3-5.黒竜の意地


 楓仁(フウジン)竜将が彼に何とか付いて来れた兵百名程と共に南砦に到着した時、戦況は彼の予想を越

えて明らかに不利であった。砦内は怪我人の収容と状況把握の為にごった返しており、誰の顔にも疲労と恐

怖の色が見える。そしてそれは遠方から駆けつけた楓仁達よりも更に深いと思えた。

 しかし援軍が到着したと言う吉報は、少なからずその守備兵達にも希望を与えたようで、楓仁が守備兵の

側を通る度に彼らは歓呼と笑顔を向けてくれた。

 ただ驚くべき事に、すでに二千近い負傷者を出しているようであり。その中の五百程は死を予感させる重

傷であると言う。未だかつて、例え賦の黄竜が相手でも一戦でこれほどの被害を受けた事は無かった事を考

えれば、これは後々まで深く影響が出るかも知れない。

「布周、ご苦労だったな」

 守りを任せていた布周大長の顔にも疲労が色濃く見える。彼がここまで消耗するとは、やはり並々ならぬ

猛攻であったのであろう。

「楓竜将、申し訳ありません。すでにかなりの負傷者を出してしまいました」

 布周は本当に申し訳なさそうに頭を垂れつつ、深く礼の姿勢を取り、合わせた両手を高く掲げた。両手を

高く上げれば上げる程、相手に対してそれだけ大きな敬意を払っていると言う事になる。

 例えば軍位が同列の者には胸元で両手を合わせるだけだが、王には頭の上まで両手を掲げる。礼、と一口

に言っても数多の種類があるのだ。この大陸に住む者はまずこの礼の姿勢から教え込まれると言う。それほ

ど大事なモノであり、またそれはそれだけ頻繁に使うと言う事も意味されている。

「仕方あるまい。それにお前だからこそこれだけの被害ですんだとも言える。何しろあの弩部隊を出してき

おったのだからな。布周よ、苦労であった」

「・・・・・・・」

 布周は何も言えず、礼の姿勢を取り続ける事でその意を示していた。この状況での上官からの暖かい言葉

は何よりもありがたく、また救われるような気にもなる。

 たかだか二千人と思われるかも知れない。確かに時には数万と言う死傷者を出した大戦もあり、それと比

べれば如何にも少ないかも知れない。だが、その一人一人はただの人数では無く、意思ある人なのだ。その

家族、友人達は彼らの負傷と死をどれほど哀しむだろう。そして一番の働き手である男達を亡くしたその家

族は、その後多大な苦労を強いられるに違い無い。

 例え国から多少の慰撫金を支払われたとして、そんなもので彼等を失った穴が埋められる訳は無い。幸い

二千人が全て死者と言う訳でも無いが、国にとっても大変な痛手である。二千人はたかが、ではすまされな

い人数である。

 戦争では数千などと言う死傷者が出ようものならば、それは紛れも無い大敗なのである。特に貧しい壬国

であれば尚更その負担は深く、後々まで影響するに違い無かった。

 だからこそ布周はその責任を重く受け止めているのである。

 だが恐らくは誰も彼を責められまい。何しろ相手があの賦の誇る弩兵隊である。誰が指揮をしていても、

多大な犠牲を払った事は疑いようも無く。その事実で誰かが救われる訳でも無いが、その事自体は皆何とか

割り切れるであろう。例え時間はかかっても。

「しかし新兵器とはな・・・・、賦め、それほどに我等を滅ぼしたいか」

 楓仁は守将室から賦の強弩隊を見下ろし、吐き捨てるようにそう呟いた。

 賦族の歴史を考えれば、それも納得せざるを得ない部分もある。確かに賦族は大陸人を何処までも憎む理

由があった。そして実際に大陸人達にも大きな罪がある、それは重く受け止めなければならない。だがしか

し、それで賦の暴挙を甘んじて受けなければならないと言う事には決してなるまい。

 これは加害者側の勝手な解釈と言われるかも知れない。だが一つだけ言えるのは、大陸人のやり方は間違

っていたが、今の賦族のやり方も間違っていると言う事である。

 間違っている事はどこかで止めなければ、おそらく永遠に間違ったまま終わり無く繰り返されて行く。親

と祖先の徳も罪も等しく受け継ぐ、例えそれがどれほど理不尽なモノであろうとも。そして時にはそれを止

め、罪を受け止め、新たな関係を生み出す事が、今生きる者の使命であり、そして責任でもあるのだ。

 少なくとも楓仁はそう考えている。

 何より、こちらも甘んじて滅ぼされてやる道理も無いだろう。弱肉強食が世の常ならば、賦族が力で来る

のならば、耐えて守り、守り考え、そして未来に和平を望む。それが楓仁の願いであり、そしてそうする事

が楓家に生まれた者の宿命であるとも思っている。何故なら楓家の祖とは、あの・・・・。

「楓竜将!!」

 伝令兵の叫び声で楓仁は我に返った。気を抜いた訳では無いが、少し考え込んでしまっていたらしい。

「敵強弩部隊の第二波により、更に死傷者が出ております」

「・・・・・・そうか。お前達は敵よりも負傷者の収容を優先せよ。後はわしが時間を稼ぐ」

