3-6.黒き修羅、蒼天に舞う


 土煙の舞う中二騎が対峙し、まるで猛獣がこれから噛み合わんかと言う緊迫感で戦場を覆う。一人は黒き

鎧に身を包んだ壬の竜将軍楓仁(フウジン)、もう一人は黄金の鎧に身を包む賦の上将軍紅瀬蔚(コウライ

ウツ)。他の将兵達も今はその手を止め、食い入るように周りから大将達を見守っていた。

 二騎とも槍を得手としている所は変わらない。しかもどちらも長大な大槍である。ただ楓仁の方が馬の体

躯の違いであろうか、一回り以上も大きく見えた。黒くさざなみ燃え上がるような毛並みの巨馬黒桜(コク

オウ)程の馬は、流石の賦国でもお目にかかれないようだ。山馬特有の荒々しさ、猛々しさは草原馬の比で

は無かった。

 紅瀬蔚の乗る馬も決して小さな馬では無いのであったが、それでも大人と子供であるかのように見えてし

まう。その分小回りも利くだろうから、どちらが有利とも硬くは言えないのだったが。しかし威圧感、圧迫

感と言う点では黒桜に明らかに軍配が上がる事も確かである。

「・・・・しかし何と言う馬か・・」

 紅瀬蔚は対峙した時から、むしろ馬の方に強大さを感じていた。その所為か感覚が酷く鋭くなってしまい、

緩やかに吹く風ですら身を震わせるかと感じてしまう程である。汗が流れ落ちる軌道すらはっきりと感じ取

れ、首の後ろがとにかく気持悪かった。

 これほどの緊迫感はこの紅瀬蔚をしても久しく感じる事の無かったものである。

 正しく敵に不足無し。

「いざ、参らん」

 そして槍を掲げ、馬の腹を蹴った。

 それを合図として楓仁も黒桜を駆る。



 風が逆巻いた。

 二つの槍が渾身に弾け合い生み出したのであろう。風は音を運ぶ。そしてそれが全軍に開戦を知らしめた。

「ぬおおおおおおッ!!!」

 楓仁が風を巻き込み、まるでその腕と槍を一個の竜巻としたように振るい抜く。

「つおおおおおおおッ!!」

 紅瀬蔚も渾身の一撃を放ち、それを正面から受け止めた。

 轟音が空を貫く。

 二つの刃は絡み合い、宙で静止していた。しかしそう見えるだけで戦いは尚、止む事無く続いている。二

人とも気迫に満ちた表情を休める事無く、刃は細かく震え。静止しているように見えながら、実は刃同士一

進一退の攻防を続けていたのだ。

 押し合い、時に返され時に押し切り、ゆったりと二つの刃は老女のような恐ろしげな金切り声を立てなが

ら、まるで振り子のように二騎の間でじりじりと動いている。そしてその振幅が徐々にではあるが、一方に

より大きく深くとなって来ているようだ。

「くうッ、何という力か。正に鬼の力よ」

 紅瀬蔚は驚嘆するしか無かった。この自分が、賦の上将軍が明らかに力負けしているのである。互角かと

思えたのは一瞬。その後はじりじりと圧されるのみであった。返し返されと出来ていたのは、おそらく楓仁

がこちらの力を測っていたからなのだろう。悔しいが現実は受け止め無ければならない。

「ふんッ!!」

 紅瀬蔚は形成不利と見、すぐさま槍を翻し馬体ごと反転した。

「くッ!?」

 丁度のめり込むような前傾姿勢になっていた楓仁は、抗う術無く前のめりに態勢を崩す。

「つおおおおッ!!!」

 そこへ狙い済ましたような紅瀬蔚の一撃が襲い掛かった。楓仁は咄嗟に槍先を振り下ろし、地面に突き立

て態勢を無理矢理しっかりと正し。柄側にて紅瀬蔚の一撃を受け流した。そしてすぐさま反転し後退しなが

ら間合いを計る。

「並々ならぬ技の冴え、これは油断ならぬ」

 楓仁はそう溜息にも似たものを吐きながら、しかし何処か楽しそうな顔をしていた。そしてそれは紅瀬蔚

もおそらく同じであるのだろう。行き詰まる緊迫感の中、不敵に笑う猛者二人。

 そして二将の戦は一進一退に見えて、しかし一太刀で勝負が付きそうな危うさをも出していた。これを見

ている将兵達は気が気で無かったろう。



「流石は壬の竜将よ。これほどに我が血潮が滾るのは久しぶりの事。礼代わりに我が槍を心ゆくまで馳走し

て進ぜよう!!」

 身にひしひしと迫る圧迫感を振り払おうとしてか、紅瀬蔚が大いに吠えた。

 そしてそれを合図にしたかのように、二騎は再び駆ける。突進しつつその勢いを槍に載せ、そしてそのに

二本の槍先が狙い済ましたかの如く中空で激突した。耳を劈(つんざ)くような撃音が周囲に走り、火花が

散りざわめく。

 壱合、弐合、何度も槍先が叩き合わされ、その度に更に撃音が響き重なった。それはまるで黒雲の下、

終る事の無き雷鳴を聴いているかのようだ。周りで見守る将兵達も思わず我が耳を塞ぐ。その間も何度も何

度も二騎の刃は合わされ、合わされては弾け、弾けては合わさった。

