3-2.賦の覇道


 賦族とは戦人の血族と言ってもいい。元は狩猟民族だったようで、馬と弓の扱いにかけては大陸人達を遥

かに凌駕する。体格も全体的に大柄で身長も高く、それが敵となる者に余計に威圧感と圧迫感を与えた。彼

らが集団となって猛り襲いくる様は、まるで鬼神の群れが如きである。

 馬も壬の山馬程では無いが、大きめな体躯をしており。賦族に伝わる独特の飼育法によって、その体力も

持久力も他国の馬とは比べ物にならないという。その上、馬数も五国家一を誇っている。それが賦国の恐る

べき機動力を可能としており、行軍の速さでは壬の黒竜すら上回るとも言われていた。

 正に大陸最恐の名に相応しく、今では賦軍が来ると言うだけで逃げ出す者もいる程であった。

 賦国の正規軍は他国と同じく国守神の名をとって、黄竜と呼ばれる。黄金色の鎧に身を包み、絢爛なる事

この上無い。勿論全員が全員共、本物の黄金に身を包んでいる訳では無いのだが、日に美しく照り返される

と、正真正銘の黄金の海を思わせる。それが常世の光景を思わせる為、他国人は恐怖と蔑視を込めて死神と

呼んだりもした。

 今では賦族への恐怖は年齢性別の差も無く、等しく大陸人たちの胸へと浸透している。

 その黄竜の一軍が壬国へと向かっているのだ。

 率いる将の名は紅瀬蔚(コウライウツ)、賦の上将軍であり彼は本物の黄金鎧を纏っている。派手好きで

酒と自慢の槍を愛し、好敵手の存在こそ望んでいる。故に、現在の他国の臆病ぶりがどうにも気に入らない

らしい。彼は種族問わず、勇猛果敢な武人を好むのである。

「壬の兵は精強だと言う噂だが、昨今の大陸人達は皆腑抜けで困る。さて噂通りの武辺者であろうか」

 年齢は四十前くらいであろうか、心身共に脂が乗り切っており、意気盛んに馬を飛ばしている。彼の兵達

も将に負けじとばかりに必死でそれに喰らい付いて行く。

 楓仁(フウジン)等の名立たる騎手を除けば、その行軍速度はなるほど黒竜も及ばないかも知れない。美

しくも激しいその流れは、正に天兵襲来。轟音は山をも貫く。

 すでに壬国との境界線である山地がこの一軍からすぐそこに見えている。この人馬の奏でるおそらく地

上で最も恐るべき調べは、すでに壬国へと届いている事だろう。

「駆けよ駆けよ、我らが前を遮るモノは無し!!」

 紅瀬蔚が叫びながら紅く染められた愛槍を天に掲げる。

 するとそれに呼応する雄叫びが全軍から怒涛のように発せられた。それは人馬の奏でる轟音すら更に上回

り、地を響かせる唸りとなって辺りを賦一色に染め上げた。

 賦族の人馬ならば、壬への山道すらものともしないであろう。



 南砦は俄かに沸騰していた。

 あの独特の唸りが聴こえてきたのである。賦軍到来を告げる、あの唸りが。

 山道は険しく、曲線に覆われているので、まだこの砦まで来るには暇があるだろうが。しかしもう距離的

にはすぐ近くである。壬兵達は皆決死の覚悟を表情に表していた。死兵に対するにはこちらも死兵となるし

かないからである。

 この点、守将である布周は見事としか言いようが無い。彼は良く兵達の心を捉えていた。

 しかしかといってそれで安心出来ると言う訳でも無い。いざ賦軍を目の前にすれば生半な覚悟など消し飛

ばされてしまう可能性もあるからだ。彼らも何度と無く賦軍と戦ってはいるのだが、その恐怖は何度戦おう

と、何度追い返す事が出来ても遜色する事はなかった。

 賦族にはそれほどに圧倒的な何かを感じるのである。それは勢いと言い換えても良いかも知れない。

 山道も平道も、狭くも広くもまるで関係無く、ただ無心に賦軍はこの砦に突進して来る。兵法も何も無く、

ただそこにあるのは圧倒的な勢いだけである。しかしだからこそ恐ろしい。彼等に敵する者は身も凍る程

の恐怖と圧迫感を味わうのだ。

 色褪せないのは、その度に新しい恐怖を味わってしまうからかも知れない。