「ハッ!」

 現在は布周から楓仁へと全権が返されている。

 楓仁は気合を入れ直すように頬を一つ張ると、彼の手勢を呼んで自らも砦門へと向かった。今身近に居る

のは百名程度とは言え、楓仁の行軍にも付いて来れる精鋭の集まりである。彼等との付き合いは自然長い、

楓仁の呼吸も良く心得てくれている。戦支度もすでに終え、楓仁の号令を今か今かと待っている事だろう。

「我等は黒竜!それを常に忘れるな!!」

 楓仁の鼓舞の一声に、高らかな声が続いた。そして楓仁は次々と命を出し、砦の門を開かせた。 



 けたたましくすら感じる大音が戦場に響いた。それは人の起こすあ

らゆる音をかき消す程に重く、脳髄に まで轟く。

 南砦の門が開かれているのだ。

 紅瀬蔚(コウライウツ)はまず、血迷ったか、とそう思った。何故ならば砦や城の門と言う物は、その構

造上まず素早く開閉は出来ず、いくら懸命に働いてもそれを嘲笑うかのように真にゆっくりとしか動かない。

城よりは小さい砦の門とは言え、規模の大きなこの南砦ではそれは尚更であるはずだ。

 しかしそれが開けられて行くのである。しかも先程強弩隊が大打撃を与えたばかりのこの情況で。ひょっ

とすれば投降するのかとも思ったが、それはしかし考えられまい。例え守りきれないとしても、撤退する時

間くらいは稼げるはずだからである。未だ砦自体は落ちてはいない。

「射ち方止めい!」

 紅瀬蔚は迷った。迷った上で射撃を止め、静観する事を計らずも決断してしまった。彼はここで門へと突

進するべきだったかも知れない。或いは強弩を一斉に射ち込むべきであっただろう。だが良将故の警戒心と

も言うべきものがそれを邪魔をしてしまった。長い戦場経験が逆に仇になってしまったのかも知れない。

 また、彼には何が起きてもどうにか出来ると言う、屈強の賦族故の自信が濃厚にあった。それが時に些細

な油断となってしまう事もよくある話ではある。

 ともかく彼は躊躇してしまった。そして賦族側は壬に援軍が到着した事を未だ知らない。

「・・・・・・・」

 黄竜達は珍しく静かにそれを待った。何を待っているのかと言われれば、それを明確に答える事は出来

ない。ただ彼らにはこれから何かが起こると言う事が、勘のようなもので解ったのである。だから固唾を飲

んでそれを待っている。幸か不幸かは解らないままに。

 開門によって引き起こされる薄い砂塵の幕がゆっくりと晴れていった。

 そして代わりにそこから覗いたのは、底光りするかのような黒く鈍い輝き。そしてそれを払拭するかの如

き、巨大な体躯。

「我に続け!!」

 一喝、それを合図に黒巨馬の群れが駆ける。そして見る見る内に黄竜の布陣との距離が詰まって行った。

「あ、あれは・・・・」

 古参の黄竜が一人、うめくように声を上げる。

「く、黒き修羅じゃあッ!!」

 その瞬間、意味の通らない不規則な声が黄竜達の間を木霊した。あろう事か、最恐たる黄竜が恐れている

のである。そして迫り来る巨馬には確かに人を怯ませる圧倒的な圧力があった。なんと言う巨大な馬であ

ろうか、賦ですら見た事も無いような恐るべき悪魔の馬である。

 その名を黒桜(コクオウ)、壬の誇る楓仁の愛馬。

「くおおおおおおおおおおおッ!!!」

 そしてその巨馬上の黒者が雄叫びを上げ、手にした長大な槍を振るった。瞬く間に無数の不幸者の首が

飛び散らされる。

「あれが・・・噂に名高い壬の修羅か・・」

 その剛勇は賦族から見ても圧倒的であり、畏怖するに足りた。正にそれは一個の戦鬼である。しかし例え

神であろうと鬼であろうと、それに怯むようであれば賦の将軍は務まらない。

 紅瀬蔚は一瞬の硬直から解けると、修羅に負けじと高笑いした。そして自らも槍を一振りし、馬を駆け出す。

「紅瀬上将!」

 副官の白晴厳(ハクセイゲン)が静止の声を上げるが、一度走り出した紅瀬蔚は止まらない。彼の乗る馬

も賦自慢の駿馬である。すぐさま修羅と対峙する位置に着いた。

「我は賦の上将軍、紅瀬蔚。壬の楓竜将と御見受けした。一手ご所望願おう」

 そして修羅へとその愛槍を突き付けた。これは一騎打ちを申し込む時の作法である。応えるならば、相手

側はその槍に自らの槍先を合わせる。大将が一騎打ちを挑むとは戦場でも考えられない事であるが、紅瀬蔚

はこのような猛将を見ると、もはや彼一個の武人の血が猛ってたまらないのであろう。

「貴殿があの紅瀬上将か。これは是非も無い、喜んでお受けいたそう」

 それは修羅こと楓仁も同じらしく、堂々と受け、その槍先を合わせた。

 こうして奇異にすら見える、大将同士の一騎打ちが始まったのである。こんな事が起こるのは、おそらく

かの碧嶺(ヘキレイ)の時代以来であろうか。さて、天運はどちらに傾くのか。




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