3-3.賦勢、未だ満たされず


 南砦に動きが見えた。

 城壁の上に弓兵に代わって、大きな丸石が現れたのだ。南砦へと続く道は山道であり、南砦は丁度山頂と

も言える高地に造られている。そうなると、当然道は賦軍へ向かって砦から下り坂になっている事になる。

「これはいかぬ。皆の者、一時後退せよ!!」

 紅瀬蔚(コウライウツ)は慌てて兵達に後退を命じた。しかし如何せん狭い道であり、騎馬兵である事も

手伝って、流石の黄竜も俊敏に後退とは行かなかった。

「落石投下!!」

 砦からは太鼓の鳴る音がする。

 そしてその音と共に、今正に大石が落とされ、みるみる迫って来ているではないか。

 紅瀬蔚も指揮する為に最前線へと突出している。

「ええい、馬を捨てよ!!」

 紅瀬蔚は忌々しそうにそう叫ぶと、逸早く馬からひらりと降り、道外れまで転がるように駆けた。

 轟音が響き、彼の傍を大石が唸りを上げて転がって行く。彼の部下と馬達を無慈悲に、ただ惰性のまま転

がるままに押し潰しながら。轟音にかき消されているが、今も悲鳴や怒声がそこかしこで木霊しているに違

い無い。

「不覚をとったか・・。後退!早う後退せい!!」

 紅瀬蔚は態勢を整えるべく生き残った兵達と共に、徒歩のままで素早く撤退して行った。

 南砦へ続く山道上に布陣している後衛の本隊も、この分であれば少なからず被害を受けているであろう。

紅瀬蔚は今更ながら壬の砦の強固さを思い知り、そして黄竜の進撃が何度も跳ね返されているのにも納得した。

 しかし諦めた訳でも無い。むしろ楽しいと思える程、気分が高揚していくのを感じていた。これでこそ、

わざわざこの進軍の将を王に願い出た甲斐もあったと言うもの。

 この紅瀬蔚、以前は対双国将軍としてあの漢嵩将軍と戦っていたのである。だが、漢嵩自身が投降すると

言う事態になり、言わば不戦勝と言う煮え切らない結果に終ってしまった。その憂さ晴らしと、長年の攻

城戦の経験を買われ、今回特に請うた上で王に南砦戦の将を認可されたのである。

「我が敵手と認めたり」

 紅瀬蔚は後退しつつも、不敵な笑顔を見せている。

 自ら請うた以上、何よりも結果を出す必要があるのだが。しかし彼にしてみればそんな事は問題では無か

った。自分の才の全てを込めて一心に戦えるかどうか、それのみが大事なのであろう。勿論、その裏には王

の期待に応えたいと言う欲求も含まれている。



 一方南砦には歓呼の雄叫びが木霊していた。

 何しろ前哨戦とは言え、確かに勝利したのである。これが嬉しく無い訳が無い。山道上には押し潰されたまま

の肉塊が放置されており、それを見るとあまり良い心持もしないのであるが。敵兵と敵馬だと見れば、また

違うと言うもの。残酷と言えば残酷かも知れないが、壬兵から見れば確かな勝利の証であり、祝福すべき事

であった。

 ただ、戦後には出来うる限りきちんと弔いたいとは誰もが思っている。死んでしまえば敵も味方も無い。

「布周大長、敵は後退して行きましたぞ」

「ええ、しかしまだ諦めた訳では無いでしょう。彼らは何度でもやって来ます。諦める事を知らないのです

から・・・。・・・・石は後どれくらいありますか」

「ハッ、後二度くらいは使えると思われます」

「そうですか」

 落石、と言うよりも転石だが、は効果的である事は間違いは無く。時に千を越える程の死傷者を出す、原

始的でも凶悪極まりない兵器なのだが。しかしその石そのものを準備するのがなかなかに大事であり、短期

間にそう何度も行える策でも無かった。

 後の事を考えれば、石を全て使ってしまう訳にもいかないだろう。賦の襲撃はこの一戦だけでは無いのだ

から。後二度使えるとしても、出来ればこれは温存しておきたい。

 だがおそらく次はもっと本格的に攻めてくるのだろう。賦には攻城兵器も多い。何しろ兵器開発にかけて

は賦族に一日どころか、千日の長がある。その上、国力も強大で民は無償でも働くと聞く。同族のみの国家、

その一枚岩の絆は敵とすればこれほど難儀な要素は無い。

「とにかく援軍が到着するまでは、なんとしても耐え抜かねばなりません」

 その為にも、ただの弓矢ではさほど効果が無い事は実証されたので、布周(フシュウ)は弓兵達に火矢の

準備をさせた。そして自らも城壁の上に立ったまま、静かに眼下を見下した。次の襲撃もそう遠い後でもあ

るまい・・・。



 半時程経ったであろうか。

 南砦を包む刺すような緊張の中、再びあの唸り声が聴こえて来たのである。それはつまり黄竜の襲来を意

味する。その唸り声は全てを覆す程に強く、正に全面それ一色に染まったように、或いは聴覚が唯一それの

