2-7.両将、戦陣にて会す


 蒼愁(ソウシュウ)達は危なげ無く漢嵩(カンスウ)軍陣内に迎え入れられ、暫し天幕にて待たされた。

 ただ、待たされると言ってもきちんと世話係の兵が付き、用があれば出来る限りの事はしてくれるように

なっている。まあ、監視の役目も同時に受けているのであろうが。かと言ってこうして丁重に扱ってもらえ

るのは、偏(ひとえ)に敵将漢嵩の好意と言えるだろう。

「未だその高潔さは失わず、のようだな」

 司譜(シフ)上将は使者に対する歓待の仕方を見て、ふとそう呟いた。

「そう言えば、上将は漢次将と面識がおありだとか」

 蒼愁もそれに続くようにふと思った事を呟く。通常敵陣に来た使者と言うものは、緊張と使命感で身を震

わせる事もそう珍しい事では無いのだが。しかしこの青年はどうもそう言う感情とは無縁な所があるらしい。

或いはただ単に表情と態度に出ないだけかも知れなかったが。

「うむ、まあ面識があるにはあるが、さほどあるわけでもない」

 司譜は少し複雑な顔をした。

「わしが使者となる事を納得しやすいようにあの場はそう言ったが。わしと漢次将とは個人的に面識がある

訳では無い。外交の使者や式典で互いに数度顔を合わせただけに過ぎぬ。ただ、あの男は常に礼に適い、高

潔な男であった事は確かだ」

 司譜はそれだけを言うと、それきり口を開かなかった。

 蒼愁も司穂(シスイ)も敢えてそれ以上話しをする事をせず、三人とも静かに時を待った。ただ少し張り

詰めたモノがあるのか、司穂だけは乾いた唇に時折水を含んでいた。

「皆様、お待たせ致しました。どうぞこちらへ」

 迎えの者が来たのはそれから少ししてからの事で、三人は実際にはさほど待たされる事は無かった。ただ、

この三人にはその時間がおそらくとても長く感じられた事だろう。

 少しの間が緊張を増大させる事がある。そう思えば、この時すでに外交戦は始まっていたのかも知れない。



 

