3-7.全ては望むままにて躍動す


 こうして壬国に多大な損害を齎(もたら)した、賦との一戦は幕を閉じた。その傷痕が塞がるのはおそら

く数十年と言う長い年月が必要なのだろう。ただ救いがあるとすれば、将兵と国民達は南砦を落とされなか

った事を安堵した。

 そして壬王は司譜(シフ)上将よりの報告を受け、状況上ここで北昇と揉めるのは得策では無いと判断し、

ただちに北昇(ホクショウ)の自治を認め、北昇一帯を属国とした。これ以上戦火を浴びるのは壬としても

好ましくなく、将達も王の決断に異論は無い様子だった。ただそこには壬王の漢嵩(カンスウ)と北昇の民

への温情も込められている事には違いなく、漢嵩と北昇側は一様に壬王へと感謝している。

 北昇は漢嵩を主とし、流石に王を名乗る事は控え、北守侯(ホクシュコウ)と定めた。そして彼は慣例に

則り、北守将軍と呼ばれる事になる。侯はその名を将軍名ともし、位は今で言えば竜将軍以上大将軍下とさ

れる。それが碧嶺以来からの伝統でもあり、今尚その制度は広く受け継がれていた。

 北昇太守であった明節(ミョウセツ)は丞相となり、以前と変わらず政務を取り仕切っている。国名は侯

名から取り、北守とした。本来国名は一字が最良とされ、多字を用いる事は縁起が良くないとされているの

だが。時に他国に遠慮して、その国よりも下であると言う意をもって二字で付ける事も、この大陸の歴史の

中では珍しくは無いのである。

 漢嵩と明節の壬に対する気遣いがここにはっきりと現れていると言えるだろう。

 漢嵩率いる二万の兵も当初の予定通り、この北守に守備兵として配置された。こうして西の双国に対して

の新しい防衛拠点が出来た事もあり、西砦から千名の兵が南砦へと移される事となった。そして千の兵を予

備兵から補充する事で、南砦を補強させたのだった。

 双国も北昇が寝返ってはもう終戦反対派の貴族達も何を言う事も出来ず、まるで毒気でも抜けたかのよ

うに呆気なく、北昇が切り取られた事に恐怖すら覚えたのか、一も二も無く終戦協定が結ばれる事となった。

 幸い賦国からも何も要請が無く、賦の属国と成り果てた双国にはこれ以上どの国とも争う気など無かった

し、争う力も無かったのだ。

 双にはまだ8万と言う大軍が居るのだが、最早頼みの漢嵩がおらず、他に大軍を御しえる将軍もいなかっ

たのである。そして何より兵の士気が乏しく。それに加え、双に見切りをつけ、漢嵩や明節を慕って北守へ

行く兵や野に下って虎となる将兵も少なくは無く、双の内情はもう国としての機能を持ち得てはいなかった。

 ともかくも、こうして双を除く四国家は一時の安定を取り戻したのであった。それは多分に不安を抱え

たモノであるには違いなかったのだろうが。



 賦国の首都、牙深(ガシン)は国の丁度中心部辺りに在る。そしてこの牙深こそが賦族の最初の蜂起地で

あり、彼らの猛進撃の始まりの地でもあった。

 牙深とは妙な名なのだが、これは賦族が碧嶺(ヘキレイ)の時代から特に大恩を感じている趙深(チョウ

シン)と壬牙(ジンガ)からとったもののようだ。碧嶺の賦族解放も結果として賦族を救う事は無かったが、

しかしこの二人と碧嶺には賦族は感謝しているらしく。その恩は決して忘れるなと賦族には言い伝えられて

いるそうだ。碧嶺の神格化である大聖真君も賦国全土で祭られている。

 牙深は始めは捨てられていた砦に賦族が篭ったものに過ぎなかったのだが、大国となった今はどの国の都

よりも賑わう程になっていた。その人口は九割方賦族なのだが、中には大陸人達も居る。商人達や労働力と

して捕えられた者、或いは性奴として買われた者、種々様々だが大抵は幸せとは無縁の生活を送っている。

それは他国での賦族の扱いと同じであり、賦国では当然ながらその立場は逆転するのである。

 ただこの国に居るのは不幸な大陸人ばかりでも無い。驚くべき事かも知れないが、軍や内政の高官にも大

陸人が存在するのである。

 その高官の大陸人達は過去に賦族に対して何かしらの事をした者達の子孫であり、大陸人と分類されては

いても、実質賦に帰化した者達なのである。賦族は確かに大陸人を骨の髄から憎んでいるが、しかし受けた

恩は忘れない。だから賦族もさほど躊躇せずに同族として接する事も出来るのだ。

 そして彼らの祖から受けた恩義を忘れず、彼等を尊重する為に敢えて大陸人と賦族は呼んでいる。そこに

は区別差別と言った意は込められず、むしろ誰よりも親しそうにそう呼ばれているのである。

 不思議と思われるかも知れないが、賦族ではそれも当たり前の事なのだ。



 そしてこの牙深に聳(そび)える王城には一連の戦果とそれに関する情報が逐一報告されていた。

 賦国の機関は府では無く部門と呼ばれる。情報を一手に担っている他国では参謀府に当る機関は、賦国で

は諜報部となる。これは国と言うものよりも部族を大事とする賦族故の名称と考えられる。府は政府機関で

あり、部はむしろ民間の機関と言う意識があるのだから。

 賦族の王も賦族の意識で言えば、国王と言うよりは部族の長と言った方が近いのだろう。しかし皆が王に

