4-3.相談役にて思う所あり


 蒼愁(ソウシュウ)が相談役を仰せ付かった姫君の名は壬萩(ジンシュウ)、奇しくも蒼愁と同じ音であ

った。そして彼が入隊試験時に世話になった桐明館(ドウメイカン)の主、桐信(ドウシン)は現王妃で

ある壬麗(ジンレイ)の父であり、壬萩からすると祖父に当ると言う。

 流石の蒼愁も自らの無智と迂闊さを嘆く・・・・事も無く、姫君の話を真面目ぶって(実際、本人はいた

って真面目なのだが)聞いていた。まあ今更驚く事でもなく、姫君が宿として私的に紹介出来るのであれば

それは近しい親類くらいしか考えられないのだから、当然と言えばそれも当然であると言える。

「またいつでも遊びに来なさいと、祖父殿達は言っておったぞ」

 そんな事も姫君は伝えた。どうにも蒼愁は年配の人物に気に入られる性分らしい。司譜しかり、蜀頼しか

り、礼儀正しい生真面目さも過ぎれば鼻につくのだが、彼くらいこざっぱりした性格であると好ましいとし

か思われないようだ。ある意味、彼は得な性格をしているとも言える。

「はい、私もまたお礼を兼ねて参りたいとも思っているのですが。最近は中々忙しく、私の実家がある趙庵

からこの衛塞までもなかなか距離がありましたので」

 蒼愁は心底残念そうに頷く。それに彼程度の一介の下士官が国有数の大商館に対して恩を返す手段は如何

にも少ない。参謀府の権威は王からの信頼の厚さもあり、なかなかに高い位置にあるのだが。しかしだから

と言って権限や給金も高いと言う訳では無かった。

 何しろ壬国自体が富裕とは言えず、もしかすれば商館の方が金銭は国王よりも持っているのかも知れない。

 壬は山国であるが意外にも貿易にも力を入れている。それは先代である二代壬王、壬鳳(ジンホウ)の代

に国の東方に流栄(リュウエイ)と言う大規模な貿易港まで造られた程である。

 海上貿易により物資の流通を増し、物価を下げようとの初代から受け継ぐ配慮から来ているのだろう(こ

の国の設計計画は初代壬王の時にほぼ完成している)。幸いにも壬の工芸品や武具には高い値が付く。この

流栄建設には当時多大な労苦と資金を払ったのであるが、そのおかげで壬の民の暮らしと壬国財政は少なか

らず楽になったと言えよう。

 そして当然ながらその恩恵を一番受けるのが商人達と言う訳だ。

 蒼愁が桐明館へ足繁く通わなかったのは、一つにはそう言う理由で簡単にお礼が出来ないと言う事にもよ

ると思われる。何しろ父、蒼明(ソウメイ)からは礼にはそれ以上の礼で返すように、と年少の頃よりしっ

かりと言い聞かせられている。彼の故郷である趙庵(チョウアン)も物流が多く、行商人の訪れる街ではあ

るのだが、それでも本職の商人が喜ぶような珍しい物を手に入れる事は容易ではない。

 それに大きな問題として、彼の懐具合と言うのもある。仕官が叶えば生活はぐっと楽になり、食べるには

困らないのだが。しかし将軍や府の長くらいにならなければ生活に余裕を生み出す事は困難である。

「ふむ、まさか余計な気遣いをしているのではないじゃろうな」

 戦時の姫ともなれば流石に鋭い。或いはその身に宿る商人の血が為せる技であろうか。

「いえ、そんな・・・・。はあ、実はその通りなのです」

 それに対して相変わらず蒼愁は馬鹿正直であった。しかし考えてみれば馬鹿正直と言う事ほど、鋭い者に

対する手段として有用なモノは無いかも知れない。この場合別段姫の毒気を抜く必要は無く、それ以前に姫

に毒気も無かったのだが。

「心配せずともそのような事祖父殿達は期待してはおらん。気楽に行けば喜ぶのじゃ。お主は常に真面目な

男じゃが、それも程度と言うモノがあろうに」

「いえ、そう言うわけには。やはり恩は返すものでありますし」

「それならば私に懸命に仕えると良い。祖父殿は私に甘い、私の相談役をやっているだけでも喜ぶぞ」

 そう言って姫君は今度はのびのびと微笑んだ。

「はッ、私は力を尽くし職務を懸命に果たす所存にございます」

