4-6.蒼愁、虎を知る


 蒼愁(ソウシュウ)は桐明館(ドウメイカン)へとひた戻り。早速桐信(ドウシン)の下へと向かった。

彼は平素奥の一室で雑務をこなしたり、或いは上得意の客と会ったりして過ごしているらしい。接客などの

実務は妻の桐音(ドウイン)が切り盛りしているようだ。

 桐信は丁度一段落付いた所だったらしく、すぐに会ってくれ、蒼愁の話をまるで自分の事であるかのよう

に丁寧に聞いてくれた。

「確かに最近は虎らしき方のご来客が多いようです」

 そして彼は蒼愁の言う事を認めた。確かに武具の売れ行きもここの所急激に伸びていると彼は言う。そし

て又、こういう事はさほど珍しい事でも無く、その不安も杞憂に終る事が多い事も付け加えるように蒼愁に

教えた。一年に数度、必ず武具の売れ行きが伸びる事があるらしく。それはおそらく政情不安から来るもの

であろうと、桐信は話してくれた。

 長年商館を営んでいるであろう、この桐信の意見ならば充分に信頼出来る話であろう。とは言え、こうい

う事は慎重になり過ぎて困る事も無い。蒼愁はもっと情報が無いか桐信へ更に尋ねてみた。

「そういう事でしたら、私共よりも直接虎の方に聞かれる方がよろしいでしょう」

 そう言う事ならば、桐信は知り合いの虎を紹介してくれると言う。何でも上得意様の一つで、壬に寄った

際には必ず顔を出してくれる虎らしい。規模もそこそこ大きく、虎の中でも中堅辺りに位置するようだ。

 それくらいの虎であれば、優れた情報網を持っているのが当たり前であり、必ず役立つ情報を持っている

であろう。

「何から何までありがとうございます」

 蒼愁は丁寧に礼を言うと、簡単な地図を書いてもらった紙片を受け取り、再度桐明館を後にした。

 慌しい蒼愁を見送った後、桐信は流石に仕事熱心であられると、一人また頻りに感心していたと言う。



 

