5-3.凱国人は油断ならないとの事


 言われた通り小一時間程して、壬国外交使は応接の間へと招かれた。

 こういう外交団と応対する時は大広間を使わずに、もっと気を楽に話せる場所が選ばれる事となる。もっ

とも、密談をしやすい場所、と言った方が正直かも知れないが。

 当然ながら外交はどの国も他国へ聴かれたくない秘中の秘である。その為、同席する人数も自然最低限に

抑えられた。であるから、相手によっては暗殺される事を怖れ、敢えて重々しく護衛を付ける事もある。

 今回はそれほど重々しい警護を凱側はしていないようであるが、しかし刺客を隠している場合もあるから

あくまでも油断は出来ない。

「これはこれは壬国の皆様、このような所へようこそ御出で下さいました」

 外交使団が室内に通されると、すぐさま凱王、凱禅(ガイゼン)が立ち上がり、丁寧に礼の姿勢を取った。

ただ、それは丁寧ではあったがあくまでも礼としては軽いもので、対等以上である姿勢を崩してはいない。

 この辺りがこの王の強かな所であるだろう。

「凱禅様もご壮健そうで、私共も歓喜に堪えませぬ」

 壬国側は代表して季笥(キシ)が発言をした。これは以後もこの季笥が発言権を持つと言う意思表示でも

ある。この大陸の作法として、こういう場合の発言はどちらも一人のみとし、それ以外の者が気ままに発言

する事は憚られた。

 発言者以外の者が何か言いたい事があっても、それは発言者にそっと耳打ちをするのみに止める。

 面倒と言えば面倒な風習であるかも知れないが、こうしておかないと纏り無く無様な議論で終ってしまう

事が多く。何よりそれが変わらず残っていると言う事は、今でもそうする事の法が便利である事を意味して

いる。

「いやいや、これも壬の方々が賦を相手取っていただいているおかげでありましょう」

 当然、凱側の発言者は国王である凱禅となる。

 そして礼を交わしつつ双方対座した。

 壬側は季笥と傲碍(ゴウガイ)、そして書記役の者が一人。凱側は凱禅と数人の護衛、後は書記と参謀ら

しき者が王の両隣に静かに座していた。

 どちらも最低限の人数であり、壬に到っては護衛役すら別室に置いてきている。

 万が一の事が無いとも言えないのだが、それでも今回は余計な摩擦の種も極力避けたい。そう言う季笥の

心がその姿勢に出ているのが解る。

 さて、この姿勢を弱みと感じるか、それとも素直に感嘆するのか。それは凱禅次第である。

「何やら物騒な噂が飛び交っているようで、私共も難儀しておりますよ。まさか我が国と壬が争うなどと、

この両国の友情を考えれば、まったくもってけしからぬ噂でありますな」

「左様でありますな。まったくもってけしからぬ噂であります」

 凱禅の言葉に季笥がゆったりと頷く。

「しかし、王よ。私も先程この偉世の街並みを拝見しましたが、流石にこの国は武門の誉れ高き国にて、そ

の街並みも猛々しく、まったくもって頼もしい限りでありますな」

「はは、これは手厳しい。そちらもご存知のように、何しろ最近は賦の動きが活発でしてな。この凱として

もむざむざ破れる訳にもいかず、遺憾ながらも年々軍備を増強するしか無い有様ですよ」

「左様ですな。それはこちらも同じでありますから、真に賦とは厄介なものです」

 発言者二人はお互いに穏やかな笑い声を漏らした。

 つまりはお互いに戦の準備は賦が居る為である、とそう伝えているのだ。

 これを確認し合えただけで、外交使は無事役目を果たせたと言える。この全ての発言はお互いに細部に到

るまで記載され、最後にそれを発言者同士が交換し、自ら対面しつつも写し合う。そこまでしている以上は

例え口約束と言えども、容易く破る事も出来ず、そもそもそれを前提として外交会談と言うものが行われる

ものなのである。

 その後も凱禅と季笥は幾つかの事を話し合ったが、それは特に意味の無い雑談でしか無かった。

 

