4-2.蒼愁、姫君との邂逅を驚く


 蒼愁の向かう先は王城の最奥にある姫君の私室である。私室であるからには如何に重臣であろうとも気軽

に入れる領域では無く、何より貴人の私的な場に立ち入る事は非常な無礼であるとされているのだが。しか

し相談役と言うのは仕事柄その私的な場、王宮、に立ち入る事を許される唯一の職でもある。

 勿論、王家と私的に友好関係があり、尚且つ許されれば私室に訪問する事も可能となり、別段そう言う意

味で相談役が特別視されると言う訳では無い。現に重臣達が直談判の為に訪れたり、酒を酌み交わす為に訪

れたりと言った事もここでは珍しい光景では無かった。壬王家は代々気さくな家風のようである。

 だが今は任官の儀中と言う事もあってか、王の疲労を憚り来客の姿も重臣が訪問する姿も見かけられなか

った。この一帯は静けさのみに支配されており、蒼愁も緊張が増すのをひしひしと感じている。それが彼の

表情に出る事はほぼ皆無ではあるが。

「王宮に御用でありましょうか」

 王宮への言わば門前には常に位の高い女官が控えており、まずは彼女達を通して面会を申し入れる事にな

る。いくら相談役とは言ってもこうした制度を警備上無視する事は出来ない。門番と言える女官も一人では

あらず、数人の腕に覚えのある者達も訪問者を常に監視している。

 近衛と呼ばれる彼女達の武芸の水準は高く、如何に黒竜と言えども容易に打ち破る事は出来ないだろう。

かの風仁(フウジン)ですら多数を相手取っては苦戦を免れまい。賦族の女将程では無いにしても、十分正

規軍である竜としても働ける力量があった。

 余談ではあるが、かの司穂(シスイ)大長も将となる前はここに所属していたらしい。

「はい、私は蒼愁と申す者です。参謀長様から姫様の相談役を仰せ付かりました。今回は着任のあいさつに

参ったのですが、姫様とお会い出来ますでしょうか」

 当然この女官の方が新任の蒼愁などよりも遥かに位が高い。蒼愁は上官に対する丁重な言葉と礼の姿勢を

とって面会を請うた。

 女官もその丁重な姿勢に好感を持ったのか、それとも彼の容姿に興味を持ったのか、その表情を穏やかな

微笑みへと変える。

「蒼愁殿ですね。承っております。姫様もお待ちであられました、どうぞお入り下さい」

 そして手を差し伸べるようにして蒼愁を門内へと迎え入れた。しかしそれでも当の蒼愁自身は冷汗が流れ

るかと思う程に(外見からはそう見えないが)、先ほどとは別の意味合で緊張している。何しろこの女官は

この区画への入出を決めるのに最も大きな権限を有しており、もし嫌われでもすればそこで姫君の評価以前

に相談役として失格の烙印を押されてしまうのである。つまりこの女官が相談役を仰せ付かった者に対して

の、第一の試験官とも言えるのだ。

 しかも通常考えれば新任の若造などが来られる所では無いのである。幸か不幸か蜀頼(ショクライ)の好

意?で来れた訳だが、緊張しないはずが無いだろう。

 とは言えその蒼愁と言えば緊張はしてはいるものの、背筋は伸ばした方が言いのだろうかとか、踏み出す

足は左足からで良かったのだろうかとか、緊張の内容はそんな見当違いの事であったりもする。

「やはり緊張されますか?」

 そんな蒼愁を見て良い方に解釈してくれたのだろうか。女官がどこか楽しそうに微笑みかけた。

「あ、はい。流石に王宮へ入るのは初めてですから」

「そうでありましょうね。誰でも初めは緊張されます。ですがそれも姫君に会うまでですよ」

「そうでしょうか。姫君に会えば尚の事緊張すると思うのですが」

「ふふ、ですが貴方の場合は違うのですよ」

 女官は今度は少しおかしそうに微笑んだ。蒼愁は訳が解らない、仕方が無いので小首を傾げながら黙って

いる事にした。

 それから絹糸のように濃く透明感のある白を基調とした廊下を静かに歩く。この城は黒を主にした配色に

なっているのだが、この王宮内には白もふんだんに使われている。色の統一性よりも美術的な意味合を重視

しているのだろうか。それとも単に建国王壬臥(ジンガ)の趣味なのだろうか。

「ここが姫様のお部屋であります。ご無礼の無いように」