 手にした紙片を頼りに蒼愁は進む。

 目的の地は桐明館からさほど離れていないようだ。

 虎が滞在する時は大抵酒家に居る事が多い。酒家は平時でも人の出入りが激しく、その分色々な人間が集

まる為に情報収集にも便利だからである。虎にとって詳細な情報が命であり、それが無ければ手柄を立て立

身出来ないし、それ以前に仕事にすらありつけないのだ。

 贔屓の商館などを作るのも言ってみれば全ては情報収集の為であり、虎はこの辺りが徹底している。

 暫く紙片の導くままに進むと、やがて見覚えのある通りに出た。

 見覚えのあるのも当然であろう、そこは少し前に彼が居た通りであったのだから。そして蒼愁はこれも見

覚えのある店へと足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ!」

 この大きな声にも聞き覚えがある。偶然か、単にこの辺りで桐明館に近いのがこの酒家であるのか、その

辺は人間には計り知れないが。桐信より紹介された虎が居るのは、少し前に蒼愁がお茶と饅頭をいただいた

あの酒家であった。

「あれ、お客さん。お忘れ物ですかい!」

 店主もさほど前の事で無いだけに、流石に蒼愁の顔を覚えていたらしく、不思議そうな顔でそう問いかける。

「先ほどは美味しい物をありがとうございました」

 それに馬鹿丁寧に応える蒼愁。

「いえいえ、そう言っていただけるとやってるかいもあるってものです」

 店主は嬉しそうだ。

「お忘れ物でしたら、お探ししましょうかい」

「いえ、今回はあちらの方々に用件があって参りました」

「そうですかい。では何かあったらお呼び下せえ」

 店主は丸太のように太い腕を叩いた。何か揉めそうになったら助けを呼べ、とそう言う事なのだろう。

「・・・・・・・俺達に用かな」

 そしてその一連の会話を聞いていたのか、虎と思わしき一団の中の一人が蒼愁の方へぎょろりと目を向け

た。見事な髭を生やした男で、まるで絵物語にでも出てきそうな風体である。落ち着き払った物腰といい、

最初に発言した辺り、この男が首領格であろうか。

「はい、少しお話をうかがいたいのです」

「話?」

 丁寧な礼をする蒼愁に男はその表情を訝しそうなものへと変える。彼らのような荒くれ者達に丁重な姿勢

をとったりする者など皆無であり、またわざわざ話を聞こうなどとする物好きは珍しい。

「まあ、それならこっちへ来な」

 そして男は蒼愁の為に手近な席を一つ空けさせたのだった。律儀な男でもあるらしい。



 その首領らしき男は孟然(モウゼン)と名乗った。虎は当たり前だが虎全体を指す言葉であり、その各々

の虎には大抵首領の姓を前に付ける事で区別している。つまりこの場合はこの孟然が率いている虎は孟虎と

呼称される事になる。

 この孟然、初めは警戒していたのだが。蒼愁が桐信の名を出すと案外簡単に信用してくれ、酒を馳走して

くれるなどして歓待してくれた。

 虎とは信用こそが最も大事と言われ、その為にどの虎も大抵がとても義理堅い。それは信用出来ない傭兵

など雇う国が無いからである。だから自然に虎と言うものは義理堅くならざるを得なかった。

 彼らの話によると桐信は単なる商売相手だけでなく、色々とこの衛塞(エイサイ)で暮らしやすいよう

に便宜を図ってくれており、孟虎達も個々人毎に感謝しているらしかった。この酒家も桐信の紹介らしく、

安価で食事を出してくれているらしい。

 これだけ世話になっている分、桐信の知り合いには彼らも格別の扱いをする事にしているようだ。

「それで何を聞きたいんだい」

 少し酒が回ってきたのか、赤みの指した顔で孟然が改めて蒼愁に言った。

「はい、最近虎の皆さんの動きが活発になっているように聞きました。それでもしかすれば近々何かしら争

い事が起きるのではないか。そう心配になり、是非とも詳しい話を聞きたいと思いまして」

「ほう、それは仕事かい。それとも興味かな」

「ええと・・・・、両方になると思います」

「なるほど・・」

 孟然の表情は初対面から変わっていないが、その態度は何処となく和らいで来ているように思う。他の孟

虎達も初めは警戒してこちらを窺うように睨みを利かせていたが、今は常の如く穏やかに飲んでいる。蒼愁

の馬鹿丁寧な物腰には相手を軟化させる効果があるかも知れない。

 そうと思えば、彼はやはり得な性格をしているのだろう。馬鹿丁寧を演じていると大変鼻に付くのだが、

それを自然にやられると涼風のように心地良く感じる。この辺は人情の不思議さとしか言いようが無い。

「まあ、あんたが何処の誰だろうと俺達には関係無い。しかし知っての通り、俺達にとって情報とは何より

も価値のある重要な物だ。それを聞きたいと言うなら、まずは俺の言った事を他言しないように誓ってもら

おうか」

「はい、その辺は重々承知しております」

 蒼愁は座礼の姿勢をとった。

 座礼とはその名の通り座したままする礼で、友人同士など礼よりはやや親しい意味合で使われる事が多い。

この蒼愁と孟然の場合のように、わざわざ立ってから礼するのは大げさ過ぎる場合にも使われている。

 簡単に言えば上半身だけを使った礼の姿勢だと言えるだろう。

「ならば教えよう。まだはっきりとした確証は無いのだが、どうも凱が内々に軍備を整えているようなのだ。

今壬と凱は緊張状態にあり、先の双が賦に降った件もある。賦がまた何か企んでいる可能性もあるし、凱一

国に何か考えがあるのかも知れぬ。どちらにしろ、今凱に不審な動きがあるとすれば、この壬は警戒を強く

するしかない。しかし壬は戦続きで兵も疲弊し、犠牲も多かった。だから俺達虎は雇い主になる可能性の一

番高いこの壬に集まっているのさ」

「なるほど、そう言う事なのですか・・・・」

 確かに先の一件以来、壬と凱は腹の探り合いのような緊迫した関係が続いている。猜疑の種を除く事はい

かに統制のとれた国でも難しい事だ。そしてこの状況を賦が放って置く訳も無いと考えられる。凱とは壬の

南東部を接する国であり、特に仲が悪い訳でも無いが、その位置関係からもお互いに警戒を怠る事は出来な

い相手である。

「まあ、まだ推測の段階でしかないがな。だがあんたも警戒だけはしておいた方が良いだろう。また何か解

れば桐信殿に伝えておく」

 孟然はそう言って一息に酒を呷った。

「貴重な情報をありがとうございました」

 蒼愁は丁重に礼を言いながら、改めて今の五国家間の均衡が崩れつつあるのを思い知らされたのだった。




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