4-7.悩み難題に貴賎の差は無いの事


 蒼愁は今、衛塞(エイサイ)の王宮に居る。

 初休暇もあっという間に終わり、桐明館で楽しい一時を過ごしたのだが、政情不安を具に垣間見ると言う

結果にもなってしまった。

 知己となった虎の孟然(モウゼン)は確証は無いと言っていたが、虎が何の確証も無いのに動くはずも無く。

考えたくは無いが、やはり何かしら凱に動きがあるのだと見て良いだろう。願わくば、それが壬国にとって

悪い方で無ければ、と祈るばかりである。

 ただ王城へ出仕した日に得た情報は参謀長である蜀頼(ショクライ)に報告した時、似たような報告を他か

らも受けていると言っていた。となればこの祈りは通じない可能性が高い。

 現在壬国は疲弊しきっている。先の戦で戦死者を多数出し、立て続けの戦でただでさえ余裕の無かった国庫

が更に険しい事になっていた。属国となった北守(ホクシュ)から届く物資が無ければ、とうに破綻を来して

いたかも知れない。国民の間にも当然として反戦感情が高まっている事だろう。

 このように表面穏やかに見えるこの国にも、未だ戦禍の爪痕が色濃く残っていた。

 そんな今、凱が攻めてくれば果たしてどうなるだろうか。その時はおそらく賦も今が好機とばかりに攻め込

んでくるはずだ。北守からの援軍を期待して考えても、六割方敗北する。例え守りきったとしても、おそらく

その次の攻勢に耐えられる力は残ってはいないであろう。

 つまり、壬国は今なんとしても他国との戦を避けねばならない。

 戦いを避けるには外交しかあるまい。しかし賦への国交は無く、あっても弱い者から各個撃破して行くのが

集団を相手取る場合の基本と考えれば、最弱国である壬に賦が交渉など考えないだろう。弱みを見せればそれ

幸いと攻め入ってくるに違い無い。となれば凱と交渉するしか無いのだが。

 しかしその凱と今、言ってみれば冷戦に近い警戒状態にある。果たして上手くいくであろうか。

 蒼愁は悩む。蜀頼や参謀府の面々も勿論悩んでいる。おそらく外交に直接に関わる外交府などはその数倍は

悩んでいるに違い無い。

「・・・・・聞いておるのか、お主は!」

「は、はい!すみません!!」

「女の話を聞かない男を最低と言うのじゃぞ」

 姫君が彼の眼前でむくれていた。

 今蒼愁は相談役として、姫君の私室に居る。しかし休暇が終ってからと言うもの、蒼愁はこのようにぼんや

りと考え事をしている事が多い。姫も現在の政情などはよく解っており、彼が悩む理由も解ってはいるのだっ

たが。それはそれとして、やはり無視されると腹が立つのが人情である。

「凱との事は外交官が上手くするであろ。お主がいくら参謀であるとは言え、ここで悩んでいても解決はしな

いじゃろうに」

 参謀とは自然、各機関の補佐のような立場にもなる。そう言う意味で蒼愁にも悩む資格はあるのだが、姫君

の言うように彼がいくら悩んでも解決はしないだろう。それに参謀府の仕事はむしろ外交が悪化した時に回っ

てくると言える。今の通常外交段階では情報収集くらいしか手伝える事は無かった。

 それに当たり前であるが、外交府もきちんと仕事をしている。それを参謀などに横から悩まれては立つ瀬が

無いだろう。

 だから物解った蜀頼以下参謀府の面々は普段どおりの表情で雑務をこなしているのだが、この蒼愁はまだま

だそこまでの境地には立つ事が出来ないようだ。いくら蒼愁が顔に出さない性分であるとは言え、こうも腕組

みしてあからさまに唸っていては、誰が見ても解ると言うものだ。

「まったく、これではどちらが相談役なのか解らぬのじゃ」

「重ね重ね申し訳ございません」

 義憤遣る方ない姫君であった。



 戦争と言うモノは長続きしないが、絶える事も無い。

 争いに侵された人は狂い牛のようで、一時疲弊し立ち止まってはいても、力が戻れば必ずまた暴れ出す。

 こんな人の業に対する有名な二つの言葉がある。どちらもあの大軍師趙深(チョウシン)が晩年に記した軍

