6-8.厚顔の関にて


 望岱が陥落したその頃、壬の黒竜は双王都至峯(シホウ)に程近い光明関(コウメイカン)にまで迫って

いた。漢嵩(カンスウ)の名もあり、事前の北守の工作のかいあって驚く程すんなりとここまで軍を進める

事が出来たのだが、あまりに上手く通れるので逆に壬軍を率いる楓仁(フウジン)が訝しがる程であった。

 どちらにしても漢嵩が望岱を落とせば、その心配も杞憂に終るであろうが。それだけ漢嵩の名が双国民に

対して絶対的な信頼があると言う事なのだろう。

「これはよほど上手くやらねば、後が不味いであろうな」

 楓仁は思う。これほどの信頼、言い換えれば期待を漢嵩が持たれている以上、彼以外の誰がこの国を統治

出来るであろうか。そうとなれば最早この国の次期王となる者は決まったようなものであり、戦勝後の三国

間での領土の分配がその分困難になるかも知れない。

 壬国には領土的野心は無いに等しい為、最悪毎年食糧を納めるなどで納得出来もしようが。しかし玄は別

である。かの国がもし大きな戦功でも立てていれば、いや立ててなくとも少々の領土でなっとくするかどう

か。幸い玄王は信頼に足る人物だと言う話であるが、それも玄国民から見ての事であろう。いざとなれば何

を思うか、人の心と言うものはようとして解らないものだ。

 まあ、どちらにしても勝ってからの話であるが。

「楓竜将、これからが本番ですね」

 楓仁旗下の大隊長である緑犀(リョクサイ)が光明関を見て呟く。彼は特に補給線の確保など戦の持久力

に優れており、それを見込まれ遠征や持久戦には必ず楓仁と共にあった。個人的にも二人の仲は良い。

 ここ光明関まで来ると、双王と高官の力が流石に強く、如何に漢嵩の名があっても簡単には投降はしない。

気概が無い貴族達でも流石に自分達の進退がかかっていては、賦に簡単に下ったようには降伏もしないだろ

う。賦の場合と違い、三国連合軍が勝利すれば貴族達の命も危ないであろうからだ。

 この貴族達を生かしておけば障害にしかならない事は誰でも知っている。賦からすればこの国に対して興

味も無いから捨てておいたが。今回の連合軍はこの双を制圧する事も目的としているのだ。双貴族からすれ

ば嫌でも徹底抗戦か逃亡かしか無い。

 そうなれば彼らの事だ。自らの土地や財産を捨てようなどとは夢にも思えないはずであり、そこからくる

答えは一つしかない。

 そして壬軍は例え大陸に名高い強兵と雖も二万弱と言う規模でしかなく、双の貴族達が動かせる軍は彼

らの私兵を合わせればまだ5万近く存在するだろう。二倍以上もの兵数差があれば、誰でもその姿勢は強気

になると言うものだ。

「竜将、双は打って出て来るでしょうか」

「ああ、おそらくは三、四万ほどの軍で出てくるに違い無い。貴族と言う者は自分がまだ有利だと思ってい

る内は驚く程強気なものだ」

「ならば四万と見て、我等は果たして勝てるでしょうか」

「さてな、それはやって見ねば解らん。だが四万ほどならまだ充分勝機はあろう。これが五万全軍でくれば

解らぬが、双に全てを投げ打つ程の勇気はあるまい。そしておそらく双兵の士気も貧弱である」

「確かに、貴族の影響強しと雖も、その大半は平民の兵でしょうからね。そして貴族の子弟は士気が高くて

も決して強くは無い」

 平民とすれば貴族の進退がどうなろうと知った事では無いし、貴族兵の弱さ、醜さは大陸にも知れ渡って

いる。これがもし双兵が心を一つにし、貴賎問わず懸命に働いていたとしたら。或いは賦国すら凌駕し、と

うに大陸の覇権を握っていたかも知れない。この国にはそれだけの国力と可能性もあったのだから。

 しかし実情は大きく異なり、今や大国の面影も消えようとさえしている。

「考えてみれば憐れな国家よ」

 楓仁は溜息にも似た呟きを洩らした。

 そして待つ、双が自ら出てくるのを。そして望岱陥落の知らせを。それが叶い、最後に双兵を粉微塵に打ち

砕けば双の最後の抵抗意思も消え、貴族達もおそらく内側から瓦解する。

 その最後の楔を打つのが壬軍の役目である。玄の援軍が到着すれば楽なのだが、壬軍単体で攻め滅ぼせば

尚の事貴族どもを戦々恐々とさせる効果があるだろう。



