけは最後まで解らぬ。ま、どちらにしてもようやく結論に達したという事よ・

・・・。さて、誰か来たようだ」

 司譜が姪にそう答えながら、再び聞き耳を立てた。蒼愁と司穂も彼に習うように静かに聴覚を研ぎ澄ます

と、何やらこちらへ来る足音が聴こえて来る。人数はそう多くないように思えるが、はっきりとは解らない。

 三人の視線は自然、天幕の出入り口一点に集まる。

 司穂は頬を撫でるように汗が一粒流れ落ちるのを感じた。

「失礼致します」

 程無くして、落ち着いた声が外から響き。漢嵩(カンスウ)が共を三人引き連れて幕内へと入って来た。

 共の者は一人一つずつ布に包まれた何かを恭しく持ち運んでいる。そしてその何かを均等に司譜達の前に

並べた後、静かに漢嵩の後ろへと控えた。

 漢嵩は何も言わず、ゆっくりとその何かを覆っていた布を解いていく。

 はらりと布が落ち、中からはなんと人の生首が現れた。一つに一首ずつ、合計三つの生首がこちらを向か

されて、目を閉じ黙り込んでいる。ただ口だけは苦悶か口惜しさ故か酷く歪んでおり、まるで仁王が目を瞑

っているような有様であった。見ていて気持の良い代物でも無い。

「・・・漢次将・・・・これは」

 司譜が眉を顰(ひそ)めながら問う。 

「この者達は双王より遣わされた者達です。古来の言葉で言えば、軍監と言うべき者達でありましょうか」

 そう言うと漢嵩は静かにその場に座した。そしてそれ以上は何も言わない。

「・・・なるほど。それではこれをご返答とお受けしてよろしいのですな」

 確認する司譜の言葉に、漢嵩はゆっくりと頷いた。

「それでは壬王にそうお伝え致します。詳しい事はまた明日に、西砦にてお待ちしております」

「心得ました。司上将、よろしくお願い致す」

 漢嵩は一礼すると、再び生首を布で包み、後は共を引き連れて忙しく天幕を出て行った。

 敵国に降るにも色々と準備がいる。まずは配下の兵達を説得し、納得しない者は反乱を企てない内に速や

かに双国へと返さなければならない。他にも壬内での彼らの処遇や、正式な任命等、双方やる事は数え切れ

ず。少なくとも数日は司譜と漢嵩は雑務に忙殺される事になるだろう。

「・・・・・やれやれ、無事に生き延びたか・・・」

 司譜の呟きと同時に、使者一行三人合わせて安堵の吐息を大きく吐いた。無事西砦に帰還するまで油断は

禁物であるが、一先ずはこれで落ち着いたと言っていいだろう。

「でも、斬首までするとは・・・」

 司穂が物悲しげに呟く。監視役はこのような場合、大抵無事ではすまないが。それでも監禁に抑えられ、

後に解放される事も珍しくは無い。そう思えば、今回の処置は苛烈過ぎると言えなくもなかった。

「いや、今回はこれで良いのだ」

 しかし司譜は言う。

 漢嵩はすでに一度裏切った将であり、ここで生半な行動を起こせばそれは後日必ず疑いの元となり、いず

れは彼にとって願わしく無い方向へと追い込む可能性が高い。しかしここで極端なぐらいに苛烈な行動をと

れば、双や賦に対し個人的にも宣戦布告をする事になり、最早壬以外に居場所は無くなるだろう。

 ようするに、漢嵩は敢えて自分の境遇を追い込む事によって、それを壬王への絶対的な忠誠の証としたの

である。確かにあまり気分の良い処置では無いが、漢嵩自身にもこれ以外に選択肢は無かったのだろう。

 だからこの場合はこうあって然るべきなのだ、と。

「・・・・そうですね。私たちは戦争をしているのですから」

「うむ、これは戦争なのだ、司穂よ」

 ただ三人は皆そうと解っても、何処か割り切れないモノを感じているようだった。

 特に蒼愁にそれが濃厚に見え。彼はこの日一日、それから一言も発しなかったらしい。

 ともかくこの三名はこうして使者の役目を終え、そのまま西砦へと戻った。 



 

