6-7.望岱、陥落す


 緊迫した戦いはすでに数刻を経過し、兵達から精神力と言うモノをごっそりと奪い去っている。幸いにも

その量は両軍共に等しく、どちらがどちらに有利と言う訳でも無かったのだが。

 流石の賦兵も挟撃され、しかも城と分断されて孤立させられた状態では心中穏やかではおれず。見た目に

は勇猛果敢これ一筋に見えたとしても、やはりその疲労は隠せない。おそらくその心理的疲労が無ければと

うに双兵などは打ち破られているはずであった。

「どうやら天は私を見放してはいないようだ・・」

 漢嵩(カンスウ)は四海竜王と天帝、そして大聖真君に感謝の祈りを捧げた。

 天が味方している以上、十中八九負けは無い。何故ならば天の意を得る事こそ、奇跡を現実へと変え、あ

らゆる局面から勝利を見出せるという事なのだから。かの碧嶺が大陸を統一出来たのも、そのような前人未

到の境地に立てたのも、その生涯を見れば天が味方をしたからだとしか思えない節がある。

 簡単に言えば、運、である。そしてその運が今漢嵩の上に在るのだ。

 しかし人は運だけでは何も為せない。天命を得、天運を授けられ、そしてまた自ら果ての無き尽力をして

こそ、その頭上に初めて天は微笑む。神は何もせず祈るだけの人間などは決して手助けはしてくれない。戦

の神でもある碧嶺こと大聖真君であれば、今に伝えられる彼の性格を思えば、それはまた尚更であろう。

「弓を射よ、果断無く攻撃し、奴等を決して休ませるな!!」

 漢嵩は全霊を持って叱咤する。一つには少しでも手を抜けば、気が抜ければそこで一息に味方を瓦解され

る危険性もまた濃厚に残って居たからだ。賦兵の目はまだまだ死んではおらず、また自らの死を知るまでは

決して諦めはしないだろう、この戦いに勝つと言う一事を。

 その武人の一つの極みの精神にこそ、賦族の強さの秘密がある。彼らは最後の最後まで諦めず、また諦め

ても決して投げ出しはしない。そしてその目の光が敵者となった者を戦慄させ、時に奇跡を掴み取る。

 しかしその敵者たる漢嵩もさる者である。

 漢嵩は前線に立ち北守の兵を絶妙なる呼吸で進退させ、後退時には弓矢を射させる事によって、賦軍に付

け入る隙を与えない。これには賦軍も攻めあぐね、その苛立ちが馬脚を、そして手綱捌きをも鈍らせていた。

「くッ、漢嵩め。流石に我等が認めざるを得ない漢よ」

 賦軍を率いる青海波(セイカイハ)も有能な将ではあるが、こう言った戦場の呼吸を読む点では漢嵩には

敵わないようだ。進退する北守軍に翻弄され、勢いと士気を上手くはぐらかされ、未だ決定的な勝機を見出

す事が出来ない。徐々に勢いを盛り返してはいるものの、それも決定打にはならず、士気の高さも空回りし

ている。

 それがまた彼らに焦りを生み、更に勝利を遠のかせる。正に泥沼であった。

 本来ならば、一挙反転をし、全軍を持って後ろに付く双兵どもを蹴散らし。それから満を持して北守兵と

真っ向から当れば良いのだが。漢嵩はその隙を与えてくれず、そして疲労だけが募る。

「皆の者、賦族の心意気、とくと見せよ」

「ウォォォオオオオオオオーーーー!!!」

 気勢は未だそがれてはいないが、どうも漢嵩に翻弄されている気配であった。弄ばれているようで不快

極まりない。

 認めたくは無いが、このままでは負けはしないが勝てもしないだろう。だがどうやら城の方では賦軍が優

勢のようである。このまま長引けばいずれは城内守備に残して来た兵で逆に双兵の後背を付けるかも知れな

い。そうなれば賦の勝ちは決まったようなものである。

 そして如何に漢嵩が名将と雖も、いつまでも賦の猛攻を凌げるとも思えない。いずれにしても攻め続けて

いれば我が軍の勝ちなのだ。青海波は一人心中で力強く頷いた。

 しかし彼の意を打ち砕くかのように、更に戦況を悪化させる事が起こったのである。

 この状況で今更ながら玄軍が到着したのだ。 



 漢嵩は正に救われた。砂塵を巻き上げ駆けて来る無数の騎馬兵の群れ、それを見た時にどれだけ精神的に

優位に立つ事が出来たであろうか。今まで細い刃の上を素足で渡るような緊張感と終始戦っていた彼にして

みれば、勝機を得る以上の価値がその援軍にあったに違い無い。正に救われたのである。

 ただ少し憎らしくもあった。何故玄は遅れたのかと、迅速を最も尊ぶ今回の作戦では、それは何よりも不

手際である事に違いも無い。

 まあとにかくも、ようやくに。

「勝った!!」

 と心からそう思う事が出来たのだった。

 玄軍は北守軍の後方より現れると、そのまま2部隊に分かれ稲妻のように賦軍を左右から強襲した。何し

ろ三万を越える大軍である、速度はその分遅まり小回りも利かないのだが、一度襲い掛かればその勢いは

如何に賦族と雖も覆す事などは出来まい。

