6-9.滅亡前の皮肉


 矢の雨に機先を削がれたのか、双兵達は一挙に浮き足立ってしまっていた。

「最早策も要らぬ、騎馬兵よ我に続け!!」

 後衛を緑犀(リョクサイ)へ任せ、楓仁(フウジン)を先頭としてこの戦の為にかき集められた五千の騎

兵が双軍へと突撃して行く。全身に黒い甲冑を着込み、黒き旗を掲げるその軍勢はさながらその守護である

北海黒竜王自身であるかの如く、黒き雷となって敵陣を切裂いた。

「弓兵、敵後陣をかき乱すのです」

 緑犀率いる弓兵五千がそれを補佐するように火矢なども使って巧く敵陣を攪乱させる。

 前衛を楓仁に切裂かれ、後衛を矢で散々に射られ、双軍は最早正常に運用出来なくなっているように見え

た。本来それを立て直すべき将達が真っ先に錯乱しているのだから、最早そこに収拾のつけようも無く、軍

と言うよりは群衆と言った態であっという間にその士気も挫け、心は折れ、逃げ惑い、騒ぎ、或いは狂乱

すらする者までいるようであった。

 だがその中にも僅かながらも統制の取れた軍勢もいたらしい、それらが一丸となって楓仁へと突き掛かっ

て来る。おそらく敵将を仕留める事に一縷(いちる)の望みを託したのだろう。

「ウォォオオオオオオオオオ−−−−−−!!」

 しかしその軍勢の予想に反して、楓仁は獣のような雄叫びを上げ、自ら単独で愛用の大槍を振り回し振り

回しながら、まるで竜巻のように向こうから切り入って来たのである。無論その後には悪鬼のような騎兵隊

が続く。

 何しろ今回は壬も決死である。虎の子の山馬もありったけ使っているのだ。壬の山馬は巨大で恐ろしい程

の圧迫感もある。そんなものに追い立てられては涙も涸れよう。僅かな統制もその猛りの前にあっさりと吹

き飛ばされてしまった。

「ひぃぃぃ、く、黒き修羅だ、修羅が来たぞ!!」

 楓仁が大槍を振るう度に、まるで草でも刈っているかの如く無数の首が容易く戦場を飛んだ。そしてそれ

を追うように鮮血が噴出し、双兵と楓仁とを朱に染める。

 何しろ賦族さえ畏怖させる修羅の技である、そんなものに来られてはたまったものでは無かった。当初か

らの黒竜に対する恐怖も更に膨れ上がり、彼の威名もそれを手伝って双兵の戦意は大きく喪失する。

「楓竜将に続け、我らが名を末代まで響かせてやるのだ!!」

 それを見て、時は今とばかりに緑犀が更に歩兵一万を率いて突撃した。

 双軍は塵でも吹き飛ばされるように何の抵抗も無く騎兵隊に散々に切れ切れにされ、散り散りになった所

を歩兵隊に各個撃破されていく。こうなってはたまったものではない、狂ったように双兵はただ逃げ惑い。

将も兵も無く、誰もがただただ己が命のみを考え、四方八方へと無秩序に潰走(かいそう)した。

 関を防衛すると言う意気もすでに無く、軍と言う統制も欠片とて無く、ただただ夢中に逃げ惑う。

「残敵を殲滅せよ!」

 しかし壬軍は今回は容赦しない。貴族の力は微塵に粉砕しなければならないと言う事もあって、無慈悲に

双兵を追いかけ次々と首級上げ捨てて行った。その恐怖が恐怖を呼び、双兵を更に狂わせる。悪循環であっ

た。むしろその呆気なさに後日黒竜達が苦笑を浮かべあったほど、終ってみればその戦いは圧倒的な壬の勝

利に終った。

 戦前の杞憂などまるで心配も無く、空になった光明関へと悠々と彼らは進軍したのであった。

 今の双兵には決死の覚悟が無かった事も幸いしたのだろう。戦場に来るまでは大口を叩いていた者もいる

だろうが、命をかけてまで国を守ろう、貴族や王を守ろうと言う者は一人として残っていなかったのである。

 貴族の子弟達もいざとなれば命が惜しくなったのだ。倍近い兵力差があったとしても、烏合の衆では意味

を為さない。双兵はやはりどこまでも弱かった。

 これで残すは王都至峯(シホウ)のみ。さほど疲労もしなかった壬軍は一晩だけ光明関で休息し、再び意

気鋭く進軍を開始したのであった。ここまで来れば、もう双を制したも同然であろう。



 至峯への道はさほどの勢力も残っておらず、無人の野を行くが如きであった。更に街を通れば一斉に壬軍

を祝福してくれ、義勇兵すら参戦を願い出て来るほどで、まったくもって双国の不人気を思い知らされる。

それだけこの国の税が重く、民を省みず、平民にとってみれば地獄のような暮らしであったに違い無い。

 今までは曲りなりにも王侯貴族達は大兵力を携え、その平民達に睨みを利かせる事が出来ていたのだが。

今回の壬の圧倒的な戦勝により、その先祖の残り香のような権威も無惨と消え。それが皮肉にも民達に自由

を齎す結果となったのだろう。

 国が人の集まりとし、人の意志の上で成り立つものならば、やはりこの双と言う国の滅亡は天命であった

のであろう。であるからこそ、ここまで容易に勝利する事が出来たのだ。