 こうして外交使団の任務は取り合えずは終了した。すでに護衛役の一人を伝令として壬へ向かわせている

為、数日の後には王城へと任務完了の旨は届くはずだ。勿論その伝令には発言録の写しも持たせてある。

 しかしこれで全てが終ったと言う訳でも無い。外交使には他国の内情を調べると言う裏任務とも言うべき

仕事があるのだ。いつの時代でも情報こそがもっとも重要視される以上、公的に他国へ入り込めるこの外交

使と言う役職を利用しない手はない。

 凱王にも、旅の疲れを癒す為、としてすでに数日の滞在許可ももらっており、宿所なども手配してもらっ

ていた。外交使を歓待する事も当然の義務であり、壬と事を構える意志が凱に無い以上は多少の願いなら聴

き入れてくれるはずでもあった。

 おそらく凱側もこちらが内情を調べるつもりである事は解っているだろう。しかしその立場がらそれに協

力せざるを得ない。勿論この立場が逆でも同じ事である。どの国にとっても等しく長短がある、だからこそ

どの国家もこれを不承不承なれども黙認してきたのだろう。

「傲碍よ、酒家にでも参ろうではないか」

 季笥は仕事と言うだけでなく、他国見物が好きな性質なのか、与えられた宿舎に荷物を下ろすとすぐさま

傲碍を誘った。護衛役を連れまわすのは目立ちすぎるので、彼らにも臨時休暇を与え個別に行動する事にさ

せた。少し危険な気もするが、こういう場合はかえって大人数の方が都合が悪いものだ。

 前にも記したように、今この偉世に集まっているであろう虎達も自ら揉め事を起こす事は無いし、王都で

あればまあ治安にもそれほど不安は無いだろうと考えられる。

 それでも万が一の為に季笥と傲碍も懐に短刀を忍ばせることにした。彼らも多少の武芸は嗜みとして身に

つけている。まともに闘えないまでも逃げることくらいは出来るだろう。

「ええ、お供いたします」

 という訳で、傲碍も異論無く、二人で出かける事となった。



 凱の王都偉世は双の国程では無いが、それなりに古く、古式美を好む傲碍にとっても充分満足出来る景観

であった。時折目に付いた美術品店を覗けば、第一級とは言えないまでも上等な品々が置かれている。どう

やら凱も貿易に力を入れているようだ。

 武具や工芸品も壬程では無いにしても、なかなかの技術力を持っているようで、無数の品々が店先に並ん

でいる。草原国家の名残なのか、馬具なども実用的な品々が多かった。

 そして何よりもその強固な城塞都市としての景観に、二人は圧倒される思いであった。

「流石はかの望岱に匹敵すると言われる事はあるのう。益々強固になっておるわ」

 二人は今は宿所の近くにあった酒家へと入り、のんびりと酒を片手に歓談している所である。

「ええ、まさかこれほどとは思いませんでした」

 季笥は何度か凱へと足を運んで来たが、来る度にこの都は成長していると言う。

「虎達も溢れるほど居る。これでは流石の賦も攻めあぐねておるだろう。交通路も整備され、壬にも匹敵す

るほどよ」

「確かに双とは対称的ですね」

 以前傲碍が行った双国の都は華美は華美であったが、ごてごてと飾りにのみ気を使い、軍事的に見てはま

ったく機能していない所であった。それに比べこの都は生き生きとしている。敵とすれば例え凱兵弱しと言

えども、簡単には攻略出来まい。

 都を強固にする事でその安心感から士気も高まる。確かに城塞を突き崩せば弱いだろうが、その城塞自体

が強固では強兵を相手取るのと同じであるだろう。

「しかし季笥様、こんな所でのんびりと酒を嗜むよりは、もっと色々と見て回った方が良いのではありませ

んか」

 傲碍がその無意味に鋭い目を季笥へと向けた。

「それがお主の悪い癖よ。よいか、みだりに動けば感付かれるものだ。こういう場合は常のように過ごすの

が一番なのだよ」

「そういうものですか・・・」

 傲碍は上官に言われ、不承不承頷いた。

 季笥はそんな傲碍を少しだけ不安そうに見詰めた。見聞を広めさせようと敢えて連れまわしているが、し

かしまだそれは早かったのでは無いかと。ただ、傲碍の古典教養の知識もその才も燻らせるには惜しい。

 とにかくも季笥は今は前に並んだ料理に舌鼓を打つ事にしたのだった。今から不安要素ばかりを考えてい

ても仕方が無いのである。




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