5-5.明節、憤慨す


 明節(ミョウセツ)は最近、漢嵩(カンスウ)の温和主義に少し苛立ちを覚え始めている。

 確かに仁と義は大切であろう。そういう心が無ければ兵も民も付いて来ない。漢嵩の人気も一つは彼のそ

の人柄にある事も、明節は充分に承知していた。

 しかしである。二度の投降を経験してからは、それをよほど恥じたのか、漢嵩の所作があまりにも弱々

しくなっているように感じるのである。人の評判と言うものを気にしすぎていると。

 明節は漢嵩の事を高く評価している。それは明家が生んだ双の中興の士、当代最強とまで呼ばれた猛将

明辰(ミョウタツ)の再来とすら思っている程である。

 だからこそ、それだけに彼の今の態度を不甲斐なく思うのだ。

 考えても見よ、今の世に彼ほどの将が居るだろうか。あの賦を長年撃退し続け、その賦にすら一目おかれ。

双国民に慕われる事王を遥かに凌ぎ、その人柄は他国の武将から尊敬と信頼を一心に受けている。

 そんな英雄が属国の王などで終って良いものだろうか。いや、そんな事はあってはならないはずだ。

 幸いと言うべきか、今の双は完全に沈黙し、それによって王への国民の信頼も更に落ちている。賦の属国

と化し、憎むべき賦族に糧食を捧げる身になっている事を双国民達は忌々しく思っているはずだった。

 気概が無いのはあくまで王侯貴族だけであり、一兵卒達に到ってはむしろ以前よりも士気が高まっている

ように思う。それはこの北守の兵達を見る事でも解る。弱兵でも双兵は崩れなければ強い。

 だからこそ今なのだ。

 今ならきっとこの双と言う国を覆す事が出来よう。そして漢嵩を本当の王の座へと押し上げる事が出来る

はずであった。必ず出来る、時の流れが、人の意志が、必ずそうさせると明節は思う。

「私が必ず漢将軍を双王へと就けてみせよう」

 その為にも今はどんな相手とも友好を結んでおきたい。それも双国内の地方長官達だけではなく、もっと

強大な力を持つ後ろ盾が良い。そう考えれば残念ながら壬だけでは物足りなかった。

 壬と言う国は兵が強くその個々人にも信頼出来る者が多い。そう言う意味でこれ以上の友好国は無いのだ

が、しかしこの国は現在賦の第一の標的となっている。とても今は双などに関わっている余裕はあるまい。

 そこで凱である。

 確かに凱と言う国は信頼には甚だ欠ける。しかし逆に言えば利害関係を同じくする場合には、これ以上無

い味方であるとも考えられた。

 凱は確かに北守から離れた国であるが、今はそれでも良いのである。後ろ盾があると言う事実さえあれば、

双の貴族共はそれだけで肝を冷やすに違いなかった。それに領土を接して無い分、尚更安心感もある。

「そうであるのに、要らぬ知恵を授けた者が居るものよ」

 明節は先程の漢嵩の言葉を思い出した。あの将軍は凱よりの貢物をそのまま壬へと献上すると言う。

 確かに正直ではあるかも知れないが。それこそ馬鹿正直と言うものではないだろうか。

 おそらくはあの央斉(オウサイ)が入れ知恵をしたに違い無い。

「こうなれば私一人で事を進めねばなるまい」

 ようするに漢嵩が知らない内に自然に担がれてしまえば良い。一度担ぎ上げられてしまえば、時の流れと

して漢嵩も立たざるをえない。一度立ち上がれば、あの将軍はその恐るべき力を存分に振るうはずであった。

彼が根っからの武人である事も明節は良く知っている。

「双を手に入れた後は、壬と凱とを使って賦を滅ぼし。然る後に領土を安定すれば良い。そうして領内を安

堵させて待っていれば、いずれはそれ以上の展望も開けるであろう」

 とにかく今は賦が邪魔なのだ。まずは腑を倒し、天下を四つに区分させる。

 天下四分の計。それが明節が密かに心するものであった。 



