3-4.黄竜精鋭


 南砦攻防戦は更に激しくなっていたが、しかし全体としての戦況から言えば膠着状態と言って良く。ただ

黄竜と黒竜の使うニ種の独特な色の矢羽根が、戦場を途切れる事無く飛び交っていた。勿論黒の矢羽根が黒

竜、黄の矢羽根が黄竜の物である。

 両陣営とも多少の被害はお互いに与え合っているものの、しかしどちらも決定的とも言えず、このままで

は無意味な消耗戦となるしかなかった。驚く事だがこの小一時間程、互角の射撃戦が繰り広げられている。

「・・・・何と言う弓の冴えでしょうか・・」

 南砦を守る布周(フシュウ)もただそう嘆息するしか無かった。何度見ても驚かされる。砦上と砦下の弓

撃戦が対等になるなどと、一体誰が想像出来るだろうか。それはつまり敵側の射程距離はこちらの倍近くは

あると言う事を意味するのだ。

 しかしこちらの射程最長距離から、理不尽にも鋭い矢音が此処まで飛んで来ている事も事実。おそらく腕

だけでは無く、弓自体の差もあるのだろうが。それにしても弓矢に多少でも覚えがあるものなら、きっと一

目で自信を失ってしまう事だろう。

 布周以下、賦との守備戦を体験している者ならもう慣れてはいるが。初顔合わせとなる新兵達は不安を隠

しきれない様子である。現に先程から布周が絶えず鼓舞していなければ、すぐに崩れ去ってしまうかも知れ

ない状態に見えた。

 幸い新兵と言っても戦場経験者が少なくは無い為、何とか戦えている。これが黒竜でなければ、とうに彼

らは戦力外どころか、大いに足手まといとなっていただろう。

 今、彼は兵を纏める事もあり、一時守将室まで戻っている。

「矢の残りは?」

「はい、予想よりも矢の消費が激しく。このままでいけば、後数日持つかどうかと言った所です」

「そうですか・・・・。兵達にはそのまま続けるように伝えて下さい」

「は、よろしいのですか」

「ええ、今は仕方がありません」

「ハッ!」

 伝令兵は常の通り、即座に守将室を駆け出て行く。彼等だけは戦況はどうあれ、その激務である事は変わ

らない。だから常に砦内は彼らの足音が木霊していた。それが戦中の証であるとも言え、その音律が不思議

な波紋と戦時の覚悟を人の心へと与える。

「このままでは・・・」

 伝令兵には穏やかな声で命じ、終始落ち着いた態度を崩さない布周ではあるが。その内心はまったくの穏

やかではいられなかった。何しろ今回の戦は以前のものとは違い、その士気は同じでも意気込みが違うよう

に思える。未だかつてこれほどの射撃戦を繰り広げた事も無かった。

 流石の布周にも、ともすれば突如叫び出したくなるほどに、焦燥の念がじりじりと浮き上がって来ている

のをひしひしと感じさせられる。

 だが彼に出来る事は、ただ現状を維持するのみであった。そんな消極的な姿勢では士気に影響が出ないと

も言えないとはいえ、他に攻め手が無いのも事実である。現在の南砦の兵力では、この砦から一歩として外

へ打ち出る事も不可能であった。

 今の黒竜側には戦況を変える鮮やかな一手と言うものがないのである。

 ただ布周には、いや砦の守備兵達には一刻も早く援軍が到着する事を祈るだけであった。

 しかし黄竜側にもそれを待ってやる道理は無いのである。



 守備兵達の祈りも虚しく、やはり賦側は悠長に待ってはくれなかったようだ。何しろそれが現れたのは、

彼等の祈りが天へ届く間も無いと思えるほど、それほどに間もない事であったからである。黄竜の運用、

展開の速さにはただただ舌を巻くしかない。

「強弩隊、進軍せよ、疾く配置へ付け!!」

 黄竜の弓兵隊が割れ、その後ろから畏怖すべき兵器を持った部隊が姿を現したのである。それを率いるは

黄金の鎧に身を包む紅瀬蔚(コウライウツ)、陽光が煌くように反射し、まるでその鎧自体が発光している

かのようにも見えた。それは神々しくさえあった。

「あれは・・・!?」

 しかし布周にはそのような感慨に囚われている暇は無かった。何しろその新しく現れた部隊の手にしてい

るのは、彼が見知った物とは違えども紛れも無く弩に違いなかったからである。あの四国家を賦の建国以来

悩ませ、多大な被害を齎した、悪夢の弩兵部隊。