「弓隊、射撃準備!!」

 布周は首筋を流れる汗を拭おうともせず、全てを撥ね退けるが如く、その声を喉が破れるくらいに張り上

げた。



 山道に蹄音が木霊している。

 視界を確保する為に敢えて山道付近の木々や草を切り倒してある為、砦からでもはっきりとその姿が見えた。

 陽光に輝く夥しい程の黄金色、賦の黄竜である。

「弓隊、一斉射撃!!」

 布周の掛け声と共に規律正しく太鼓が鳴らされ、その太鼓の音に応じて弓隊が一斉に矢を放つ。正に矢の

雨が黄竜へと突き刺さった。

「怯むな、行け!行けい!!」

 黄竜の先陣を駆る紅瀬蔚が南砦から聴こえる太鼓よりも大きな声で、全軍を叱咤する。そして自ら矢の雨

の中を怯む事無く突き進む。何度も矢が襲い掛かったが、しかし彼の黄金の鎧がその全てを弾き返し、彼の

奮う槍が尽く矢を斬り落した。

 そして兵卒達も大将の奮迅に負けじと、一斉に速度を上げる。細い山道を黄金の塊となった黄竜が正に一

丸となって砦門へとその身を叩きつけた。

 その度に轟音が悲鳴のように門から発せられる。

「布周様!布周様!?」

「慌てるのではありません!!」

 布周は慌てふためく付近の新兵達を一喝した。

 いつもながら黄竜の猛攻は凄まじい。簡単に門が開く訳では無いのだが、その一撃で破壊されてしまっ

たかのような錯角を起こす程、派手な轟音が砦内にまで響き渡る。

「戦況を報告しなさい」

「ハッ、黄竜は二千を前衛部隊とし、更にそれを百騎毎に分け、次々と交代しながら砦門へと波状襲撃をか

けております。こちらも弓で応戦しておりますが、何分効果は薄く・・・・」

 守将室に居ても、黄竜の怒涛の如き勢いは聴こえて来る声で解る。これほどの猛攻は弓矢如きでは止まる

まい。

「落石準備!」

「ハハッ!」

 伝令兵は布周の命を伝えるべく、すぐさま守将室を駆け出て行った。

「安心なさい。あれはただの脅しでしかありません。この南砦の門が、あの程度で破砕される事は無い」

 布周の周りに居る近衛兵には敢えて新兵達を多数配してある。何故ならば、無闇に新兵を前線に出すとす

ぐに恐慌を起こしてしまい、それがきっかけで見る見る崩れ落ちてしまう事が戦場では少なく無い。それを

防ぐ為に、敢えて鼓舞しやすく制御しやすいよう自らの近くに置いているのである。勿論それが出来るのは、

布周の統率力あっての事だ。

 戦と言うモノも人間が行う以上、所詮は気力であり、心の勢いがその全てを支配するものなのだ。

 布周の洞察した通り、この黄竜の猛攻も守備兵の気力を削ぐ為の脅しに違いは無かった。いくら派手な音

を立てようと、怒声が木霊しようと、たかだか人馬の力如きではこの重厚な南砦の門は壊されまい。

 この門には建国以来の実績もある。

 しかしそう理性が告げても、やはり怖い。 

「さあ、我等も賦に負けてはおれません。声を上げ、気を奮うのです」

 布周は全兵に腹の底から声を発するように命じた。人の萎縮を払うには腹の底から声を発するのが一番で

ある。不思議な事に人間と言うものは、声と共に内なるモノも吐き出されてしまうようだ。

 例えば大声を上げ思う存分歌えば、多少の苛立ちも吹き飛び、とてもすっきりした気分になる。

 そして更に大声には人間に勢いを生む効果もあるのだ。

「黄竜なにするもの!何度でも追い返してあげましょう!」

 そう、南砦は何度もこの黄竜の猛攻を防いでいるのだ。

 そして布周は兵を鼓舞する為に弓兵達の元へと向かった。手には勿論愛用の弓を持っている。あわよくば、

これで敵将を射抜いてやろうと言う思いであろうか。

 戦を一刻も早く終らせる事、それのみが今の彼の願いであるだろう。




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