4-1.蒼愁、任官の儀に参加す


 未だ細かく言えば政情不安は限り無くあるにせよ。ともかく壬の国は落ち着きを取り戻したかに見えた。

民もそれを悦び、負傷者は多いものの誰もそれを口に出す事も無く、勝った守ったと良い事ばかりを話の種

としている。

 それは一つにはこの国の民が所謂鬱な雰囲気が嫌いであった事と、悪い事を口に出すと更に災厄が訪れる

と言う言い伝えがある事によるのだろう。皆、何としてもこの不安を取り除きたいと願っているのだ。

 時はゆったりと絶え間なく流れ、気候はそっと穏やかになり始め、避難を解かれた民達もゆっくりと自ら

の生活を取り戻し始めた。

 そこで壬王は戦乱続きで伸ばしに伸ばしていた任官の儀式を大々的に執り行う事を決めた。国情を盛り上

げる為には祭礼を執り行うのが一番であろうし、そうする事で新たに任官された者の気持もしっかりと引き

締まる事だろう。

 それに賦国の権謀猛攻激しい昨今、今を逃せばまたいつ機会が訪れるかも解らない。

 参謀長蜀頼(ショクライ)以下、文官陣は祭礼の準備に追われた。任官の儀と言ってもどの国も大々的に

行われるのが常であり、祭礼の中でも大切な儀式とされている。やはり何事も初めが大切であろう。

 この儀式には当然、蒼愁(ソウシュウ)も呼ばれている。しかしすでに大きな戦を二度も体験しているの

を思えば、今更任官の儀式とは少しおかしくも思える。彼自身もそんな自分の境遇を興味深く思っているの

かどうか。何にも考えていないかも知れない。

 壬国は小さな国で国力に余裕も無い為に、任官早々から激務が待っているか前線に出されるか、そんな事

も珍しくは無いのだが。しかし蒼愁のように正式な拝命前から働く事は珍しい。いくら余裕が無いと言って

も、練習も無くいきなり本番と言う無茶を流石にやらせる国は無いだろう。

 まあこの蒼愁は自ら西砦へと出頭したのだからあくまで例外であるとも言えなくも無い。現に他の試験合

格者達で特に戦場経験も無く、前線へ送られた者はいないのだ。つまりは彼が危険に身を晒したのはその生

真面目さ故の自業自得。だがそれ故に司譜(シフ)辺りから高く買われたとも言える。だがしかし、それは

果たして蒼愁にとって幸せか否か。

 掴み所の無い彼の表情からはどうにもその辺の機微が読み取り難い。



 任官の儀は当然だが試験と同じく、通常一年に四度行われる。通常と言ったのは、これも戦争などで試

験自体が潰れる事もあるからである。今年も短い期間に戦が続いた為、一つ試験回数を減らそうと言う声も

出たようだが。しかし戦死者が多くその兵を補充する必要もあり、話し合いの末、結局は例年通り行われる

事にされたようだ。

 ただそれも時期は少し遅れる事となるだろう。何しろ試験をするにも準備がなかなか大変なのだ。流石に

それを立て続けに行える程の余力は壬には無い。常に壬国はその弱いとすら言える国力と相談し、ぎりぎり

の境界の上で運営されているようなものなのだ。

 北守(ホクシュ)と言う属国を手に入れた事で将来的には多少余力が生まれるかも知れない。だがそれも

あくまでもまだ先の話である。今は北守自体も不安定であり、当面の間は期待出来まい。

 だがこのような背景があったとしても、儀式は勿論しっかりと行われる。

 荘厳に装飾された大広間に任官者が集められ、重臣達の見守る中、王の元へ一人ずつ跪き拝命を受ける。

そして壬の国色である黒の衣か鎧を直々に王から手渡され、晴れて壬政府の一員となるのである。任官者の

人数が多い時は数日に分けて行われる事もあり、その間の王の労苦も少なくは無いであろう。

 だが王よりの手渡しと一人一人への直々の拝命が建国以来の伝統であり、現にこれが一番効果的だと言

う事もあって、おそらくどれほど大変であっても壬国が続く限りはこの伝統は変わらないと思われる。

「汝を我が国士と為す」

 この言葉を王から賜る事はこの上無い名誉であり、難解な試験を合格した者にとってそれが最も報われる

瞬間でもある。そしてそれはこの時より国家の一員としての重責を同時に得る事でもあった。しかし大きな

責任を持つからこそ、人はそれに応じようと成長するのかも知れない。おそらく何の責も負わされない人生

は、楽かも知れないがとても儚いのだろう。その重責こそが生甲斐なのだと、そう言ってしまっても或いは

間違いでは無いかも知れない。

「蒼愁、汝を我が国士と為す。民の為に益々励むが良い」

「ハッ、この蒼愁、命の限り国と民の為に生涯この身を尽くします」

 蒼愁も流石にこの場では緊張しているようで、珍しくその表情と動作が硬い。彼を良く知る司譜や蜀頼な

どはこれを見て内心おかしさを抑えきれない事であったろう。

