5-2.対二国家戦思考


 凱と同じように壬にも凱と敵対したくない同じ理由がある。つまりは賦と言う存在。

 この二国家だけで無く、双を含む四国家にとって賦と言う国は脅威以外の何者でも無く、建国以来から決

してまともに相手取る事の出来ない国なのであった。強大な国力と生産力、それを活かす技術力と剽悍で

屈強な民族性。どれをとっても正に完全な戦闘民族と言え、純粋な戦闘国家であると言える。

 これほどの国家は歴史にも類を見ないであろう。

 かの碧嶺の統一国家でも、一国としてはこれほどの統一性を持たなかった事を思えば、その国としての力

量が解るだろうか。

 賦と言う国としての歴史は浅いが、民族としては深い。その歴史もまた強さに加味しているのだろう。

 現在あるどの国家もこの賦に果断なく攻撃を受けている。それもただがむしゃらにしているようでいて、

しかし何処か計算めいたものも感じられた。特に漢嵩の一件以来からその要素が強くなっているように思え

る。最早この国は脅威をすら通り越して恐怖の対象でしか無くなっているかも知れない。

 それは防衛に特化したこの壬国でさえ、簡単に揺るがしてしまう程である。

 この僅か数月の間に、その事を蒼愁もまざまざと思い知らされた。

「気は焦れども求めるものに近付く術はあらず、か・・・」

 蒼愁は参謀府の片隅でぼんやりと呟いた。

 これもかの趙深(チョウシン)の言葉である。一説にはこの言葉で碧嶺に時を待つ、と言う事を教えたと

言われる。この後に、されど静する事が時にそれを可能とす、と続く。つまりは黙って時勢が味方に付くの

を待て、と言う事だろうか。

 碧嶺は元来が能動的な人物であったようで、趙深を得るまでは時にその事で大いなる失態を犯した事もあ

ったようだ。それを抑え補う趙深と言う存在を得た事で、初めて彼は後に統一皇となる資格を得たとも言え

るだろう。

 だが蒼愁にはまだまだその趙深の域へ達する事は不可能らしく。どうにも凱との外交状態が気になって仕

事が手につかない事もしばしばであった。

 しかし蜀頼(ショクライ)以下参謀府の面々はそんな蒼愁を気にする事も無く、それぞれが個々の仕事に

没頭している。これは彼を信頼していると言うよりも、単に一々小言を言うのが面倒だからかも知れない。

それに彼の主な仕事は姫君の相談役であり、参謀府としては姫君のお守りをしてくれているだけで(例え今

の蒼愁の態度に姫が憤慨しているとしても)、それだけで充分に満足なのであった。

 参謀だけあって、どこか狡賢い参謀府の面々である。

「ふう、まあ最悪の事態でも戦端を開く事は無いと思いますが」

 凱の実情を見ても、それだけは間違いが無いだろう。ただ相手があの凱だけに、信頼と言うものがどうし

ても欠けてしまうのは免れない。

 現在外交団が凱へと向かっているはずである。おそらく今日明日には王都偉世(イセイ)に到着するだろ

う。しかし何度思っても来る者を嘲るような都名だ。

「しかし凱だけでなく、賦の動向に最も注意しなければ」

 最近の賦を考えれば、少しでも隙を見せようものなら勇んでやってくるに違い無い。いや、もうやって来

ているかも知れない。神出鬼没に賦の黄竜は現れるのだから。

 それに備え黒竜達もいつでも出撃出来るようにしているのだが、また多大な犠牲でも出ようものならば、

今度は例え守りきってもその後がどうなるか解らない。

 今の壬国も安定とは無縁なのだから。

「・・・・・・」

 蒼愁はふと、趙庵(チョウアン)に居る家族の事を思った。



 壬国外交使はようやく凱都偉世に到着した。

 外交長季笥(キシ)と対双外交などで頭角を現しつつある傲碍(ゴウガイ)を正使とし、後はその護衛数

人と言う少数である。元々外交使は余計な警戒心を抱かれない為に、少数で遣わされるのが通常であり、こ