「つえええええい!!」

「うおおおおおおおッ!!!」

 剣気が突風となって広がる。実の風では無い、心で感じる風である。だがそれ故に直接心を揺さ振る。

 しかし二騎の気は萎縮する事も衰える事も知らず、張り詰めたままに尚も膨れ上がっていくようだ。そし

て二人はどちらも笑っていた。そう、笑っているのである。

「ふぬッ!!!」

「けあッ!!」

 猛る心も刃となり、お互いの闘争心をかき消そうと目に見えぬ戦いを繰り広げているに違い無い。

 純粋な力で言えば楓仁の方が上であろう。打ち合う度に紅瀬蔚の方のよろめきがより大きく広がる。しか

し紅瀬蔚はそれを見事に補い、時にその不利を利用して有利にさえ換えていた。そう言った剛柔合わせ持っ

た技の華麗さ見事さで言えば彼の方が上なのであろう。

 それは純粋な力と技の激突であった。何時どちらが崩れてもおかしくは無い。危うい均衡の元に保たれた

関係は、安定に位置しながらも安全とは対極の位置にある。

 後数瞬どちらかの攻撃が早ければ、後数瞬だけどちらかの防御が遅れれば、それだけで血飛沫を上げて決

着が付いてしまうのだろう。刃を持った者同士の戦は、その力量が均衡すれば尚の事、ただ一太刀で決する

のだ。

「恐るべき槍の冴え。流石は賦の上将軍を務める漢よ・・・」

 楓仁も感嘆するしか無い。これほどに奮い立つような一騎打ちをする事が出来たのはいつ以来であろうか。

どちらにしても彼とこれほどまで打ち合える者は、今までに数える程もいなかった。だからこそこのような

相手と出会うと世の広さをつくづくと思わされる。そして同時に嬉しくもある。人の可能性と言うモノの途

方も無い強大さを予感させる事が出来るからだ。

 そしてその可能性が大きければ大きい程、まだまだ人間には充分な救いがあると言う事になるだろう。

 となればそれは同時に、楓仁が更なる高みへと上り詰める可能性がある事も示唆してくれている。

「紅瀬上将よ。我が一撃、心ゆくまで味わうがいい!!」

 楽しい一時であったが、そろそろ終わらせねばならない。残念ながら壬国には余裕が無いのだ。

 そして楓仁は決着を付けるべく、全力を込め渾身の一撃を繰り出す。従来の重い一突きに凄まじい回転が

加えられたそれは、まるで竜巻が空を貫く様にも見えた。

「おう!!!」

 それに対し、紅瀬蔚は気合一閃槍を振るい、楓仁の槍の軌道を逸らそうとその槍先に叩き付けたのだが。

しかし楓仁の勢いはまるで揺るがず、その愛槍は無惨にも逆に吹き飛ばされてしまった。しかしそのおかげ

か軌道が逸れ、肩当を共に飛ばされただけで紅瀬蔚が致命傷を与えられる事は無かった。

 だが槍を失った以上勝敗は決し、紅瀬蔚の敗北は免れ得ない。

「勝負ありましたな」

 楓仁は鈍く光る槍先を紅瀬蔚の喉元へと突き付けた。

「むう、わしの負けのようだ。よかろう。さあ、この紅瀬蔚の首を手柄となされよ」

 紅瀬蔚は静かに目を閉じる。武人として、いつでも美しく潔く死ねる心構えはしているつもりだった。武

を誇る者は美しくなければならない、例えそれが散り様でも。いや、散り様だからこそ何よりも美しくあら

なければならない。桜のように美しく散る、それが彼の信念でも願いでもあった。

 しかし楓仁は静かに槍を下げると。

「帰還する!」

 そう彼の兵に命ずると、そのまま南砦へと帰還して行った。逃げ上手も名将の条件だとも言われるが、こ

れはそれを思わせる程、鮮やかな後退であった。その見事な後退ぶりに賦軍もあっけに取られて見送るしか

出来なかったのである。

 こうなると紅瀬蔚としては、してやられたと笑うしかない。

「ふははははは、してやられたわ。ならば我等は撤退するぞ、全軍撤退!!」

「よろしいのですか」

 副官の白晴厳(ハクセイゲン)が慌てたようにやって来てそう言った。一騎打ちで負けたとは言え、まだ

この戦自体は負けた訳では無い。彼はそう言いたいのであろう。

 しかし紅瀬蔚はその命を曲げようとはしなかった。そうなれば白晴厳としても、それ以上は何も言う事が

出来ない。そして王に何と弁明しようかと、頭を抱え始めたのだった。

「好敵手見付けたり」

 ただそんな副官に反して紅瀬蔚はとても満足そうだった。

 こうして南砦戦は大方の予想よりは深く、そして当事者達の予想よりはあっさりと幕を引いたのである。

だが双方被害の大きさは疑うべくも無く。特に壬国としては手痛い敗戦となってしまった。

 事実、両軍合わせて死傷者数千名と言うこの戦の影響は後々まで重く残る事となる。




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