4-4.ぶらり一人旅の心


 官の休日は特に決まっている訳では無く。府の長が場合に応じて、常に必要な人数が城内に居るように計

算して定めている。大抵は週に一日もらえるのだが、忙しい時には一月休み無しと言う事態もありえた。そ

の場合は勿論、後にその一月分の休みを一度にもらえるのだが、しかしそれで慰められると言う訳も無く。

皆そう言う事態を引き起こさない為に、日頃から余計な仕事を溜めないように尽力しているのである。

 今回蒼愁(ソウシュウ)に与えられた休日は三日。半端な数字にも感じられるが、これは言ってみれば任

官した後の身辺整理と言うか、慣れない仕事の準備に多くの時間も必要だろうとの配慮から来ている。任官

して初めての休日は府にもよるが、大抵はこのように三日与えられるのだ。

 その為、明確に言うならば、これを休日とするのは語弊があるのかも知れない。

 であるから蒼愁も仕事の準備に追われ・・・る事も無く、この時間の使い道を悩むと言う羨むべき状態に

あったりした。

 第一日目はそれでも改めて色んな人に挨拶に出向いたりして、ぼんやりする暇も無くあっという間に過ぎ

た。参謀が関わりのある将軍、王族、後はそれぞれの府の長、これだけの人数に挨拶するにはやはりそれな

りの時間がかかるものである。

 壬国もほぼ建国王からの設計を完成させつつあるとは言え、未だ発展途上と行って良い段階であるので、

他のすでに出来上がっている国家の機関よりも概ね忙しい。その為に他の府へのあいさつは初めての休みを

利用して、個人個人で行う事が壬国では通例となっているのである。

 挨拶自体はあまり時間を取らせない為に短く終るのだが、その挨拶の時間をとってもらうのになかなか待

たされてしまうのだ。

 何しろ先ほども言ったように壬国は忙しく、特に将軍や府の長ともなればその激務を想像するのは容易い

だろうと思う。それを一介の下士官などが無理に時間を空けてもらう訳にはいかず、全て挨拶し終わる頃に

はとっぷりと日が暮れている、と言う訳なのだ。

「ん、うーん」

 蒼愁は昨日のそんな待ち時間の長さを思い出しつつ、眠気を払うように背伸びをした。

 彼は姫君の相談役である。それは大変な仕事である事は間違いは無いのだが、しかしそう準備や何かがす

ぐに必要である職では無い。参謀や相談役に必要と言えば、兵法書や哲学書などを読み、己の才覚を磨く事

であろうか。

 他にも己を磨くには街の賑わいに触れ、多くの人に触れるると言う手段もある。古来より自然の全ての事

象を師とし、学ぶ事が最上のものであるとされているように。尊い者からはその生き方をそのまま素直に学

び、平和を乱す輩からはそれを反面教師とし、自己に照らし合わせる事で反省の材料とするのだ。

 ようするに考え方、見方次第で何からでも学べるのである。得る物の無い経験など存在せず、己の思い一

つで、全ては薬となり毒となる。

 ただ、それは血眼になって必死に探すモノでは無い。何処かに余裕を持って生きなければ、他者を感じ

る事は出来ないからだ。あくまで自然に、あるがままに感じるのである。

 まあつまりは蒼愁には時間があると言う事だ。

「しかし趙庵まで行くには少し短い」

 そう、時間があるとは言え、実家に無事任官したとの挨拶に行くにも二日では如何にも短い。だがこのま

ま無為に過ごすには長いし、それでは勿体無いだろう。厳密に言えば少し違うかも知れないが、この二日と

言う休みは彼が思うに、帯びに短し襷(たすき)に長し、であった。

「はッ、そう言えば」

 暫く考えていると何時ぞやの姫の言葉が浮んできた。

 試験時にお世話になった桐明館(ドウメイカン)の件である。

「この機会を逃せばまた何時の事になるか解らないし」

 また明日にも賦国が攻めて来ないと言う保証は無く、現在は双や凱に対しても政情が不安定になっている。

そして、思い立ったが吉日、そんな言葉もある事だ。

「決めた。恥を忍んで礼を取りましょう」

 そしてまるで戦にでも赴くような凛とした表情を浮かべ、蒼愁はゆっくりと立ち上がった。手土産の持て

ない身を、やはり生真面目に恥じているらしい。