 これで蒼愁も正式な黒竜となり、そして参謀府の人間となった。さて、これから彼に与えられる職務とは

何であろうか。楽しみでもあり、不安でもある。



 国王よりの任官の儀が終ると、次に府ごとの着任の儀が行われる。

 蒼愁は当然参謀府の着任の儀に参加していた。参謀府はその職務柄、王の私室に一番近い位置にある。軍

師的役割から諜報、そして王の相談役までその職務は意外に幅広く、参謀には多彩な能力を必要とされる。

かと言ってその職務の全てを一個の人間が兼任すると言う事は稀であり、大抵はその個人個人の能力に合わ

せて分担され、言わば一つの職務を専門として宛がわれる事になる。

 そしてその全ての職務を統括するのが参謀長と言う事になるのだ。

 参謀府に属する人数は他の府と比べて驚く程に少ない。この山都衛塞(エイサイ)の王城に勤務する者

はおそらく10人程だろう。地方官として壬国全体に赴任している者を合わせても五十名居るかどうか。

 これはそれだけ参謀府試験が難解であると同時に、それほど人数が必要と言う訳でも無い事を現している。

主活動である諜報には勿論多数の間諜が必要となるのだが、しかし間諜自体は実は参謀府の人間ばかりでは

無く。その専門家や信用出来る人物を雇う事の方が多い。もしくは敵国の人間に近付き、その人間を間諜に

仕立て上げる事もある。まあ参謀と言う仕事柄、多少きな臭い部分があるのは仕方が無い。

 であるから今王城に居る参謀府に篭る人数を数えても数名しかおらず、今回新しく参謀となった者は蒼愁

一人のみと言った有様であった。

「それでは蒼愁、汝に参謀としての責と認可を与える」

「ハッ、この蒼愁、懸命に職務を全うする所存にございます」

「うむ、励むが良い」

 着任の儀と言っても礼の姿勢をとり、仕事内容を説明されるくらいの簡単なもので、任官の儀のように仰

々しいものでは無い。言ってみれば自己紹介のようなものか。そして着任の儀が終るとそのまますぐに仕事

を与えられる事になる。壬国では人材を遊ばせている余裕は無い。

「蒼愁、そなたには姫様の相談役となってもらう事とする」

「相談役・・ですか」

「うむ、まあただの話し相手だとでも思っておれば良いだろう。そなたはすでに評価すべき実績をあげてお

るから、もっと大きな責を与えても良いかとも思うのだが。しかしこの役目はそなたこそ適任であるとも思

っておる」

 蜀頼はそう言って重々しく頷いた。

「承知致しました。どこまでご期待に添えるかは解りませんが、尽力させていただきます」

 蒼愁もその仕事に不満があるはずも無い。それどころか姫君の相談役と言う大役を与えられ、珍しく緊張

している程であった。王家の人間に直に近付くと言う事は、それだけ自分が信頼されていると言う事にもな

る。むしろ蒼愁としてはそこまで信頼されているのかと、感動すらしているかも知れない。

 だがそんな蒼愁を見て、蜀頼は何故か少しだけ申し訳なさそうな色を浮かべているようにも見える。

「そう硬くならずとも良い。参謀とは常に平静を保たねばならん。・・・それではもう行くと良い、姫様に

はすでに伝えてある、きっとお待ちであろう」

「はい、では行って参ります」

 蒼愁はまだ緊張の残るような顔をしながらも、足取りははっきりと姫の待つ所へと向かった。

「ふむ、行ったか・・・」

 蒼愁が出て行った後、蜀頼は少し溜息を吐く。

「蜀頼様、初仕事が姫様の相手とは少々酷だったのではありませんか」

 蜀頼を見て、古株の参謀の一人が何とも言えない顔をして話し掛けた。

「そうかも知れん。だが彼ならばと思ったのも確かなのだ。姫様は桃がお好きであられる」

「ははあ、なるほど。しかし蜀頼様もお人が悪いですぞ。あの姫様には蜀頼様自身どころか参謀全員が手を

焼いていますのに。先日も一人外出されて大した騒ぎになりましたし」

 それを聞く蜀頼は苦笑するしか無い。

「まあ、こんな爺よりも彼の方が上手く行くだろう。彼に期待しているのは確かなのだ。それに蒼瞬殿の息

子であれば、何とかなるであろう」

「そうですな、彼女も姫君に負けず劣らず手を焼かせていただきましたし。そのご子息ならば慣れておる

かも知れません。後は彼が蒼明殿程頑固で無い事を祈りましょうか」

「そうだの。何しろあの時は・・・・」

「ええ、大変でしたとも・・・」

 どこか楽しそうに会話していた二人は、そのまま暫し想い出に浸っていたと言う。ただその表情は先ほど

までとは違い、苦笑交じりのモノへと変わってはいたのだが。




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