6-6.戸惑う意か、迷う心なるか


 現在望岱に駐屯している(させられている)双兵は勿論貴族の子弟やその親族の類では無い。とるに足ら

ぬ家の出の者、高官に煙たがられてここぞとばかりに左遷された者、そう言った所謂あぶれ者とでも言うべ

き者達の集団であり。それだけに双への忠誠も薄い。

 そして当然ながら今この望岱を支配している賦族よりも手酷い扱いを受け、自分達が解放される事を心か

ら望んでもいた。その為、漢嵩(カンスウ)に対しての尊敬も他の双国民よりも深く、自らを救ってくれる

唯一人の頼みたる存在として神の如く信望さえしている者もいる。

 しかしながら、それはそう望んでいる。つまりは他者に救われる事を望んでいるのであって、自らの知恵

と勇気を振り絞ってまでして危険な賭けに出ようなどとは、彼らは微塵も思ってはいなかった。

 多かれ少なかれ、双の民はそう言う感情を持っている。それが自然に出、双兵は天下の弱兵なりと呼ば

れる所以の一つとなっているのだろう。必死さ、懸命さと言う覚悟の無い兵などが役に立つ訳が無い。

 武人と呼ばれ、精兵と謳われる者共はそう言う他力本願を恥とし、そうする事で初めて高潔さと強さを手

に入れ。またこの大陸に住む者達は古来より名誉をこそ重んじる風習があるはずなのであるが、この双国と

言う物はその点異端とさえ言える程に、そう言った精神が衰えていたのである。

 だから例え平民出身の兵とは言え、この兵達も気概と言ったモノがどうにも欠けていた。

 ただ、流石に賦族に言い様に使われるなどとは我慢出来ないらしく、貴族主義国出身らしい無意味な自尊

心も手伝って、賦族にはより深い憎しみを持ってもいるようだ。

「それでは漢将軍はわしらに賦軍の後背を突けと、そう仰るのですな」

「その通りであります」

 央斉(オウサイ)より放たれた間諜の知らせを受けた双兵の兵長は、そのような複雑なる感情を表すかの

ように、神妙でいて何やら良く解らない顔を今その間諜に見せている。

 そこに明らかな戸惑いや迷いは見えないが、自分の進退を決めかねているのは確かなようである。

「・・・・・・・・」

 他の双兵達は全てをその兵長に任せているのか、或いはどうにでもなれと思ってでもいるのか、ただ静か

にその光景を見守り続けていた。彼らも決めかねており、こうとなれば上の者に従うのみと開き直ってしま

っているのかも知れない。

「さて、どうしたものか・・・・」

 この男も兵長となっているだけあって、それなりに能力もあり、少しは統率力もあるのだろうが。このよ

うな火急の時にこうのんびりと構えられていては、どうにも阿呆としか思えない。

 間諜は自らの責任の大きさも手伝って、先ほどからそんな兵長に火を噴く程に怒声を発したい衝動を抑え

兼ねていたのだが。しかし今そんな事をすれば、状況は悪化の一途を辿るであろう事は容易に想像出来、忍

耐の二文字を必死に守っていた。

「しかし漢将軍はそう仰られるが、我々はたかだか五千の兵である。その程度の兵であの賦族を追い払える

であろうか。返り討ちにあってしまうのではあるまいか」

 兵長の、返り討ち、の言葉に他の双兵達の顔も一様に青ざめる。

 間諜は五千も居てたかだかとは何事ぞ、それでも貴様らは武人の端くれか。と叫び出したい気分に襲われ

たが、何とかそれにも耐えた。考えてみれば双とは賦と並び最大兵数を誇る大国である、その兵数から考え

れば五千などはなるほどたかが、なのかも知れない。

「心配はありませぬ。では兵長殿逆にお聞きしますが、未だかつて漢将軍が賦に負けた事がありますか」

 最終的に漢嵩は賦へと投降したが、それは賦軍に敗れたとは言い難い。

 だが間諜がそうまで言って何とかけしかけようと試みているのだが、この兵長はどうにも要領を得ない。

何を言っても、しかし今回は、いやいやそれとこれとは別であるでしょう、例え漢将軍であっても、わし

らとしても負け戦をする訳には・・、などとはっきり断りもしないが賛同しようと言う気も見えない、その

ような曖昧な返答しか返っては来なかった。

 流石の間諜もこれには閉口し。それならばと。

「確かに我が軍の行方は現在思わしくはありませぬ。しかし、しかしですよ、であるからこそ今撃って出て

いただければ、貴方方は漢将軍をお助けした事になり、その功績は計り知れませぬ。であれば恩賞も望みの

まま。そして何よりもこのままでは漢将軍が勝ったとしても負けたとしても、貴方方に未来はありますまい。

我等が勝てば出陣を拒否したとして後で必ず漢将軍に処罰されるでしょうし、負けても未来永劫賦族に使わ

れる事になります」

 後半は半ば凄みを利かせてそう告げた。

 この脅しとも言える言葉には流石の兵長も考えさせられたらしく。

「う、うむ。そうであった、わしらがどうなるも漢将軍次第なのである。・・そうであれば、是も非も無

い。我等奮って出陣させていただく」

 そう言って慌しく出陣の準備を始めた。しかしそれも真にたどたどしく、準備の指揮までもこの間諜が

執らなければならない有様であった。

 間諜はどうにも心配になってきたのだが、今はこの兵達に頼るしか無いのも確かである。彼は何かを諦め

