3-8.血に宿りし才は不滅なるの事


 趙戒(チョウカイ)なる人物が出てきた事で、不思議に思われた方もおられるかも知れない。趙の字を受

け継ぐ者はこの大陸広しと雖(いえど)も、ただ一家しか無い。特に特別な由来の家名では無いが、不思議

な事に以前からただ一家しか無かったのだ。そしてその一家の名を持つ事は、つまりあの名高い大軍師趙深

(チョウシン)の血を受け継ぐと言う事でもある。

 では何故趙深がその晩年を過ごした趙庵(チョウアン)にでは無く、この賦国に彼の子孫が居るのか。ま

ずそれを説明しなければならないだろう。


 趙深は碧嶺(ヘキレイ)に是非にと何度も請われ、最後にはその心に打たれて彼の軍師として参加し。そ

の煌く程の智謀の才を得る事によって碧嶺の激進が始まり、後に趙深も大軍師と歴史に刻まれるまでに大き

な存在へとなるのだが。しかし碧嶺の早過ぎる死によって跡目争いの名の下にその国も乱れに乱れ分割し、

偉大なる碧嶺の統一国家も僅か一代で呆気なくも崩れ去ってしまった。そしてそれに絶望した趙深は全てを

捨てて山深い庵へとその身を預け、死ぬまで隠遁生活を続ける事を選んだ。

 これが歴史における趙深の大雑把な経歴である。

 その隠遁の際に、彼は自分の妻子を当時一番信頼がおけた紫雲竜(シウンリュウ)こと賦真(フシン)へ

と預けているのである。おそらく家族に災禍が及ぶのを怖れた為だろう。何しろ趙深と言えば重臣の中の重

臣であり、碧嶺の信が最も厚かった人物である。例え彼が自分に権力争いの意志は無いと公言していたとし

ても、そのまま家族を皇都に居させては無事では済まなかっただろう。

 碧嶺の死後、未だ信を失わず潔癖であった者で名高い者と言えば、趙深、壬牙(ジンガ)、賦真、双正

(ソウセイ)の四名くらいだっただろう。だが双正はその名門の家柄を利用する為に拘束されてしまい。壬

牙は碧嶺の恩を忘れた重臣に怒り、最後まで戦ったものの望み叶わず壮絶な最後を遂げ。そして賦真率いる

賦族も碧嶺の賦族解放以前以上に迫害され、何とか皇都から逃げ出すだけで精一杯の状況だったと言う。

 それから幾多の無慈悲で無意味な戦が繰り返され、大陸は再び戦国の時代へと突入していく事となった。


 話が少し逸れたが、とにかくこう言う訳で趙家の一族はこの800年近い間、賦族に大切に守られて来た

のである。更に余談となるが趙深には男子が二児おり、今ある趙家はその弟の血筋のようだ。兄の方はどう

したのか、今となってははっきりとは解らないが。どうも後に父親の元へと行ったらしいと言う話もある。

 どちらにしても趙の名が他に残っていないと言う事は、兄の血筋は何処かでとうの昔に絶えてしまったの

だろう。

 趙深の血は賦族の中で脈々と受け継がれて来たのだが、しかし不思議な事に今まで趙家の誰も国政や軍事

に参加した者はいなかった。これは趙深が言わば遺言として妻子との別れ際に、最早権力と結びつくモノに

は関わってはならないと言い残し、子々孫々それを律儀に守り続けていたかららしい。

 だがこの趙戒の代になって初めて軍部へと採用された。これが歴史の中でどのような作用を起こすのかは

解らないが、それが大きな作用になる事は断言出来るだろう。

 どちらにしても再び趙の名が歴史に刻まれる事は間違いようが無いと思われる。


 