みに反応するように。抵抗が出来るはずも無くただ鼓膜を震わせ、恐怖で守備兵達の身を縮めさせた。 

「あれは何だ!?」

 守備兵が迫り来る見慣れぬ物を見付け、叫ぶ。

 それは梯子車とでも言うべき物で、城壁を登る為の梯子を木板で囲って車輪を付けた程度の物に過ぎない

が。それでも一般的に城壁を登るには単純な梯子しか無かったこの当時、不気味な事この上無い物であった。

木板と言っても矢くらいはいくらでも防ぐ。その様はまるで塔が攻め入ってくるようにも見え、守備兵から

すれば圧倒的ですらあった。

「賦の新兵器でしょう。火矢の狙いをあの塔へと集中!全兵一斉射撃!!」

 布周の叫びに応じ、高らかに太鼓が鳴らされ、それと共に弓兵達が準備しておいた火矢を一斉に放った。

その半数近くは梯子車を守る木板に弾かれたものの、もう半数程はしっかりとその板に突き刺さり、少しず

つではあったが暗い煙を上げて、その木板を燃やし始めた。

 しかしそれくらいでは梯子車の進行を食い止める事は出来ない。その身を燃やし、焦げ臭い煙を上げなが

らも、梯子車はそのまま怯む事無く城壁へと派手な音を立ててぶつけられた。

「くッ、白兵準備!!」

 布周は自らもすぐさま弓を捨て、剣をすらりと抜き放った。部下に何かを命じる時、こうしてまず自らが

それを示す方がその命が伝わりやすい。平時であるならそこまでする必要も無いであろうが、何しろ今は戦

時である。すべては一刻を争うのだ。 

 そしてすでに梯子車から三名程の敵兵が城壁へと乗り込みつつあった。梯子車は3つ、内一つは火の周り

が早く、幸いにも使い物にならなくなったようだ。

 布周は手近にあった正面の梯子車へと向かう。

「つあッ!!」

 剣一閃、敵兵をよろめかせておいて気合と共に蹴り落とす。次いで梯子車をも蹴り倒そうとしたが、如何

せんこれは人一人の力ではどうにもならなかった。

「布大長、お下がり下さい!」

 振り返ると数人の守備兵が大きな丸太を抱えている。これで突き倒してしまおうと言うつもりなのだろう。

梯子車の強度自体は木板を張ったに過ぎない。これでも充分押し貫けるであろう。

「解りました。こちらは頼みますよ」

 布周は後をその数名に任し、最後の梯子車へと向かった。



「紅瀬上将、梯子車はまだ改良の余地がありそうですな」

 一人の将が紅瀬蔚へと近付いてそう言った。

 この男も紅瀬蔚程では無いが、鮮やかな黄金色に身を包んでいる。紅瀬蔚の副官、白晴厳(ハクセイゲン)

である。豊かな髭が思慮深そうにゆったりと焦げ臭い風に揺れていた。

「仕方あるまい、実戦で使用するのは初である」

 紅瀬蔚はやや不機嫌そうに呟く。丁度その時、三体目の梯子車が倒れ落ちる轟音が響いた。画期的な兵器

であるが、やはりまだまだ使い勝手、強度等の点において不満が多い。城壁の上に数名の兵が上れただけで

も、今までとは比べ物にならない戦果を得たとも言えるが、かといってそれだけでは大勢に変化が無い。

「しかしよう戦う。流石は我等を何度も追い返しただけの事はある」

 紅瀬蔚は思わず唸っていた。

 畏怖の象徴とも言える黄竜があれだけ攻め立てても、落ちる所か士気が衰えもしないとは、よほど守将の

力量が高いと見える。何よりこの山道が彼等の行動の一切を阻む、このまま単純に攻め立てていても結果は

今までと大きくは変わるまい。

 現に今でも、攻めているこちらが息切れを起こしそうな具合なのである。

「このままでは埒があかん、もう一つの切札を使うとしよう。白晴厳、後の指揮を頼む。わし自らあの部隊

を率いて、打って出る事にする」

「なるほど、あれをご使用なさるのですか」

「うむ、あれも同じく実験を兼ねてになるのが口惜しいが、致し方なかろう。望岱とまではいかんが、この

砦もなかなかに強い。やはり戦の本質は人よ、兵の質が双などとはまるで違う」

 紅瀬蔚はそう言いながら、悔しそうな、それでいて嬉しそうな独特な表情を浮かべていた。ただ言える事

はとても落ち着いており、焦燥というモノは一切彼からは感じられなかった。彼はどんな時もうろたえる事

が無く、堂々としている。それが彼を上将軍までにさせた理由なのであろう。

 この白晴厳も紅瀬蔚に全幅の信頼を置いている。考える必要も無く了承し、後はそれを効果的に使う為の

作戦を二人で練った。

 戦況は現在、弓兵同士の射撃戦となっており。腕ならば黄竜の方が上であるが、しかし砦の高低差のおか

げで敵守備兵とは五分五分の戦いを繰り広げている。

 正攻の均衡を崩す為には、奇、つまりは決め手となる鮮やかな一手を打ち出す必要があるだろう。




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