て、双兵達を急かし始めたのだった。



 青海波(セイカイハ)はすでに勝利を確信していた。漢嵩何するものぞ、碧嶺より受け継がれる賦の騎

兵団に比べれば、その他の全ての存在は弱でしか無いと。

 現に北守軍の足並みは最早朧であり、辛うじて持っているに過ぎまい。おそらくは程無く崩れ去るであろ

う。ただ一人、そうたった一人でも良い。その心の全てを恐怖に支配され、無秩序に壊走を始めれば。そ

うすれば全軍がそれに覆われ、惨めに霧散する事になる。

 そして賦族とはその恐怖と言うものの象徴とも言える存在なのだ。賦の重装騎兵こそが天下を統べる天兵

なのである。青海波はそう思い、自らの率いる兵達の活躍に満足した。

 逆に必死に自分を鼓舞し、懸命に声を張り上げ、汗がしたたる程に一人奮っているのが漢嵩である。

 賦族の勢いは止まる事を知らず、更にその攻勢は激しくなっていた。それに引き換え、彼の率いる軍はど

うであろうか。見る間に傷付き果て、皆一様に青白い顔を更に蒼くしている。開戦前のあの勢い気概はすで

に無く、見ているこちらまでが生気を吸い取られそうだ。

「むう、ここまで来て私は敗れるか・・・・」

 奮え奮えとけしかけてみても兵達はまったく反応しなくなっている。張り詰めた糸の上、いやまるで研ぎ

澄まされた刃の上を歩くような、そんな絶望的な緊迫感が漢嵩を包む。

 負ける。

 それはそう確実に思わせられる空気であった。兵が兵として働くなったその時、軍も軍としては機能せず、

壊乱と恐怖に支配され惨めに追われる事となるだろう。そして今が正にその時なのだ。

 漢嵩の長年の戦場で培ってきた感がこう叫ぶ。

「貴様の負けだ!!」

 と。

 もう後一押し、後一押し押されれば、流石の漢嵩と雖も軍を保てまい。

 このままでは玄軍が来るまで持ちそうも無く、今頼るはあの弱兵名高く、皮肉にも自分が一度ならず見

限ったあの双の国の兵だけであった。五千の双兵、果たしてそれで勝機を掴めるかは正直彼にも解らない。

だがこの敗軍の気配を一時的にでも去らしめるにはそれでも充分であろう。

 そうして一時にでも盛り返す事が出来れば、玄軍の到着まで軍として機能出来るかも知れない。

「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 漢嵩の祈りが届いたのか、夥しい唸り声と共に賦軍の後背から五千の騎兵が突如として姿を現した。

「何だと!?」

 青海波は激昂した。その五千の兵の掲げる旗は紛れも無く双の旗である。

「愚かな!!」

 そしてその双兵達は一心不乱にこちらへと突撃を仕掛けてきたではないか。何処にあのような兵が居たの

か、迂闊にもこの時に至ってまで、青海波は城内に置き捨ててきた双兵の事に気付かなかった。更に悪い事

に彼は運用し得る全軍を持って出陣したのである、誰もその双兵を止める者はいない。

「双兵は我等と共に在り、援軍ぞ、今こそ奮え、打ちかかれい!!!」

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 ここぞとばかりに声を張り上げた漢嵩に牽かれるように北守軍は息を吹き返し、勝利への予感が、生への

希望が大いに彼らの士気を高めさせた。

 そして先ほどとはこちらも逆に、賦軍は突然の挟撃に陥られ、浮き足立ち、将である青海波ですら混乱し

てしまっていた。

 勢いを失った軍ほど惨めなものは無い。その立場は一挙に逆転し、退路を絶たれた賦軍の脳裏に全滅と言

う文字までが過ぎる。

「怯むな者共、比類なき賦の騎兵がたかだが双兵などにしてやられたとあれば、これは末世までの恥。攻め

よ、攻めよ、火が出る程に攻めい!」

 しかし流石は精強たる賦族である。ようやく事態を把握した青海波の一声で再び秩序を取り戻し、不利を

跳ね返すべく鬼神のように攻め始めた。だが一度過ぎ去った波を取り戻す事は容易では無い。今になって数

の不利も襲いかかり、じりじりとその勢いは絶たれ始めた。

「勝った!!」

 北守軍の脳裏にはその三文字が過ぎった事であろう。しかしその将たる漢嵩はまだ安心してはいなかった。

確かに勢いは消えつつあるが、やはり賦兵は強い。北守の兵も建国以来彼が自ら指揮し存分に鍛え上げて来

たが、それでもその技量には明らかな差があったのだ。

 今は双兵も勝機に乗っている為に奮っているから良いが、またいつ賦の猛攻に壊乱させられるか解らない。

双兵五千、それはまともにやっていれば賦兵三千、いや二千にすら敵うまい。

「矢を撃ち尽くせ、そして身体中が馬までもが真っ赤に染まるまで刃を振るえ!!」

 しかしそのような心配をしていても、それを解決する術は今の漢嵩には無い。彼に出来る事と言えば、声

を張り上げ、自らも先頭に立ち、少しでもこの勢いを失わないように懸命に戦う事だけであった。

 ふと見れば、攻城軍の方もどうやら思わしく無いようだ。

 最早策も尽きた。後はただ玄軍を待つしかあるまい。賦族との戦とは常に不安が付き纏うものらしい。




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