 ともかく蒼愁は奥まった所に在る一室へと案内された。



 壬は小国とは言え、流石に王宮ともなれば豪華な物であった。勿論華美た物を愛す双国の王侯等から見れ

ば大した事は無く、せいぜいが中流貴族程度の物と鼻で笑うくらいであろうが。しかし家具等には壬の工芸

技術が細微まで力を入れられており、とても丁寧な作りだった。

 家具や調度品は多く無く、天井が高めに設計されているせいかとても広々とし、狭い室内で受けるあの独

特の圧迫感のようなものは受けない。ごてごてと着飾った品々を煩わしいと考える合理的な者であれば、双

国の王侯であっても、或いは素晴らしいと絶賛するのかも知れない。

 つまりそこは王族用に相応しく丁寧に作られた部屋であった。

 室内に置かれた一対の椅子に一人の女性がたおやかに座している。おそらくこれが例の姫君であろう。彼

女の纏う黒と白に彩られた衣装は室内にとても良く映えていた。

「姫様、お初にお目にかかります。私がこの度相談役を仰せ付かった蒼愁と言う者であります」

 蒼愁はそう言って、深く礼の姿勢を取った。その姿勢は王にするのと変わりが無い。姫君も王がそうした

ように鷹揚に頷きを返す。

「姫様、それではわたくしは失礼させていただきます」

 彼の仕草に満足したのか、どこか安心したような顔をして案内の女官は静かに辞して行った。

 後には蒼愁と姫君だけが残される。

「いつまでそんな格好をしておるのじゃ。許す、気楽になされるが良い。ささ、そちらへ腰掛けよ」

 扉が閉まるのを待って、姫の鈴の鳴るような心地良い声が室内に響いた。

「ハッ、ありがたき幸せにございます」

 蒼愁はしかしまだ緊張が抜けきれない様子で、肩筋の辺りまで何となくぎこち無かった。それでいてする

すると余裕のあるような足捌きなのだから不思議なものである。

 彼は言われた通り一礼してから椅子へ座り、改めて姫君を拝顔した。

 威厳のある落ち着きは王から受け継いだのだろう。しかしその顔自体はあまり父君である王には似ていな

いように見えた。母君の方に似たのだろうか。

 確か任官の儀にも王妃は出席されていたはずだが、緊張していたせいか蒼愁はどうにも王の姿しか思い出

せなかった。王へ全神経を集中していたようで、他の記憶が朧になっている。一般の民が王族に会える機会

もほとんど無い為に、彼は王以外の顔をまったくと言って良いほど(黒竜と正式になった今でも)知ら無い

のである。

「何じゃ、私が珍しいのか」

「あッ、いえ申し訳ありません。何分、姫様に初めてお目にかかるものですから」

 蒼愁は珍しく焦ったように慌てて顔を伏した。

 姫君の方はそれに対するかのようにあどけなく微笑んでいる。

「初めてか。なるほど、確かに姫と会うのは初めてじゃろう。しかし何を今更焦っておるのじゃ。私達はす

でに衣服を交換した程の間柄、言うてみれば夫婦同然にも近しい間柄なのじゃぞ」

「・・・・それはどう言う・・・」

 蒼愁は突然の姫の言葉に驚く意外に何も頭が働かなかった。疑問だけがぐるぐると脳裏を巡る。

「なんと薄情な男か。宿まで紹介してやったものを、まったく世知辛い事じゃ」

 そんな彼を見て姫はむくれたように唇を尖らせた。

 しかし宿を紹介、と言う所で蒼愁の頭に何か閃くものがあった。少し日が経ってはいるが、あの試験の事

はおそらく生涯忘れまい。そしてその時出会った不思議な少女の事も。

「あッ、貴方はまさかあの時の!」

「何じゃ、今思い出したのか。相変わらず頼りない男じゃ」

 姫は目を真ん丸く見開いてから、改めて溜息をついた。その吸い込まれそうな深い色の瞳にも確かに蒼愁

は見覚えがある。あの時はすでに辺りも薄暗く、前髪で表情が良く見えなかったのもあり、しかも姫である

などとは想像も出来ない事であるから、初め姫君を見た時でもどうにも思い出せなかったのだろう。 

「その節はお世話になりました」

「お主は返す返すも相変わらずじゃな」

 生真面目に改めて礼の姿勢をとる蒼愁を半ば呆れつつも、どこか楽しそうに見える姫君であった。 




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