5-6.遠国よりの来訪者


 壬国外交使団は無事壬へと帰還した。

 外交長である季笥(キシ)は壬王へと謁見し報告を終えた後、その足で参謀府へと向かった。これも常の

事であり、情報を司る参謀府へと報告する事も定められているのである。

 どのような場合も大抵は参謀が 同行しているのだが。この外交使に限っては他国からの余計な猜疑を避け

る為、その人員は外交府の人間と 護衛役の正規兵だけに限っているのだ。

 そこまでする必要も無いのかも知れないが、しかし外交という常に微妙なる線の上に成り立っているよう

な場合では、警戒してそれをし過ぎると言う事は無いであろう。

「蜀頼殿にお会いしたい」

「これは季笥様、どうぞこちらへ」

 参謀の一人が季笥を丁重に案内する。

 参謀長である蜀頼(ショクライ)はその役目柄、参謀府内に篭っている事が多い。蜀頼ならずとも、大抵

の長や将軍と言う管理職に就く者はよほどの事が無い限りは城内に常に居た。これも各々の仕事をより円滑

にする為である。

 彼らは所用があって外出する時にも必ずその行き先を伝えておき、その所在を常に明らかにさせる事が義

務付けられている。

 細かい事かも知れないが、上に立つ者の居場所が常に明らかである事は、その下に付く者に少なくはな

い安心感を抱かせるものなのである。いざと言う時でも上下の連携が損なわれない、そう言う繋がりの潤滑

な組織こそが組織として真なるものなのだ。

 蜀頼は今も簡素な椅子に座し、集められてくる情報を纏め上げる作業に没頭している最中であったようで。

季笥が案内されて来た時にも、いまだ彼の前の机には膨大な量の書類が積み上げられてあった。情報と言う

常に変化を帯びた存在を統括する参謀の長は、或いは書類と向き合うのが仕事であるはずの財政機関などよ

りも、より多大な書類を捌かねばならないのかも知れない。

「おお、戻られたか、季笥殿。今回もご苦労でしたな」

「はは、なかなか凱の相手は疲れますわい」

 蜀頼が手を止め、穏やかな微笑を季笥へと向けた。

 この二人は城内でも年長に属する者達であり、その分その付き合いも古い。特に外交府と参謀府は繋がり

も深く、自然その間柄も親密になる。

「それで今回は収穫はありましたかな」

「ええ、凱の軍備強化はやはり賦に対してのようでありました。あの国からすれば我が国は盾になりにわざ

わざ建国したようなものでしょうから、そんな都合の良い国を攻めるはずはありますまい。まあ、あくまで

も賦が居る限りは、と言う事になりますが」

 季笥の言葉に蜀頼も頷く。

 元々今回の外交使はその確認を取る為だけに出かけたようなものであった。徒労のように感じられるかも

知れないが、きっちりと確認を取ると言う事も大事な事なのである。如何に確かに思えたとしても、人は予

測と推測だけで自らに都合良く判断してはならない。

「それから一つ面白い噂を聞けました。何でも私共が凱へ到着した前後に、旅芸人の一座が凱を出立し、

北守へと向かったそうです」

「ほほう」

 それを聞き、蜀頼は不審げに眉根を寄せた。

 季笥が続ける。

「今の北守は盛んであり、傭兵から旅芸人まで様々な者達が訪れております。それからすればこれも取るに

足らない噂かも知れませんが、しかしそれだけにどうも」

「ふむ、北守ですか・・・・、ふうむ」

 普通に考えれば凱から北守(ホクシュ)へは遠過ぎる。しかし今の状況であればその不自然も自然と変わ

る。だが、だからこそその自然さを巧く利用したような都合の良い存在には注意を払っておくに越した事は

無かろう。

「季笥殿、どうも凱は北守を使い、何かを企んでおるようですな」

 すでに壬へは北守より凱から送られた例の貢物が送られて来ていた。それから考えても、凱の狙いの一つ

が北守にある事は明確であろう。しかし流石にその狙いがなんなのかまでは解らない。

 二人の長は一様に再びその眉根を寄せ合ったのだった。



 北守の都、北昇(ホクショウ)は賑やかに華やいでいる。