 ともかく蒼愁は桐明館へと向かう。

 以前訪れた時は黄昏時であったが、今はまだ日も高く昼と言うよりは朝に近い時刻である。その為だろう

か、以前とは雰囲気も随分違った。

 賑わいは変わらないが、店の灯火が違う、行き交う人の顔が違う。酒家も酒よりも食事の賑わいであり、

それは彼に似てどこか生真面目さにも似た賑わいに思う。ただ試験時よりは確かに人の流れは緩やかで、衛

兵達も警備をしている訳ではなく。そう、言うなれば落ち着いた雰囲気を感じるのだ。

 天気は良い。山間にある都市とは言え、開けた台地に造られているせいなのか、山の麓ではないせいか、

不思議に思える程この衛塞(エイサイ)は青天が多い。とは言え他国に比べれば雨も少ないと言う訳でも無

く、水資源も豊富で水不足など過去陥った事は無い。

 この壬と言う国は水と鉱物資源だけは他国よりも恵まれている。この二種だけは驚く程物価も安いのだ。

まあ、だからこそこの国が辛うじて国として機能出来ているのだろう。建国王壬臥(ジンガ)もこの山間ま

で弾かれてしまったが、それでもただでは起きない辺り、強かな人物であったに違い無い。

 蒼愁は以前来訪した時の記憶を頼りに大通りをのんびりと進む。交通路の整備を重視しているこの国では

通常迷う事は考えられない。よほどの方向音痴であるか、或いは試験時のような過多の賑わいを見せている

時は別であるが。まあ今のような平時であれば、まだ馴染みが薄い彼でも何とか行けるであろう。

「しかし大きな街ですねえ」

 当の本人は以前迷った事など忘れているのか、それとも漲る自信でもあるのか。いつもの如く目を閉じた

ままでのんびりと朧に歩いていた。

 それを見て、不審そうに歩み去る人も多々いたが、勿論彼は気にしない。気にしないと言う以前に見て

いないのだから、それも当たり前と言えば当たり前か。

 そして奇跡か幸運か、蒼愁は危なげ無く桐明館まで辿り着く事が出来たのであった。



 桐明館は試験時と変わらぬ賑わいで、壬国一とも言われるのもなるほど頷ける。この絶え間ない人の流れ

こそが何よりも明確にそれを証明していた。

「うーん」

 蒼愁は二度目と言う事もあってか、今回はその場に迷惑駐人する事も無く、すたすたと軽やかに館内へと

踏み入れて行った。しかし商売客以外の私的な客人は大抵裏口から入ると思うのだが、如何なものだろう。

或いは彼は裏口と言う存在自体を知らないのかも知れない。

「あッ」

 誰よりも堂々と入って来る青年に気付かない訳が無い。店番の女が早々と彼を見付けて声を上げた。

「いつぞやはお世話になりました」

 軽く礼の姿勢を取る蒼愁。そう、その女は以前にも同じように出会った凛鈴(リンレイ)である。

 そして彼女は以前のように慌てふためいた。あわあわと、見ていてとても面白い。

「ど、ど、ど・・・・だ、だ、だ・・・」

 どうしましょう、だ、旦那様。とでも言いたいのであろうか。この女性も相変わらず緊張派のようだ。

 しかし客達はそんな彼女が気にならない様子であった。馴染みの客らしく慣れているのだろう。そして勿

論、その元凶である蒼愁も気にしない。 

「凛鈴、落ち着きなさい」

 数分経った後だろうか、店の雰囲気に気付いたのか奥から静かだが鋭い声が発せられ、一人の落ち着いた

夫人が現れた。店主、桐信(ドウシン)の妻、桐音(ドウイン)である。

「まったく、貴女はいつまで経っても落ち着きが・・・・・あら、貴方様は確か」

 桐音も彼女にしては珍しく驚いた様子で、暫く口を開けたままになってしまった。

「あら、いけない」

 暫くしてその状態に気付いたらしく慌てて口を閉じ。

「ささ、奥へ。主人も会いたがっておりました」

 姫君に似た軽やかな微笑を浮かべたのだった。

 しかしまたしても蒼愁と言う男は迷惑千番以外の何者でも無かったかと思われる。ともあれ、こうして彼

は桐明館の方々と再会したのであった。

 だが礼に行くくらいであれば、事前に連絡を入れるべきだと思うが、如何なものだろう。




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