払っている敬意は他国と少しも変わらない。むしろ長と言う事でより親しみがあり、他国よりも濃厚で繋が

りが強いとも言える。

「賦正様、紅瀬上将が敗れたそうにございます」

 現賦王の名は賦正(フセイ)。ただ王と呼ぶよりもより親しみ深く、名前に様付けで呼ばれる事もこの賦

国では少なくは無い。特に軍部よりも階級に歴然さがさほど必要とされない政部の者がよく使うようだ。

 今は賦正の他には一人しかおらず。しかもその個人的な仲も浅からぬようで、報告している青年も礼儀正

しいものの何処かやわらかい声音で話していた。

 その青年は背が高く、目の覚めるような蒼の衣を纏っている。顔の造りも鼻筋が通って凛々しく、貴族を

体現したような顔立ちをしているが、どこか皮肉めいたと言うべきか策士めいた輝きをその目に宿している。

それが全体をして何処か見ている者に不安すら与えるようだ。それは更に強い語感で、恐怖と言っても良い

かも知れない。

「ふむ、しかし充分な戦果を上げたようだ。強弩の恐怖を壬に植え付ける事が出来ただけでも収穫であろう」

 青年と相対するように座す賦正は、落ち着き払い微塵も揺るぐ事の無い強靭さを感じさせている。それは

一言で表せば重厚、青年とは逆に居るだけで人に安心感を与えるように思えた。もう老齢に近い歳であるが、

まだまだ現役と戦場へ出る事もある。その力量も賦の王に相応しく、その戦歴は常勝を共にして来た。

 だがその顔に今は少し戸惑いにも似た色がある。

「しかしそれを差引いたとしても、壬はこれで北昇一帯をも手に入れ国力が俄かに増した事になる。凱を動

かし、この機会に一度に滅ぼしてしまった方が良かったのでないか」

 賦と他の四国家との力の差は歴然ではあるが、壬の黒竜だけは唯一警戒している相手でもある。いくら壬

牙(ジンガ)を祖と仰ぐ国であれ、王としては機会があれば早々と潰してしまいたい所なのだろう。

 だが青年の方はまるでそのような事は意に介するモノでは無いと言う風に、涼しげな顔をしていた。

「確かに凱を動かし、三方から同時に攻め入れば壬を滅ぼす事も可能であったかも知れません。ですがそ

れはあくまでも上手く行けばの事、双の兵は物の役に立ちませんし、凱も油断なりません。そんな物に頼る

よりは、今は先の為に種を蒔いておく事の方が重要かと存じます」

「なるほど、確かに結果としてほぼ全てがそなたの言う通りになった」

「はい、双は瓦解し国民には不信が満ち満ちております。北守侯が誕生した事によって、それらに拍車をか

けるでありましょう。そして今回の事で壬は凱を不安に思い、凱も壬を警戒する事になるでしょう。今まで

我等が燻(くすぶ)っておりましたのは、四国家間に誰言う事も無く同盟めいたものが結ばれていた為であ

ります。しかしそれが崩れたとすれば、最早賦を阻むモノはありませぬ」

 青年は底光りするような笑みを浮かべた。

 彼の言う通り、全てが落ち着いたかのように見えて、実際はそれが砂上の楼閣のように儚くも脆いモノで

ある事は誰の目にも明白であろう。領土を切り取られた双国などは尚更であり、今は戦勝気分である壬や双

から独立した北守も、いつまでもそんな気分ではいられまい。難題と言うモノは解決する度に、また新たに

浮き上がってくるモノだ。

 そして凱と壬はお互いを疑い合い、双の高官にも怒りが溢れているであろう。

 そう考えれば、一番得をしたと言えるのはこの賦国なのである。そしてそれがもし誰かの仕組まれた上の

出来事だとすれば、壬、双、凱の三国家は正にその者の掌の上で弄ばれた事になる。

「趙戒よ、流石は趙の名を継ぎし者。頼りにしておるぞ」

「祖が受けた御恩、必ずやお返し致します」

 趙戒(チョウカイ)と呼ばれた青年は丁寧に礼の姿勢を取ると、そのまま静かに退出して行った。

 一人になった賦正は先程までとは違い、鷹揚に一つ溜息を吐く。

「だが果たしてこれで良いのか」

 確かに趙戒を諜報部へと迎え入れてから、あの漢嵩を降らせ、双を属国とし、例年では考えられない程の

戦果を上げている。しかしそんな彼のやり方を非難する声も少なくは無い。大陸人と一時とは言え手を組

むなどと、そんな祖先の受けた苦しみを忘れ去るような事をして良いのか。そんな風に賦正すら時に悩む

事もあった。

 最終的に大陸人を滅ぼす為とは言え、それで今の誇りを忘れてしまっても良いものだろうか。

 しかしすでに動き出しているのである。それに趙戒を呼び寄せたのが、例え彼自身が強く望んだにせよ、

賦正であるのならば最後まで彼を信じてやらねばなるまい。

 だが賦正もすでに賦族として長い、何処か納得しきれない所もある事は確かであった。これを変革と呼ぶ

べきなのか、それとも変貌と言ってしまうのか。

 全ては結果論でしか判断出来ないとすれば、今賦正が悩む事も無意味であるかも知れない。だがそれでも

悩むのが人と言うものなのだろう。 




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