 まだまだ双国、そして北守全土から考えれば不安定な所も残っているのだが。それでも民達はそれを振り

払うかのように、祭りのような賑わいを連日見せていたのだった。双国の圧政から解き放たれ、属国と言え

ども独立出来た事が人々の心を明るくし、そしてそれを伝え聞いた商人や旅芸人などが連日訪れる為なのだ

ろう。

 どんな国でも建国時の人の賑わいは真に晴れやかで若々しいものだ。

 そんな民の情を汲む為にも、漢嵩(カンスウ)、明節(ミョウセツ)を始とする高官達も度々その賑わい

に顔を出していた。上に立つ者が、国民と共に笑い、共に泣き、共に感謝し、全てを国民と共にする事がそ

の国の心を一つにする。これにより北守の絆は揺ぎ無いものへと変わろうとしていた。

 例え、今双国が全軍を率いて攻め寄せて来たとしても、この国にやすやすと傷を付ける事は敵わないだろ

う。それ程士気も高まり、壬国製の武具で個々の武装も双国の領土時よりも遥かに強固になっているのだ。

 そして本日は高官の中からは明節がこの賑わいに参加している。

「北昇がこれほど賑わう日がこようとは・・・」

 溢れる程街に満ちる人の熱を肌で感じながら、明節は感嘆の息を吐いた。

 双の領土であった頃は、明節の手腕で何とか他の都市よりはまだ良かったものの、税金は重く民の暮らし

は決して楽では無かった。そんな頃から思えば、この賑わいなどは想像も出来なかったもので、ずっと太守

として北昇の内政を担当してきた彼からすれば、その感慨も一入(ひとしお)である。

 こればかりは生来の軍人である漢嵩には解らない事であろう。

「一つの賭けではあったが、独立がこれほど上手くいくとは真にめでたい」

 街並みを歩く度に自然と明節から笑顔が零れる。

 以前から壬に言われるまでも無く、双の圧政から逃れる為に独立を考え、近隣の都市にも働きかけて来

たのだが。これほど見事にそれを為す日がこようとは、流石に彼も考えてはいなかった。

 兵は弱く、国としても劣化の一途を辿っていたとはいえ、双は大国である。まともに争えば、例え勝算は

あったにしても、戦いは長引き多大な損害を受けていたはずであり。その復興にも数年、十数年と言う長い

年月が必要なはずであった。

 しかしそれが皮肉にも双に攻め寄せた賦と壬のおかげで、被害もほとんど無く、そっくりそのまま独立す

る事が出来たのである。明節にすれば、これほど嬉しい誤算は無い。これで天下四分の計が尚の事現実味を

帯びてきた事にもなる。

「民の笑顔、そしてこの熱気。これに過ぎるモノは決してあるまい」

 民は明節をみかける度に礼の姿勢を取ってくれる。その上、彼の邪魔をしないよう必要以上に時間を取ら

せないように気を使ってもくれていた。これをみても民が明節に抱く感謝の念は明白であろう。

 為政者にとって、これほど幸福な時も他に無いかも知れない。

「おお、これは珍しい」

 そんな上機嫌の明節がふと足を止めて見入ったモノがある。

 他国のそれも離れた国からの旅芸人であろうか、今まで双から出た事が無い彼が見た事も無い芸をしてい

る一座があった。そのような遠国から旅する者達もいない訳ではないが、当然その数は少ない。その中でも

珍しい芸を持っている一座などは更に皆無である。

 物珍しさにその一座を囲む輪はすでに大きなものになっていた。

「私も今は愉しませてもらおう」

 国内の視察は仕事であるが、半分は休息であるとも言える。民と共に愉しむ事も、今はとても大事な事な

のだ。それに普段激務に追われている宰相である彼にとって、満足に心を休める時と言えばこの機会くらい

にしか無い。

 漢嵩達もそれを知っているから、この視察の役目をなるべく明節に与えようとしてくれている。その好意

に多少は甘える事も礼に適う事であるだろう。

「ゆるりと芸を愉しむなど、いつ以来であろうか」

 明節は多少興奮しながら、ゆるゆるとその一座を囲む群れへと加わったのであった。




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