 みるみる内に賦軍は瓦解し、陣形を縦横に分断され、最早その陣営を保つ事は出来ずに各個撃破されて行

くしかなかった。大陸最強の黄竜もこうなっては如何ともし難い。

「ぬう、馬鹿な。我が軍が野外戦で破れると言うか・・・。信じられぬ、信じられぬ!」

 青海波は目にした光景を信じたくは無く、信じられるはずも無かったが。圧倒的で濃厚な敗北の気配が

その愚すら吹き飛ばし、彼はそれに押し切られるように即座に直感で撤退を決めた。最後の一兵になるまで

戦う事も考えたが、しかし今は命を賭ける時では無いと判断したのだ。

 彼らにとってみれば、望岱、ひいては双国などはどうでも良い物なのである。いずれ滅ぼす国であり、そ

れだけの物であり、あたら命を捨ててまで死守するような物では無い。そして王よりもそのような命は受け

てはいなかった。つまりはここで死を賭す理由が無い。

「撤退ぞ!皆風の如く逃げよ!!」

 一度決めれば彼らは速い、各自活路を開くべく一つの方向、つまりは望岱へ方向転換し、そこに居た双兵

へと火のような猛攻を加え始めた。最早他の物は見ていない、ただ一方向だけに攻め寄せる。漢嵩に背を向

けると言う愚も、それから受ける被害も念頭には無かった。ただただ逃げるのみ、それのみに専念している。

 そうなれば双兵などは当然ながらまるで相手にもならず。鎧袖一触に破陣され、散々に打ち破られた後、

双兵を踏み躙り蹴散らすが如くあっという間に賦軍は撤退して行った。

 恐るべき速さである。連合軍とすればこの際敵将の首を上げ、残敵を包囲殲滅し、少しでも賦の力を削い

でおきたかったのだが。不運な事に双兵には賦兵を塞き止める程の力は無かった。

 そして開放されたままの城門を潜り抜け、賦軍は風のようにその場を去る。城内の守備兵達もいつの間に

か消えており、まるで初めから誰も居なかったかのような不可思議な感覚が戦場を支配した。

 玄軍は到着したばかりで未だ血気逸っており、それを見て追撃を執拗に述べたのだが、漢嵩はそれを静か

に止めた。今更賦族には追いつけず、追いつけたとして手負いとなった賦族に関われば思わぬ被害を被る事

になると。古来から必死の兵ほど恐るべき存在は無いと言われる。賦軍は無様に潰走した訳では無いのだ。

「北守軍、入城せよ!」

 そして漢嵩は高々と勝鬨の声を上げ。

「玄の皆様には双への進軍をお願い致します」

 玄軍には色々と問いたい事もあったが、まだ全てが終った訳では無い。暫くは胸の内に仕舞っておく事と

し。それだけを玄軍へと告げた。

「承知した。漢将軍、遅参すまぬ。実は賦に不穏な動きが見えたのだ、突如我が国に攻め寄せるような。そ

れ故こちらに軽々しく兵を進める事が出来なかった。真にすまぬ」

 しかしそんな漢嵩の心が解らないのか、玄軍の総大将である邑平(オウヘイ)はそのような言い訳じみた

事を口にし、更には早々に進軍しようともしない。それどころか暫く兵を休ませたいとまで言う。

 さほど戦ってもいない者が何を言うかと、流石の漢嵩もその態度に激昂しそうになったが。側に居た央斉

(オウサイ)がそれは為にならないと彼を辛うじて抑えた。

「邑将軍、今は火急の時なのです。我等もここで単に休む訳では無く、遠からず来るであろう賦の援軍を追

い払う為の準備をせねばなりません。そして今ここで玄軍がのんびりされていては、壬軍が如何に精強と雖

も双に打ち破られてしまうでしょう。貴方方は即座に双へと向かわれなければなりません。そして壬軍の元

へ援軍が向かっているという事実を作る事が今一番重要なのです」

 そしてその央斉が代わりにそう邑平を諭したのだった。援軍が来ると言う事実があればこそ、双は怖れ警

戒し、その隙があるからこそ壬は数の劣勢を覆せる。別に間に合わなくても良い、とにかく速く進む事が今

は大事なのだ。そして更には望岱が落ちた事実を双が知る事が重要である。

 そう諭されれば邑平も従わざるを得ない。何より、貴方は二度も遅参されるおつもりか、とそう言いたそ

うな漢嵩の顔を怖れたのかも知れず。即座に騎兵団を率いて、一路双王都へと出軍して行った。

「防衛準備に取り掛かるのだ!」

 勝利の余韻を噛み締める余裕も無く、漢嵩の命により北守軍は再び戦争準備に取り掛かる。しかし望岱に

帰った、言わば我が家に帰ったような安心感もあり、その士気は未だ高く疲労感を払拭し、兵達の顔には喜

びが満ちていた。

 しかしこの一連の玄軍の行動により、漢嵩の胸に玄への色濃い不信感が残ってしまった事も触れておかな

ければならない。

 とにかくも望岱は再び漢嵩の手に治まったのであった。




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