 そして数日。

 漢嵩の兵達の中で、壬に降ると言う決断に納得した数は約二万。残り一万は双に残してきた家族も心配だ

と主張し、漢嵩はそれも最もであるとこの一万を説得するでも無く、快く双へと帰した。これには彼に少し

の後ろめたさがあったのと、不穏分子は抱えないに限ると言う現実的理由も関係無くは無かったろう。

 そして改めて壬所属となった二万の兵はとり合えず虎待遇とし、正式な決定が出るまでは客将扱いとされ

る事となった。現在は兵達を西砦外の天幕にそのまま駐屯させ、食糧と水を壬側が配給している。

 二万とは言え、黒竜の総半数を上回る大軍である。その全てをいきなり壬国に入れる訳にもいかず、かと

言ってこのまま放って置く訳にもいかない。何より問題なのは、今の壬国にはこの二万の兵を養える国力が

無いと言う事だった。

 早急に手を打たなければならない。

 総大将であった漢嵩は正式に投降を認められ、とり合えず彼も客将扱いとして、壬都衛塞(エイサイ)の

王城に一室を与えられている。

 漢嵩軍への対応が速かったのが幸いしてか、心配されていた賦と凱の来襲は今の所は無く。各砦は警戒を

強めたまま、更に幾日かが過ぎた。



 

 

 その間、双国との外交も進められている。使者として送られたのは外交長季笥(キシ)と、その古典教養

と作法の知識を買われたあの傲碍(ゴウガイ)の二名である。

 だがその外交でまた問題が生じた。停戦協定には漢嵩を失った双側にも異論は無く、賦国からもあれ以来

何も要請が無い様で、それ自体は問題無く進んだのだが。揉めた原因は壬側が出した、北昇(ホクショウ)

一帯を差し出せと言う条件の方だった。

 これも始めは順調だったのである。双の武の象徴たる漢嵩を失った事は、二度目だけに双王双処(ソウショ)

達に更に深い衝撃を与え、更に彼ら双国高官には元々戦う意志も術も無かった。

 だがしかし、ここである貴族が。

「こんな馬鹿げた条件があるか!それにまだ我々には賦国が付いている。これで負けた訳では無い」

 と言った事から急に反対派が盛り返し、果てには双国を二分する大論争にまでなってしまったのだ。決断

すべき双王には最早これ以上戦をする意志も気力も無かったのであるが、重臣達の意見を無視する事も統合

する力も無く、ただ所在無く論争に決着が付くのを見守る事しか出来ない。

 反対派の貴族とは、主に親族が北昇に土地を持っている者達である。身近な利害が絡むだけに彼らも必至

なのだろう。

 季笥達も賦国が双国に協力するはずが無いと、今までの歴史を並べ。現に今回も軍勢を出したのは双だけ

ではないかと、説きに説いたのだが。結局は収集が付かないまま、休戦協定の話は棚上げされてしまう結果

に終ってしまった。

 困ったのは壬国である。二万の降兵の扱いをどうするか、このまま放っておけば兵達の間に不平が募り、

下手をすれば再び決起して西砦に攻め寄せる事になるかも知れない。そうなれば、いくら兵達の信任厚い漢

嵩とは言え、彼らを止める事は出来ないだろう。

 古来から兵を養えない将や国は瞬く間に兵の信頼を失い、早々に見限られてしまうと決まっていた。

 兵を食わせる事、これが兵の上に立つ第一の資格なのだから。

 こういった状況の中、壬王壬劉(ジンリュウ)はこうなれば最早北昇を落とすしか無いと決断し、再び王

城へ主だった将軍を集めたのだった。幸いと言うべきかは解らないが、双が休戦協定を入れなかった為、双

国との戦争は未だ続いている事になる。

 先に北昇を落としてしまえば、最早停戦に不服も何も無いだろう。勿論、充分勝算を見込んでの決定である。

 そして司譜(シフ)上将を総大将とし、漢嵩を補佐としての北昇奪取の命が下されたのであった。




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