 その趙戒は王と話をした後、自宅へと戻って来ていた。

 彼は父を早くに亡くし、家には母と妹が一人、大きな屋敷に住んでおり三人で暮らすには少し広過ぎる家

かも知れない。


 賦族は先祖代々趙家には最大限の礼を尽くしてきた。それは自らは飢えたとしても、躊躇せず笑顔で食べ

物を差し出す程であったと言われる。そして何時の頃からか、その趙家も自然に賦族に対して恩の気持を持

つようになった。そしてそれは趙家の血の中に年月と共に蓄積され、或いはそれが趙戒をして臨界に達し、

仕官すると言う手段に出させる事になったのかも知れない。

 趙家は主に賦族と婚姻を行っており、今では大陸人の血よりも賦族の血の方が濃いと思われる。その相手

は主に王族や有力者から選ばれ、王家とも近しい親類の関係にあった。趙戒もその妹もおそらくは王族の誰

かと婚姻を結ぶ事になるのだろう。

 ただそれをどちらが強要している訳では無く、賦族が誠意を見せているだけの事であり、他に想う相手が

おれば皆の祝福の元に結ばれる事も出来る。賦族は元々あまり家柄や階級に拘らない種族であり、一族皆家

族の精神も強いのだ。現に王を家に気安く招いたりも当たり前のように行われている。ただ、王は忙しい身

であるので、これは幸運な例になるのだが。


 趙戒は自宅へ戻ると必ず母に報告する事を自らに課している。両親を大事にする事はどの国でも同じなの

だが、賦族は尚の事それが強い。趙家も長い年数によって生活習慣等はほぼ賦族と言って良く、更に片親に

なってしまった事も手伝ってか、趙戒は特に母とそして妹を大事にしているようだ。

「母上、只今戻りました」

 そして母親の私室で丁重に礼の姿勢をとる。それは王にする程には大げさでは無いが、王にするよりもよ

り深い。

「戒・・・」

 それを母、趙夏(チョウカ)はしかし複雑な表情で息子を迎えた。

「母上、ご心配無用です。私は必ずや賦の為に事を成して御覧にいれます」

 趙戒は再び礼の姿勢をとる。

「私が心配しているのはそのような事ではありません。貴方も趙家の家訓を忘れた訳では無いでしょう」

 趙夏はゆっくりと重い息を吐いた。疲れにも似た戸惑いがその息子と似た秀麗な顔に出ている。

「またそのお話ですか、母上。確かに趙深様が言い残された重き言葉。ですがもうあれから数百年と言う年

月が流れているのです。それに我が趙家自身も賦族の皆さんに多大な恩もあります。このままその恩を返さ

ずにいる事こそが悪しき事なのでは無いでしょうか。趙深様は恩を恩とも思わず忘れる者を、誰よりも嫌っ

たと伝えられております」

「・・・・確かに貴方の言う事も最もでしょう。私自身も幼き頃から皆様にはとても良くしていただきまし

た。しかしご恩を返すのなら、他にも方法はあるでしょう。それをよりにもよって戦で返そうなどと、ご先

祖様がお嘆きになりますよ」

 趙夏は瞳に哀しみを湛え、それを堪えきれなくなったのかそっと息子より目を逸らした。

「母上・・・。母上にもいつかきっと解っていただけます。これが趙家当主として行くべき道であると」

 しかし趙戒はそんな母を見ても、見慣れてでもいるかのように特に感慨を受けた様子も無く、まるで何も

変わらないように見えた。そしてそのまま静かに辞す。

「戒よ、趙深様より受け継いでいるその才こそが、結局は全てを滅ぼしてしまうのだと・・・。貴方が幼き

頃よりあれほど言い聞かせた私の心を解ってもらえ無いのでしょうか。貴方が趙深様と同じ道を行くという

のなら、必ず趙深様と同じ後悔を抱く日が来ると言うのに・・・・・」

 趙夏の嘆きは誰聞かれる事も無く、ただ静かに空へと消えて行った。

 この空は今までに一体どれほどの嘆きを吸い込んで来たのだろうか。だが今も空は何も言わず、静かに湛

えるのみであった。人の答えは空には無くただ人の中にのみあるものだと、或いはそのように無言で教え

ているのかも知れない。


 

 現在の事象の全ては賦を最良の方角へと運んでいるように思える。壬、双、凱の三国家に誰思うよりも深

い亀裂が穿たれた以上、賦国の進軍をこの国家達が最早どれだけ阻めるかは解らない。いや、双が賦の属国

と化している今、すでに賦と四国家との危うい均衡状態は崩れていると見るべきかも知れない。

 ただその賦国をしても人の嘆きは消える事は無く、そして新たなる危うさを宿したようにも思える。趙戒

と言う一人の才によって少なからず歴史は動き始めた。しかしそれが誰に福と災厄を齎す事になるのか、そ

れは未だ解らないようである。

 或いは碧嶺と趙深の道を、同じように辿る事になるのであろうか。賦正と趙戒へとその名を変えて。



                              第三章     了




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