 それに対してやはり生真面目に礼の姿勢をとる蒼愁。

「ほんにお主は固いのう・・・」

 このようにして相談役を仰せ付かりながら、逆に姫君に相談する羽目になり、双方苦笑しつつも彼の着任

第一日目は終る事となった。



 こうして相談役としての責務を果たしているとは多分に言えないにしろ、不思議と姫君のお転婆ぶりも

蒼愁に毒気を抜かれるのかあまり目立たなくなり、蜀頼以下参謀府の面々はとても満足していた。そして密

かに蒼愁を恒久的に姫の相談役とする事を(勿論本人達には内密に)決めたのだった。

 まあ桃の皮向きが得意と言う蒼愁は、桃好きの姫にとってもそれだけで使える人材であり。姫君の方は文

句は無いであろう(と勝手に参謀府側は自己納得した)。

 蒼愁の今時珍しい人柄は物珍しさ故に人の興味をそそるらしく、一週間程経つと王宮内の高官や近衛達と

も程良い仲になっていた。王宮内は王族以外は女性のみの職場でもあるので、相談役となったものが女官達

と深い仲になる事も珍しくは無いのである。

 現に参謀長である蜀頼の妻も元々は近衛出身であるし、他にも参謀府の人間には王宮内で知り合ったと言

う妻が多い。こういう仕事上の付き合いの延長である男女間の交際についても、壬国は特に禁止している訳

では無く、仕事に差し支え無いと考えられれば問題にはならない。

 ただし、同じ府内の人間同士、或いは将軍と部下、そう言った仕事上あまり特定の人間と親し過ぎると問

題のある場合は(つまりは過剰な贔屓と恋慕故の盲目を防ぐ為に)それを禁ずる事もある。こう言った場合

は厳しいが、どちらかが辞職するでもしない限りは永遠に結ばれる事は無いようだ。

 政府と言う公的機関、そして軍という最重要機関の機能に対してはやはり充分に注意は払われている。そ

の場はあくまで公的な場であり、私的な場にしてはならないのである。公私混同こそが権力を持つ者の最も

大きな罪なのだ。

 この禁を考えると、司譜(シフ)上将の部下にその姪の司穂(シスイ)大長が居る事はこの禁に当るので

は無いかと思われるかもしれない。しかし肉親関係の場合は少し異なり、その血の遠近と上官となる側の人

格によってはそれを許される事もあるようだ。勿論、人事等が私情だけで行われていると判断されれば、例

え最高位の大将軍であっても即刻その任を解かれる事となる。

 つまりはその関係が負の方向へと働かない為の禁であり、人が感情を持つ生物である以上は多少それが入

り込む事も仕方が無い事であると言う事だ。繰り返し言うが、それが過ぎなければ、支障が出なければ、そ

れは逆に清廉潔白として評価の対象にもなるのである。

 司譜の場合はこういう関係の模範と言われる程で、言わば国全体から認可されている。

 何事でも、どこからどこまでの境界線を決める事は難しく、壬ではこのように結果を見て裁可を下す方法

をとっているようだ。これは現実的であり、また一番確かで説得力もある形だと言えるだろう。

 ともかく、この禁に触れるくらいに浮いた話が出る程では無いにしろ、蒼愁は皆に気に入られ、不思議な

事に彼が来てから王宮内も以前よりは明るさを増したように思えた。彼にはどこか人間関係を円滑にする才

能があるのかも知れない。

 彼の父蒼明も元は王城勤めで、その頃から厳格でありながら皆の信頼を得ると言う定評があり。流石はそ

の息子よと、城内でも古株の兵や士官に噂される程には蒼愁の存在も認知される事となった。

 彼には北守(ホクシュ)と漢嵩(カンスウ)に関する一件で並々ならぬ戦功があった事も、もしかすれば

その彼の才能を後押しする結果となったのかも知れない。

 蒼愁はこうして今期入った下士官の中では名実共に第一等と言える存在となったのだが、羨ましいと思わ

れてもそれが嫉妬まで行く事も無く、概ね無事に彼が仕官して初めての休みを迎えたのだった。




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