讖(ぐんしん)と言う、彼が残したと言われるたった一つの書物に残されていた言葉である。

 この軍讖の原本はすでに失われていると言われ、今に残るのはそれに記されていた内の幾つかの文を何時の

誰かかが模写したものにすぎないのだが。それでもそれに書かれた兵法、軍略などは数ある書物の中で最も尊

ばれ、現在の戦術や戦略もそれを模倣したモノに過ぎないとさえ言える。

 ただこの軍讖には異説があり。元々世を儚んで遁世した趙深がこのような書物などを残す訳が無く、或いは

趙深の晩年を共に過ごしたと言う彼の長子である趙起(チョウキ)の手によるものでは無いか、とも言われて

いる。

 だがどちらにしても趙深が深く関わっている事には違いなく、この書物が失われた事は真に悔やまれる。

 

 話はそれてしまったが、今の蒼愁はこの二つの言葉を正に思い知らされていた。

 平和を生み出す要因として、争いの決着と力の均衡の二つがあると考えられる。そう言う意味で彼は現在の

五国家と言う形に幾分かの望みを抱いてもいたのである。

 即ち、危ういながらも均衡していたこの五つの国家の関係が続けば、それは徐々に安定へと向かっていくの

では無いかと。

 しかし歴史はそれを阻むかのように、あっさりと五国家間の力関係を崩してしまった。

 思えば、それは双と言う国から始まった。


 漢嵩(カンスウ)の投降と望岱(ボウダイ)の陥落により双と言う国は瓦解し賦の属国に堕ち、また北守と

言う北東部一帯の独立まで許してしまった。未だ六万を越える兵力を持ち、悠江(ユウコウ)の流れが齎す

豊かな土壌の平野を治めているとは言え。最早王にも重臣にも争う意志も能力も無く、新しい指導者でも現れ

ない限り、この国は眠り続ける事になるだろう。

 双の北東部一帯が漢嵩を旗頭とし、北守として壬に属する形で独立したが。こちらも未だ治まりきれてはい

ない様子である。そしてそれを治める北守侯漢嵩と宰相明節(ミョウセツ)の動向にも注意が必要であるだ

ろう。漢嵩はまだ壬に恩義を感じているが、明節や北守の民はどうしたたかに考えているか解らない。

 壬国は手痛い戦禍を受け、北守から得る物資によって辛うじて保っている。兵の士気意欲共にまだまだ高い

が、国民の間に徐々に反戦感情も高まりつつあった。もしまた他国が進軍して来るような事があれば、おそら

くは国存亡の危機となるだろうと予測される。

 そして凱と壬は意図しないままに、お互いを警戒しあう状態へとされてしまった。しかも凱に何かしらの動

きが見え、虎達も騒がしくその近辺で活動を始めている。

 その三国を睨み操り、掌の上で弄ぶ賦国。一気に攻め入る機会を虎視眈々と狙い、その絵図をひしひしと描

き始めているようだ。ただこの国も完全に一枚岩であるとも言えなくなっているらしい。

 更にその四国家に対して沈黙を守る大陸西南部にある玄国。その姿勢は常と変わらず、未だその心底は解ら

ないが、それ故に不気味であるとも言える。


 このように均衡はすでに失われ、この大陸は抗う術も無く何者かに飲み込まれようとする気配すらあった。

こうもあっさりと動き出す事を考えれば、かつての危うい均衡でさえ、未だ激動の乱世でしか無かったのだと

思い知らされる。

 果たしてこの状況で壬に活路はあるのだろうか。

 そして更に強大化する賦への対抗手段など存在するのだろうか。

 蒼愁は悩み、考える度に不安が浮かぶ。

 しかし彼には進むしか無かった。例えそれが暗雲の中であっても、無言でそれに抗うしか無い。

 何にしてもまずは凱である。かの国と戦端を開く事だけは避けねばならない。

 蒼愁は外交府の働きが実を結ぶ事を再び祈った。



                                   第四章    了




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