 蒼愁達は一際大きな天幕へと案内された。

 中には戦場だけに華美なモノは無く、質実剛健とした雰囲気の中、質素な家具が最低限置かれており。そ

こからでも漢嵩の人柄が解るような気がした。幕内には使者に対する礼として武装した兵の姿は無い。

 新たに設置されたらしい机と床机(しょうぎ)には、すでに双軍の主だった将官が座り、蒼愁達が入って

来ると静かに立ち上がって礼の姿勢をとった。勿論彼らも武装していない。

 蒼愁達も礼の姿勢をとる。

 このように対等である事を示す時には、お互いが礼の姿勢をとり合う事が礼儀であり、使者の話を丁重に

聞くと言う意思表示であるともされる。常に礼があれば返礼がある、と言う事ではなく。礼の仕方もまた時

と場合によって自然に変わるモノなのだ。

「司譜上将、ようこそおこし下さいました」

「漢嵩次将、お会いいただき感謝しております」

 そして大将同士が改めて礼を交わし、双方同時に着席する。

「さて、本日おこしの旨は如何に」

「本日は次将軍に頼みがあって参りました」

 漢嵩の問いに対し、司譜が返答する。こういう会談は互いに一番位の高い者同士が話す事になっている。

参謀等が質疑応答を考える事も多いのだが、しかし基本的には互いの大将同士が話す。尋ねもされないのに

部下達が無闇に口出しする事は、非礼の極みであるとされている。 

「ほう、上将軍自らのお頼みとは・・・。一体何でありましょうか」

「はい、率直に申し上げれば、次将軍に進軍を止めていただきたいのです」

「なんと。それでは私に王命に逆らえと、そう仰るのですな」

 漢嵩は驚いた表情を見せた。勿論、そう言われるであろう事は百も承知であったろう。しかしそう言う風

に演技する事も交渉の上では必要な事なのだ。外交も一種の戦である以上、手の内を容易く見せてはいけない。

 それは司譜の側も同じである。

「はい、それが双国の御為、ひいては次将軍と兵の為にもなるのです」

 もっともらしくそう頷いた。

 それから司譜はこの進軍の無意味さを彼らしく余計な装飾を付けず、簡潔に説いた。

 まずこの戦を続けたとしても双国にまったく利益が無い事。それどころか兵と食糧を損じ、有害の極みで

あろう事。そして賦国が思うには、望岱(ボウダイ)が落ち漢嵩が投降した以上、最早双国に畏れるモノは

無く。この戦で双国が疲弊した隙を狙って一気に攻め滅ぼす魂胆があるだろう事。

 そういう事を落ち着いた口調で語った。

 漢嵩も言うに任せ、もっともでありますな、と時折頷いた。

 しかし、と彼は言う。

「しかしそうすると我等は完全な賊軍となり、双王は私を見放し、賦国も我等を放っておかないでありまし

ょう。兵は動揺し、双国からの供給も途絶え、我等は命を失います」

 それに対して司譜は、それも道理であります、と頷く。

「確かに御不安は尽きぬでしょう。言ってみれば現在の双国は賦国に刃を喉元に突きつけられているのと同

じ。ですが、ここでおめおめと賦に従っていても、滅びの道は免れませぬ。よろしいですか、賦が賦族以外

の者と交友する事等、ありえないのです。そして私共には次将軍達の安全を保証出来る術もございます」

「ほう、それは如何なる術でしょうか」

「はい、次将軍方には北昇を差し上げます」

 これには双側の将達から驚きと怒りにも似た声が上がった。何しろ北昇(ホクショウ)とは双の領土なの

である。それを他国人が差し上げるとは何事だろうか。

 流石の漢嵩もこの言葉にどこか呆れたような顔をしている。ただ、央斉(オウサイ)だけが一人、我意を

得たり、と言った風に頷き。そしてそっと漢嵩へと耳打ちをした。

「次将軍、貴方が降れば壬は外交次第で北昇をとる事も不可能事ではありません。北昇であれば確かに安全

であり、兵も充分養えます。何より北昇の民は貴方を慕っており、かの地であれば賦国も容易に攻められません」

「そう言うものか」

「ハッ、民の心さえとれておれば、手はいくらでもあると言うものです」

「ふむ・・・」

 漢嵩は考え込むふりをしながら、軍監役の貴族達を覗き見た。彼の幕僚には三名の貴族が居るのだが、そ

の誰しもが司譜へ向けて侮蔑と嫌悪の視線を送っている。会談中は双方帯剣していないが、もし帯剣してい

たのなら、とうに斬りかかっていただろう。

 それは同時に漢嵩達から意識が離れている事も意味している。

「央斉」

「心得ましてございます」

 央斉は他の幕僚達にそっと目配せを送った。漢嵩の考えは会談前にすでに決しており、今まで問答をして

いたのは軽々しく降ったと言う印象を無くす為と、そして軍監達の動向を窺う為であった。

「司譜上将、深く考慮致したい故、暫し時間をいただけませぬか」

「ごもっともであります」

 司譜はゆっくりと頷き、蒼愁、司穂を連れて一時天幕を辞した。



 

「漢嵩殿、どういう御了見でしょうかな」

 司譜達が去った後、待ちかねていたように貴族の一人が声を荒げた。名を孔延(コウエン)、碧嶺(ヘキ

レイ)の時代から続くと言われる歴史ある孔家の出身であり、双の貴族の中でも地位としては高い。とは言

えそれだけの男である。特に能があるわけでも無く、家格が高い上に大柄で変に度胸があった為、この役に

付けられたにすぎない。

 そう言う意味では、貴族と言うよりも無頼漢と言った方がその姿からしても相応しい。

 その孔延の言葉に漢嵩の幕僚達が不快げに一斉に睨み付ける。殿と言うのは一応敬称ではあるが、対等な

立場な者が使うべき言葉で。如何に貴族とは言え、どう理由があろうと一介の幕僚ふぜいが将軍に対して使

っていい言葉では無い。

 孔延は刺すような視線の多さに、流石に動揺の色を浮かべたが、しかしそれで態度を改めるような事はし

なかった。

「貴方は一度双国を裏切りながらも、双陛下の格別な計らいによって許され、以前と同じく次将軍と言う平

民にあるまじき重職を与えられた。それなのに、また裏切りの算段をしようと言うのですか。貴方と言う方

は真に恥知らずなお方ですな」

 孔延はまるで罪状を読み上げるように声高に続ける。

 実際には賦国から言われるままに漢嵩を次将軍とし、壬への進軍を命じたのであったが。ようするに、何

もかもが賦国よりの命なのである。そこに双王の、いや双国の意志はまったく無い。

「このッ!!」

「止さんか」

 思わず飛び掛りそうになった幕僚の一人を央斉が慌てて諌める。

「まったく、部下の教育もなっておりませぬな」

 軍監達がそれを見て大声を上げて笑った。

 その間にささと一人の兵が漢嵩へ近付き一振りの刀剣を渡したが、勿論彼らはそれに気付かない。

「孔延殿」

 漢嵩が立ち上がり、静かに孔延へと歩み寄る。

「何ですかな、漢嵩殿。ご心配なさらずとも、この事は陛下にしっかりとお伝えしますよ」

 孔延は一際高く笑った。しかしすぐにその笑い声は凍り付く。

 何と言うことだろう。漢嵩がぬらりと光る刀身を目の前に振り上げているではないか。

「なッ、何をなさるおつも・・・」

 孔延は驚愕に口を開いたまま、そのままの姿勢で首胴を真二つに斬り捨てられた。

「私は下賎な平民故、孔延殿の御尊貴なお言葉はあまりに煌びやかすぎて耳に入りませぬな」

「ひぃぃっ!!」

 続いて孔延の後ろに居た残りの貴族の首を、悲鳴を無視するように瞬時に刎ねる。

 血飛沫を上げて更に二つの首が転がった。

「私は壬国へ降る。異存ある者は申し出よ」

 それから漢嵩は刀剣を放り捨て、幕僚達をなぞるように見詰めた。

「心得ましてございまする」

 しかし漢嵩の内心の心配を他所に、幕僚達は誰一人として異存無い様子で一斉に礼の姿勢をとったのであ

る。その中にはさほど漢嵩と央斉とも懇意では無い将も居る。漢嵩達は彼らの離反は覚悟していたのだが、

双国への信は予想以上に失われていたようだ。双と言う国はすでに滅んでいたのかも知れない。

「最早、是非もあらん」

 漢嵩は静かに一つ頷いた。




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