れは特に壬に限った事でも無い。

 偉世の都も賑わい深く、今の壬都衛塞(エイサイ)と同じく荒くれ者の姿が多かった。それはつまり都全

体が戦へと移行しつつあると言う事でもある。

 季笥はそれを見ながら複雑な表情をした。

「まさか我が国に攻め入る事は無いにしても、これは少し物々し過ぎますな」

 この穏やかな初老近い男はこういう状態の街並みはあまり好きでは無かった。普段は特に何を言うわけ

でも無いが、生来の戦争嫌いなのである。

「季笥様、相手は凱ですし。これは油断なりませんね」

 傲凱も辺りを見回しながら、どこか困ったような表情を浮かべた。仕官前は傲慢に近い男であったが、こ

の数月の間の経験が彼に幾許かの丸みを帯びさせたようだ。しかし何処か自尊心の高さは抜けきっておらず、

その目は無意味に鋭い。

「そうでしょうな。直接的にはしないまでも、間接的には何かしかけてくるやも知れない。努、油断せぬよ

うに」

 季笥の声に護衛者達が頷く。

 彼らは少数の護衛となるだけあって、特に黒竜から個人技に秀でた者として選ばれた者達であるが。それ

でも敵地に赴く以上、何かあれば即座に死を覚悟しなければならない。その名誉に比例して仕事の難度も当

然ながら上がるものだ。

「とにかく、まずは王城へ」

 その言葉に全員が一様に頷いた。

 

 壬国外交使団は凱王への面会は許されたが、暫し待たされる事になった。

 外交使へは通常優先的に会う事になっているが、それでも即座と言う訳にもいかず、少しの間待たされる

事も珍しい事ではない。であるから季笥達も特に何を申し立てる事も無く、素直にその命に従った。

 彼らは国客用の一室を与えられ、暫しそこで過ごす事となった。

 何でも後1時程はかかると言う事であったので、室内には軽食なども用意されている。

「何かあったのでしょうか。それとも何か企みがあるのか」

 傲碍が季笥に問う。この二人は仕事の上下関係と言うよりも、師匠とその弟子と言う風な関係になってお

り、事ある毎に傲碍が問い、それに季笥が答える。そんな光景が外交府では毎日当たり前のように繰り広げ

られていた。

 季笥は面倒見の良い男であるので、こういう言ってみれば傲碍の無遠慮な態度にも特に迷惑に思っている

ような事も無いようで、これもまた一つの良好な関係であると言えた。

「そうですな・・・、ひょっとすると我が国への態度を決めかねているのかも知れない。凱がこちらに侵攻

する事は無いにしても、それはこちらにも言える事。そう考えればあくまで両国の関係は対等なのですが、

何分凱の事です。何とか手を尽くして、より優位に立とうとするでしょうな。またはわざと待たす事で、こ

ちらを焦らすのが狙いなのかも知れない」

「なるほど、相変わらず無粋な手を遣う国です」

「いや、そうではありません。それが外交と言うものです。国家としての大義名分が立てば、多少何をやっ

ても国の体面は繕えますからな」

 季笥は傲碍を窘(たしな)めるようにそう言った。傲碍はその自尊故か潔癖のきらいもあり、そこを彼は

心配してもいるのである。個人と個人の駆け引きならばまだしも、そこに国と言う集合体が入ると、これは

もう単なる奇麗事ではすまされない事も多い。

 外交官とは時に膝を屈し、時に高らかに声を上げ、あらゆる手を尽くして迎え撃ち、時に巧く渡り歩かね

ばならない。そう言う仕事である以上は、傲碍のその自尊心と潔癖性は時に邪魔になるであろう。

「ま、今はお茶を楽しめば良いのです」

 季笥は美味そうにお茶を啜りながら、いつものように穏やかな笑みを浮かべた。




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