6-10.策略と謀略と言う存在


 数日が経ち、青海波(セイカイハ)はようやく賦都牙深(ガシン)へと戻って来た。賦王へ敗北を知らせ

ると言う不名誉極まりない役目であったが、それでも昼夜問わず懸命に馬を飛ばし、驚異的な速さで帰還し

たのであった。負けたとなれば、それを一刻でも早く報告する事が汚名を少しでも注ぐ手段ではあるだろう。

 彼は登城すると、多くの賦族と同じように一切の弁解も無く、ただただ賦王へと深い礼の姿勢をとった。

 賦王賦正(フセイ)も敢えて叱責する事もせず、静かに頷き、青海波を労(ねぎら)う。

「青海波よ、今はゆっくり休め」

「ハッ」

 青海波は再び深い礼の姿勢をとると、静かにその場を辞した。

 それから賦正はその場に居たもう一人の人物を見、何事かを問うかのように言う。

「心苦しいものだ」

「賦正様、貴方が気にする事はありません。全てはこの国の為、ひいては賦族の為なのです」

 賦の軍師趙戒(チョウカイ)であった。彼は王の側に侍す事が多くなっている。その役目上それは当然な

のだが、しかし賦の将軍達からはあまりそうとは理解されていないようだ。現に先程も青海波は一度とし

て趙戒の方を見る事は無く、それどころかその存在を無視するようですらあった。

 彼があの大軍師趙深(チョウシン)の血を受け継ぐ者でなければ、即座に叩き出されていたかも知れない。

 この趙戒は軍師となってからは尚の事将軍達から疎まれ始めたように思う。一つには賦族にはこう言う策

士型の人物が珍しい事に歴代皆無に等しく。そして策と言うものをその体質として嫌う傾向にあったからで

あろう。

 賦族は今では珍しい程の生粋の武人の集団であり、正々堂々を旨とする。これはおそらく碧嶺の軍律を

今も濃厚に残している結果なのだろう。彼らは良くも悪くも純粋な民族であるようだ。それが良いか悪いか

は解らないが、少なくとも今は碧嶺の居た時代とは、文字通り時代が違う事も確かであろう。

「しかし本当にこうなる事が我等にとって良い事であるのだろうか。壬も北守も玄もこれで広大で肥沃な双

の領地を得、明らかにその力も増した。あの漢嵩がこれほどの国力を得たとなれば、もう今までのようには

いくまい。その力油断ならんぞ」

「確かに漢嵩の力は強大となるでしょう。しかしその強大故に歪み、そして滅びに繋がる事もあるのです。

こうとなった以上、最早壬の属国である訳にもいかず、何よりかの国の宰相明節には独自の展望もあるよう

です。そして玄は不名誉極まりない事態を起こし、他国の不信感は強まり。そして自業自得の結果とは言え、

玄も今回与えられた領土の少なさには不満が大いにあるでありましょう。王よ、双からはすでにその蓄えを

奪えるだけ奪っておりますし、今はそれよりも他四国家の結束を削ぐ事が重要なのです。四国家を同時に相

手取りさえしなければ、我が賦の前に敵はおりません」

「しかし・・・、その為に青海波をも騙す結果となってはな・・」

 実はあの時、望岱(ボウダイ)へ差し向けるはずの援軍を玄領土へと進めさせていたのである。それが為

に玄軍は国を離れる事が出来ず、望岱への遅参と言う恥ずべき事をしてしまったのだ。全ては趙戒の離間策

である。しかしそうする事は即ち望岱に居る将兵を見捨てる事でもあった。

 勿論趙戒も三国家連合と言う事態を予測していた訳でも無く、何かやるだろうとは思ってはいたが、ここ

まで大規模な作戦を立てるとは考えてはいなかった。しかしそれでも彼の智謀の範疇を超えるほどではなか

ったらしく、即座に新たな策を打ち立て、他に良策も無い為に賦正も同意している。

 だがそれ故に罪悪感もあり、それ以上に趙戒の策に危うさも感じているのだ。おそらく援軍を望岱へ真っ

先に送っていても間に合わなかったろうが、それは結果論である。

「王よ、それが策と言うものであります。青海将軍もそれは解っておりましょう」

 そこまで言われれば最早王としても何も言う事は出来ない。趙戒を労い、同じように辞させた。

「趙戒よ、確かにお前は或いは趙深様の鬼謀に匹敵するのかも知れぬ。しかし戦は人がするもの、机上の論

だけでは己が身を窮する事になるぞ」

 一人となった室内で賦正は大きく吐息を洩らす。趙戒の策は有効この上無い事は万人が認めるかも知れな

い、しかしその策は味方にすら恨みを残し、人の和を乱しかねない破滅の術でもある。それを果たして彼は

理解しているのだろうか。

 彼の祖趙深が何故大軍師と呼ばれ、この800年近い年月を得てまで尊敬を受けているのは何故か。それ

は人の心と言うものを良く理解していたからに相違無く。例えその策だけを受け継いだとしても、決して趙