 凱に居る壬国外交使団は一見旅の疲れを癒しているかのように、誰が見てものんびりとした時間を過ごし

ていた。

 凱は活気がある。湿地帯にまでその領土を押し下げられたとはいえ、そんな事でへこたれるような民族で

は無かったらしい。湿地帯独自の植物、食物などを今では新たな商品として開拓し、負を利へと変えてしま

っていた。凱の民は真に強(したた)かである。商人気質であると言っても良いかも知れない。

 そういう点では信頼出来ない凱であっても、学ぶ所があると言うものだ。

「さて、そろそろ壬に帰ろうか」

 外交長である季笥(キシ)がそう言ったのは、いつも通り酒家で傲碍(ゴウガイ)と飲み食いしている

時であった。

 当然ながら傲碍は驚く。

 何故ならばこの数日と言う間に季笥がやった事と言えば、買い物をするか酒家で寛(くつろ)ぐかくらい

のものであったからである。

「季笥様、確かに凱王に滞在を許された期日には限りがありますが。しかしこのまま帰っても良いのでしょ

うか。私共はまだ何も見るべきものを見ておりません」

「人生そうかっかするものでは無いよ、傲碍」

 しかし季笥はと言えば相変わらずで、傲碍の言う事になど聞く耳を持たない。そしてそのまま支払いを済

ませ、ささと宿舎へと戻ってしまった。

 傲碍も仕方なくそれに追従して歩く。

 だが流石に上官とはいえ、これには傲碍は我慢ならなかったようだ。生来理解出来ない事は許せない性質

でもあるのだろう。

「季笥様、今日と言う今日は言わせていただきます」

「ふむ、何でも言ってみなさい」

 二人は宿舎へと戻り、旅支度をしながら話している。

「外交使のもう一つの任務とは敵情を探る事にあるはずです。しかし季笥様は今までずっと遊び耽り、その

任務を放棄なさっておいででした。これでは壬王陛下に顔向け出来ません。ここは今一度凱王へ滞在許可

を願い出下さい」

「傲碍よ、理由も無い滞在延長などは無礼の極み。それを解って言っているのかな」

 しかしそれでも傲碍は怯まない。

「勿論承知しております。しかし、しかしどう考えてもこれではあまりにも・・・」

「傲碍、少し話を聴きなさい」

 季笥は仕方が無いと言った様子でその手を止め、傲碍と向かい合って座った。

「お主は一体何を見たのか、何を聴いたのか。今一度良く考えてみなさい」

「考えろと申されましても、私が聞いたのは取るに足らない噂話だけです」

 確かに彼らが行ったのが酒家や商店だけであった以上、見聞き出来たものと言えばそれくらいであろう。

「傲碍、人の口に戸は建てられないと言う言葉がある。どんなに秘密にしようとしても、必ずそれは誰かが

世間に伝えてしまうと言う例えです。確かに一つ一つは取るに足らないものかも知れない。しかしそれがど

んな噂であれ、情報とは常に幾許かの真実を含んでいるもの。それを取り出し重ね、真実を見出す。それこ

そが真に情報収集と言うものなのだ。解るかな、傲碍」

「しかし季笥様、そんな確証の無い噂話などで」

「傲碍、ではお主はわしらに城内にでも忍び込み、機密書類でも盗み出せと、そう言うのかな」

「そ、それは・・・・」

「聞くのだ、傲碍。情報に貴銭の差は無い。何も直接それを見つけるだけが能では無いのだ。回りくどく、

面倒なやり方でも解る事はある。重要なのはそれを考える事なのだ。今自分に何が出来、何が解るのか。お

主はそれを常に考える事から始めるが良い」

 傲碍も流石にそれ以上何も言えず、季笥に素直に従った。

 こうして壬国外交使は帰路に付いたのだった。




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