「まるで英雄扱いよな」

 楓仁はそんな民の歓声を受けながら、どうしていいか解らないような苦笑にも似たものを浮かべていた。

おそらく壬がかつて漢嵩(カンスウ)を庇護した事で壬の人気も上がっていたのだろう。この人気の根源が

多分に漢将軍にある事を彼は知っている。

「それだけ民は苦労していたのでしょう。さて竜将、もう一息ですよ」

 緑犀は楓仁とは対照的に、機嫌よく愛想の良い笑顔を浮かべていた。こう言う愛想も時に必要な事は彼の

方が良く解っている。ある意味全ては人気で成り立っているとも言えるのだから。

 全て人の関わるものは、人の心でのみ作用されていると、そんな風にも思える。

「しかしこれで我が軍が放言せずとも、勝手に広まってくれるだろう」

「ええ、これで賦が侵攻を諦めてくれれば良いのですが。八割方勝ちが見えましたから、凱も動くかも知れ

ませんから、もしかすれば・・・」

 双から賦を挟んで真反対に位置する凱の国が牽制でもしてくれれば、予想されている賦の反撃も少しは和

らぐだろう。利害に聡い凱国の事だ、こちらの勝ちと見ればおそらくはその前に何かしらの恩を示し、後で

報酬を要求しようとするに違いあるまい。そう言う点で言えばあの国ほど信頼出来る国も無い。

 最も、だからこそあの国は腹立たしい事この上無いのだが。

「うむ、ではささと済ませるぞ。早く我が国へ戻りたいものだ、兵達も長い遠征で疲れ果てているだろう」

 楓仁はそう言うと全軍に速度を上げるように命じた。疲れている兵達の身体に鞭打たせるようで気が引け

たが、しかし最後まで気を抜いてはならず。更に結果としてそうする事が兵達を早く楽にさせる道でもあった。

「皆の者、疲れているだろうが、もう少しだ。見よ、至峯はそこにある」

 楓仁の言う通り、至峯はもう目の前である。目標に近付き終わりが見えると、不思議と人間はまた力が噴

き出てくるものだ。全軍威勢の良い掛け声を上げ、命じられるままに更にその行軍速度を上げて行く。



 至峯攻略戦も呆気ないものであった。

 流石に光明関の一戦で貴族達の意地も沽券(こけん)もへし折られたらしく、双兵達はとうに王達から離

れ、雇っていた傭兵団である虎達も次々と離散した。兵力の無い貴族など最早塵以下の存在でしか無く、ま

だ一部の高官が権勢ぶっている様は滑稽ですらあった。

 そしてここぞとばかりに平民達は立ち上がり、自らその王城を攻め始めたのである。いばり散らしている

だけだった役人達は袋叩きにあい、貴族と通じて私腹を肥やしていた商人達の商家にも火が放たれた。壬が

攻めるまでも無い。すでに彼らが着く頃には双と言う国は自ら滅び去っていたのだ。

 そしてここでも壬軍は歓声と共に迎えられ、王城へと無傷で通されたのだった。王の権威の象徴として天

にはためいていた国旗も焼き捨てられ、貴族達も殺されはしないまでも見るも無惨な姿に成り果てている。

 彼らはもう抜け殻のようになった目で、ただ卑屈に壬軍に対して命乞いをのみ述べた。これがあの双の高

官かと彼らを知る者は我が目を疑うばかりである。

 こうして見れば彼らはなんと惨めな存在であるだろうか。自身は何の力も持たず、過去の威光と残された

財産だけで生き、そしてそれらが消えれば当たり前だが虫けらよりも劣る。そんな存在と言えるだろうか。

 そもそも個人の能力無く、何の勲功も無く、ただ生まれだけで貴族などとは片腹痛い。貴族と言う存在自

体が何の意味も無いものなのかも知れない。彼らの今の姿はそれをまざまざと見せつけてくれた。

 ともかくもこうして双国は歴史からその名を消す事となったのである。

 最後まで心配されていた賦の反撃も何故か無く、終ってみれば呆気ない程だ。

 そしてその後双国の三分の二はその内情を考慮して漢嵩の北守が納める事となり、代わりに現在の北守の

国土の大半を壬に献上される事となった。そして大失態を犯した玄国にはそれでも双国の三分の一程の領土

が贈られたのだった。

 玄も流石に不平を言う訳もいかず、表面上はこれに満足し。壬は北守の地を得る事でようやく食糧や資材

の心配が消え、何よりその地は元々国祖壬臥(ジンガ)が建国しようと考えた地でもあるから、壬民も大い

に満足し、それに伴い不安定であった国情も安定する事となった。

 北守もその首都を至峯へと移し、双の民達もこれを喜んで迎えた。暫くは領地の統制や戦後処理などでど

の国も忙しくなるだろう。

 だが勿論これで全てが終った訳では無い。しかし一事の平穏を、例え儚いものでも得たことは確かである。

そうそれはとても儚いものではあったのだが。




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