5-9.観望と願望


 数日後、明節(ミョウセツ)は礼として自邸へと座長を呼び、大いに歓待した。そしてその日に関係をも

持ち、その二人の距離も大いに縮まったように思える。それはとても自然な流れの中での出来事であり、明

節自身でさえも違和感が無かった。おそらく座長の方も無いであろう。

 明節は(或いは一定の距離をそれでも保ちたかったのか)敢えて座長の名を問う事をしなかった。故に、

ここでも座長で通す。それにこの方が彼等の関係らしいとも言えるであろう。

 この座長と明節との関係はすでに周知の事実となっていると思われるが。そう言う関係も別に誰に咎め

られる事は無く、この大陸の人々は恋愛の形としてはある程度大らかであった。そして旅芸人などとそう

言う関係になる事も珍しい事では無く、それをした所で民衆から見てもまるで問題は無い。

 むしろ問題と取っているのは、当事者である二人の方であろう。

 少なくとも明節は座長を凱からの間者と見ている。それが事実であるならば座長の方も、明節を一個の男

では無く、あくまでも北守(ホクシュ)の宰相と見ている事になる。ならばこの関係を恋愛などと言う愛憎

の範疇に収めても良いものか、少なからず疑問が残るというもの。

 表面上は仲睦まじくはし、お互いに足繁く通うようになってはいたが、明節の心には微妙な緊張感が常に

あった。

 そしてそれを後押しするように。

「漢嵩様と貴方様のお名前は天下に鳴り響き、私も以前より一度お会いしたく思っておりました」

 とか。

「特に凱などでは良くお名前を聞きました。あの凱王も一目置かれているとか」

 などと座長がふと思い出したように話したりもするのである。彼女は特に漢嵩(カンスウ)や明節を誉め

る事が多い。そして如何に漢嵩達の名が世に知れ渡っており、皆一様に尊敬の意を送っているのだと、そう

告げてくるのであった。

 愛しき人を誉め、称えるのは古来より情人の常ではあるが。しかし明節の目から見れば、どう考えても彼

を煽っているとしか思えない。つまりは北守を独立させろ、その為には双を乗っ取れと、そう言っているの

だろう。

 その証拠(明節はそう思っている)として。

「北守に比べて、双などはもう国民の信頼すらないそうですわ。真の英雄で仁者たる漢嵩様でさえ見限る程

の国ですから、それも当然でしょうね」

 などとも言ったりするのである。

 もしかすれば座長の方でも、すでに自分の素性をある程度見破られている事を承知しているのかも知れな

い。いや、初めから見破られるように近付いて来たのかも知れぬ。

 明節からすれば、単純に凱の意向を知り、凱の協力を得られればそれで良いのであり。つまりは元々凱と

明節の利害は一致するのだから、見破られても問題も無く。見破れない程度の男であれば、傀儡にしてしま

えば良いくらいの腹で近付いて来ているとも考えられた。何しろあの凱の事なのだ。そのくらいの事を考え

ていてもおかしくはあるまい。

「ならば誘いに乗ろう」

 明節はそう決断した。双を取る、と。それにはこの座長ともまだまだ仲良くしていかなければならない。

そしてそれ以上に座長のような美貌の化身に言い寄られて気分が悪いはずも無かった。

 しかし時期尚早だと、そうも思う。もっともっと力を蓄え、民衆をこちらに付け、そして双王家を弱体化

させなければならない。すでに信を失っているとは言え、その双家と言う碧嶺以前からの名門の名はまだま

だ侮れないだろう。

 そして貴族の中にも多少は智謀のある者もいるであろう。ならばやはり慎重に決しなければならない。

「暫くは待つ、待つのだ」

 そして漢嵩の心も決めさせねばならない。

 明節は暖かなまどろみの中で、それとは正反対の決断を心に下したのであった。 



 それから明節は益々精力的に活動し始めた。

 近隣諸侯との書状の往来も激しくなり、漢嵩の腹心である央斉(オウサイ)などは不審そうにしながらも、

黙ってそれを手助けしていた。何にしても近隣の都市を併合出来れば、北守としてこれほど嬉しい事は無い

のだから。

 北守近辺も作物の実りが豊富で、壬へ補給を行っても尚余裕があるほどの蓄えはあったのだが。しかしそ

の国力と兵力を考えればやはり弱小の意を否めない。

 現在も双(侵略する気力も無い)と壬が盾となる形で賦の侵攻を防いでいるのだが。しかし双が賦の属国

となっている以上、いつ攻め寄せて来てもおかしくは無く。ここ暫く賦の動きがそれなりにでも静かな事を

思えば、また何か企んでいる可能性も考えられた。

 そう考えれば、北守と壬を両方面から攻める、と言う策も或いはあるかも知れない。壬から北守への交通

路も未だほとんど改装されてはいない為、兵の輸送は至難であるし、それ以前に両国とも援軍を送る余裕が

無かった。とは言えお互いにお互いを見殺しに出来る訳も無く、そうなれば虎を雇わざるを得なくなる。

 そう言う状況を作れば、肉体的精神的だけでなく、更に金銭面の圧迫も見込める。北守と壬にとってこれ

以上の打撃は無いだろう。例え本当に攻めなくとも、賦が同時に攻めるぞ、と言うそれだけを見せれば両

国も準備をしない訳にはいかず。おそらくそれだけでも効果的であるだろう。

 それを防ぐ意味も含め、早急に領土を増やし、北守の国力と政情の安定を急務とせねばすぐに滅びてしまう。

 勿論、それを行う賦側にも莫大な資金と資財、食糧の浪費が必要となる訳だが。元々賦はそう言う事に無

頓着であり、双国を奴隷以下程度にしか思っていない事を考えれば、双からいくらでも搾取して賄うのだろ

う。そして更に悪い事には双の食糧、資金、資源は五国家でも1、2を争うほど豊富なのであった。

 いずれは双も枯れ落ちるだろうが、しかしそれまで現在の北守と壬だけで防ぎきれるか。

 おそらくそれは不可能であろう。

「持って一月と言った所か・・・」

 漢嵩もその事で今大いに悩んでいるのであった。

 まだ北守は昔からの蓄えもあり、数月は持つかも知れない。いや、漢嵩がその力を出し切れば、例え賦と

雖もそう簡単には落とせず、もしかすれば半年ほどは防げるかも知れない。

 しかし今の壬国はどうであろう。この数月ほどの間の連戦で大いに疲弊している。そして壬が滅べば、孤

立した北守などはすぐに落とされてしまう。それを考えれば良くて一月であった。

「こうなれば賦の注意を他へも分散させるしかあるまい・・・」

 凱か玄、残る二つの国家を動かし、北守と壬が力を蓄えるまで時間を稼いでもらうしか生き残る手立ては

無かろう。

 しかし凱などはよほどの事が無い限りは動くとは思えない。明節は凱を利用すべく思っているようだが、

あの国がこちらの思い通りになど動くものか。と、漢嵩は思う。

 確かに北守と壬が滅ぶ事は凱も望むまい。しかしあの国が敢えて危険を被るとは思えず、本当に最後の最

後まで立ち上がろうとはしないだろう。立ち上がったとしても、おそらく何かしらの策謀があり、北守にと

って良い事にはなるまい。賦も凱も結局は害にしかならないのである。 

「となれば玄・・・・。だが動いてくれるであろうか・・・。双によって国境がこちらとは分断されている

事もある。よほど上手い状況を作らねば・・・・」

 漢嵩は暫く一人で考えた後、伝令をやって央斉と明節を呼び寄せた。そして壬と玄へと密使を派遣したの

であった。


                                第五章   了




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