 布周の背筋に緊張と共に悪寒にも似たモノが走った。

「弓兵隊を後退させなさい!」

 伝令に伝える暇も惜しみ、自らも再び守将室から城壁上へと駆け出す。守将室から戦場は一望出来るもの

の、流石に戦時に声までは城壁へ届かない。

「あれに比べれば我が隊の弓隊と言えども、ひとたまりも無い・・」

 布周は冷汗も凍り付くような悪寒が途切れる事は無かった。今は翼の無い自分の身体が憎い。後退を太鼓

で伝えもしているが、拠点守備兵が後退などと聞いた事が無く。それに城壁の上から鮮やかに砦内に収容、

等と簡単に行く訳も無かった。やはり布周自らが陣頭指揮をとらねばならない。だが、間に合うかどうか。



 紅瀬蔚は一時長弓隊の射撃を停止させ、代わりに強弩部隊を前に出させ展開させた。強弩とは文字通り弩

を改良し、その貫通力、射程、精度を更に高めた賦の最新鋭の兵器である。まだ千程の実験機しか出来て

はいないが、これが完成、実戦配備されれば目の覚めるような戦果を上げるに違い無かった。

 だがこの強弩を活かすには長弓隊よりも更に砦に近しい場所に行かなければならない。流石に長弓程の射

程を得る事は、その矢の軌道上実現出来なかったからである。しかし賦の黄竜にはその程度の事はまるで問

題は無い、彼らが初めから矢の雨等恐れる訳が無いのだ。

 現に砦へ近付いた事により、敵の矢の命中精度も上がり、傷を負う兵の数も増えて来ているが。その士気

は衰える事を知らない。

 騎馬のように俊敏な加速力も無く、強弩兵は速度から言えばお世辞にも高速とは言えない。強弩自体の重

さも、従来の弩よりも重くなってしまっていた。まだまだ改良の余地はあるだろう。だがその程度では賦族

の覚悟を抑える要因にはならないのである。

「強弩隊、狙え。疾く疾く狙え、強弩の力を奴等に見せ付けてやるのだ!」

 紅瀬蔚は自身に降りかかる矢の群れに構おうともせず、雄々しく立ち、声を大にして自慢の愛槍を軍配の

ように掲げていた。その黄金の鎧でほとんどの矢を弾いてはいたが、しかしじっと立ち尽くしている為に少

しずつ怪我も増えている。だが彼はまったく怯む様子が無い。

「強弩隊、撃てい!!」

 そして勢い良く槍を振り下ろした。

 それに応じ、強弩隊から一斉に矢が放たれる。それは弓から発せられた物とは桁違いの速度で、まるで大

気を切裂くかのように真っ直ぐに空を走り、甲高い独特の音を叫びながら守備兵達へあっという間に吸い込

まれて行った。

 刹那、守備兵達から悲鳴と怒声が混じり合い、嵐の夜のような音が聴こえてきた。そして城壁の上を埋め

尽くすかのような弓兵の群れがまたたくまに倒れ倒れ伏し、黄竜の視界から消えて行った。その中の運の悪

い者は城壁から地上へ落ちる姿も見えた。

「ふははははは、愉快愉快。強弩隊、休むな!ありったけの矢を奴等に射ち込んでやるがよい!」

 強弩隊から更に何度も矢が発せられる。最早守備兵達は混乱の極みにあり、実質壊滅したように見えた。

「この戦、勝ったぞ!!」

 紅瀬蔚は高らかに笑い、そしてその勝利を確信していた。



「これは・・・・不味い事になりましたか・・」

 布周が懸命に傷兵達を収容させ、何とか弓兵達を持ち直そうとしているが、しかし最早いつ壊乱してもお

かしくは無い状況に陥ってしまっていた。何しろ千近い兵達が一瞬で射貫かれてしまったのだ。これに恐怖

を覚えない者などいようか、そしてその恐怖から逃げ出さない者が一体どれほど居ると言うのだろう。

「・・・・・・・・」

 この一手であれほど高まっていた士気は無惨に消え去り、この砦をただ恐怖だけが支配しようとしている。

敗北、その二文字が初めて布周の脳裏に浮かんだ。こんな状態ではもう守備線を維持する事はいかな彼でも

不可能であろう。後は賦軍に押し切られるままに、この砦ごと落とされてしまうに違い無い。

 だがそんな時、彼の耳に場違いなように明るい叫び声が聴こえて来たのである。

「楓仁竜将、到着、到着!!」

 布周はその声で兵の士気と自らの心が再び高まるのを感じた。

 そう、ついに楓仁(フウジン)率いる援軍が南砦へと到着したのである。




BACKEXITNEXT