深になれはしない。

 それを趙戒は理解していないように思えた。なまじ頭が良いだけに解らないと言う事もある。それが賦正

には不安であった。このままでは賦族内にも離間を及ぼしかねないと。

「趙戒よ、諸刃の策ではいずれ道は絶たれる・・・」

 しかしかといって彼にも他に良策がある訳でもなく、趙戒を強く止める事は出来なかった。

「全ては我が不才が及ぼした事・・」

 賦正はもう一度深い溜息を洩らしたのだった。



 壬に居る蒼愁(ソウシュウ)も暫し雑務に追われる事となっていた。彼は今回の戦に参陣した訳では無か

ったが、後方支援として地味だが誰もが目を見張る程の仕事をしていたのである。この辺は彼の父である蒼

明(ソウメイ)の血であろうか。彼はひょっとすると参謀よりもむしろこのような役に向いている男なのか

も知れない。

 それは目立たず、決して歴史の表舞台に上がる事は無いが、しかし何よりも重要な仕事であるには違い無

い。補給線の確保、物資の運搬、戦時の経済処理、そして戦後の休暇の割り当てや論功行賞の手続きまで戦

争と言うのは恐ろしい程の仕事量を生み出す。

 こう言う仕事は主に財政府と参謀府が行うのだが、流石に手が足りず、府に関係無く手の空いている者は

残らず仕事が割り当てられていた。三国家共同と言う大規模な作戦では支援するのも容易では無く、こちら

も目の回るような忙しさであった。

「ああ、目を瞑っても数字が見える・・・」

 しかしそんな忙しい中でも、蒼愁と言う人間はそのような惚けた事を時折呟いていたりもする。だが決し

て余裕がある訳では無く、彼は単にそう言う人間なのだろう。今は参謀府の面々もそんな彼に慣れたのか、

彼が突然何を言おうとあまり気にしていないようだ。まあ、今は気にしている程の暇が無いと言うのが正し

いかもしれないが。

「しかし領土が増えるのもなかなか大変ですね・・」

 壬が今まで生き延びて来れたのは黒竜の強さと言うよりも、むしろその地形要素にある事はまず間違いは

無い。その為に国祖壬臥(ジンガ)からこの一国を一大要塞とすべく、交通路の整備や砦の強化などを延々

と続けてきている。

 しかしそれは逆に言えばこちらから他国へ遠征するのにはその分より多くの労苦を伴うと言う事でもある。

以前行った北昇への遠征で蒼愁は身にしみてそれが解っていた。

 であるから北昇一帯を領土とする事は、またその一帯の大規模な土木工事の必要性をも意味している事に

なる。北守を属国とした事で、以前から北守への交通路も少しずつではあるが整備してきたが、そんなもの

ではとても間に合わない。そして北昇一帯の民も一から治め直す必要もあるから、これはもう大変な作業で

あった。

 漢嵩の人気は凄まじく、彼の後を追う民も少なくは無い為に、北昇一帯が落ち着くのにはまた長い時が必

要となるだろう。ただ壬国の人気も悪くは無く、それで少しは救われている。

「まあ北守と同盟を結んでいますから、交通路の整備にも少しは猶予はあるでしょうが」

 壬は北守を属国としていたが、最早北守は領土で言えば壬を凌駕する程の国となっている。その為、最早

属国では不味かろうと壬王が新しく同盟関係を結ぶ事にし、その旨すでに北守も受けていた。

 ただ北守が急激にここまで大きくなった事に危惧を抱く者も少なくは無く、蒼愁自身もそれを少し心配し

ている。漢嵩(カンスウ)は信用の出来る漢であるが、しかし彼とていつ野望を抱かぬとも限らず、彼の側

近にもそう考える輩が必ず出てくるであろう。

「そして玄がどう言う腹なのか」

 遅参と言う至上の不名誉を犯した以上、今回の領土分配には文句も言えないだろうが、しかしだからと言

って不満に思わない訳も無い。その不満はいずれ事ある毎に人の心に浮上してくるだろう。

 双は滅び、賦はその分弱体化し、我等は国力を増したのには違い無い。だがそれでも賦との力関係は変わ

らず。その上、蒼愁はこれで三国家間に更に罅が入ったような気もしていた。

「これはまた遠からず争いが起こる事になるかも知れません・・・」

 これでは益したのは今回も賦のみでは無いだろうか。そのように彼は思った。

 しかし彼は知らない。その賦にすら少なからず溝が生まれている事を。

 果たして本当に益したのはどの国であろうか。それは天のみぞ知り、これからの歴史で語られるまで、決

して人には知る由も無い事なのであろう。

 そして賦が居る限り、戦乱の根が絶たれる事も、決して無いのである。

                              第六章     了   




BACKEXITNEXT