 楓仁は光明関に潜む敵軍を挑発するかのように、ともすれば矢の届きそうな程近くに兵を布陣させ、矢防

ぎの柵などを作らせながら至峯からの敵兵を待った。勿論間諜を差し向け情報収集する事にも余念は無い。

 その情報によれば光明関にはすでに一万の兵が駐屯しており、戦支度に慌しいという事だ。敵が目前にい

るにも関わらず、今更戦支度とは考えられない事であるが、その考えられない軍を持つのが今の双と言う国

であるらしい。

「いっそ今、この関を攻めるべきか」

 とも当然考えたが、しかしいくら双軍鈍しと雖も援軍到着までに攻め落とす事は難しく。またそのような

事で悪戯に兵を消耗したくも無かった。双兵も未だ関内に居ると言う安心感から、士気もそれなりに高いで

あろうし、それ以前にこちらの兵力も決して多くは無いのである。

 城攻めなどの拠点制圧と言うものは、とかく時間のかかるものなのだ。

「各地の双兵などが心変わりをせねば良いのですが・・」

 緑犀がそんな楓仁の悩める横顔を見ながら、珍しく不安そうに呟く。

 なにしろ現在の壬軍の不安はそれに尽きる。通る道々の拠点は全てこちらに投降したのだが、その兵を連

れて来てはおらず、そのままその拠点拠点に駐屯させていた。それらを合わせれば二万には届くであろうが、

しかし連れて来たとしてそれらが裏切らないとも解らない。

 もし王都よりの敵兵が到着し、その場で裏切られでもしたら、こんな敵地の真中では逃げ出す事もままな

らず。流石の壬の黒竜とは言え、或いは全滅の危機にまで陥ってしまうかも知れなかった。それに兵が増え

れば行軍速度も落ちる、双兵などでは尚更であろう。

 とは言え、その置いてきた投降兵に今裏切られても同じ事である。正に四面楚歌となり、これも進退如何

しようもあるまい。ただ置いてきた方が今すぐ敵兵が増えないだけまし、と言うだけの事であった。

「まあ、心配してもどうしようもなかろう。今しばらくは待つしか無い」

 楓仁は緑犀にいつもの厳つい顔のままで答える。仏頂面の為愛想は無いが、こういう時は不思議と頼もし

く見える。どちらにしても裏切るか裏切らないかは天のみぞ知ると言う所であるだろう。



 それからどれほどの時間が流れただろうか。待つ側からすれば恐るべき時間に感じられるだろうが、しか

しまだ太陽の位置はさほど違っておらぬようで。下り始めているとは言え、未だ高天より燦々と光を放っ

ていた。

 そして更に幾許かの時間が流れた後、ようやく壬軍が待ちかねていた報せが届いたのである。双の本体が

到着すると。かの本体は意気揚揚とした姿勢を崩さず、大軍に任せて知らぬ自信に満ち満ちているらしい。

その大半が中央に止まっていた戦知らずの兵だと言う事も、それに大きく作用しているのだろう。

 今まで関の方にも何の動きも見えなかったのも、おそらくは援軍到着を待って一大決戦を仕掛けようと言

う腹に思われる。

 それを待つ壬軍の士気も、弓矢の一つでも撃ってくれば良いものを、と未だ衰える事を知らない。何しろ

こちらは選りすぐりの歴戦の兵が大半である。戦場での待ち方、その時間の過ごし方なども心得えたもので

あった。

 勿論その緊張感故、絶えず疲労し、時に恐怖心がどうしようもなく心を過ぎる事は人として変わらない。

ただそれを外に見せないくらいの、言ってみれば意地のようなものは持ち合わせている。

 そしてついに光明関の関門が開かれた。ゆっくりと地鳴りを轟かせて。

 そこから雄叫びとも付かぬ叫び声を上げながら、雑様々に双兵が押し寄せてくる。

 確かに兵数は四万に届く大軍であろう、その倍の兵数差はその軍勢を威容にさえ見せた。しかしよくよく

それを眺めれば、統制は整っているとは言い難く、個々の兵が思い思いにただ進んでいるのだけなのがすぐ

に解る。

 それを見、ただ静かに布陣したままの壬兵達。楓壬の合図と共に矢を番え、弦をぎりぎりと引き絞る。

「全軍正射!」

 そして楓仁の良く響く声に乗せて、その矢の群れが勢い良く放たれた。

 こうして双と壬の決戦の火蓋がきられたのである。




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