7-1.猶予期間と呼べる時間


 双が滅び、再び大陸が五国家となってからはや一月が流れようとしていた。

 皆の危惧を抱きながらも無難に時は流れたが、まだまだどの国家も安定には程遠い現状を抱えている。言

ってみれば争いの火種は無数にあるが、単に争うだけの余裕がどの国家にも無い状態だと言えよう。

 その中でも唯一余力が未だ健在であろう賦国も、何故かしっとりとした沈黙を保っていた。この一月ほど

はいつも通りの小競り合いも無く。まるで何かを待ってでもいるかのように、軍備だけを整えて、今や遅し

と構えているように思える。

「一体何を待っているのだろうか」

 蒼愁(ソウシュウ)は一人呟いた。

 彼は姫君の相談役としてしばしば王宮内に出入りしているのだが、しかしいつも姫君と一緒に居ると言う

訳でも無く。その大半はこうして一人でぶつぶつと考え事をしていたりもする。

 勿論この壬と言う国には人材を無為に遊ばせておく余裕は無いから、彼の手元にはいつも幾許かの仕事が

握られてはいるのだったが。

 特にこの一月余りの間は領土拡張という事もあり、雑多無数の書類を片付けねばならず。彼もいつの間に

か考え事をしつつも、器用に仕事をこなすと言う不可思議極まりない特技を身につけていた。これがまたお

かしいくらいに間違いも無いので、別の意味で参謀達の頭を悩ませている。

「何を・・・と言えば、一つしか無いでしょうね」

 暫く悩んだ後、何度目かの同じ結論に達したらしい。

 と言うよりも、彼の言う通りその答えは一つしか無かった。待っているとすれば、賦を除いた四国家間の

摩擦、そしてそれより来る争いをとしか考えられない。所謂漁夫の利を得る策である。

 この一月の間に色々な事が解っており、参謀府に居る彼はこの大陸の誰よりも情報に通じている。その情

報を整理すれば、双の一件も賦の大規模な離間策であると言う考えに辿り着く。玄の遅参、賦の援軍未派遣

など、そう考えられる材料は無数にあった。

 しかしそれが判明しようと無かろうと結果は変わらない。玄の遅参の事実と汚名は変わらないし、それに

よって領土が増される事も無い。理由が解り、結局はまた賦にしてやられたと、余計に腹が立つだけの事で

あった。

 それに北守も壬も大軍を遠征させた隙を狙われるかも知れない事は、初めから覚悟しており。玄だけを特

別扱いする気も無い。あの時に進軍が遅れれば、北守軍も壬軍も窮地に立たされる事は簡単に予測出来る事

で、はっきり言えば玄がその二国を見捨てたと言う事実もまた変わらないのである。

 元々そう言う危険な賭けである事はどの国も重々承知の上で、あの大規模な作戦に参加したはずなのだ。

「せめて軍を二つに分け、半数だけでも望岱へ進ませれば良かったのに」

 半数だけでも一万五千と言う大軍である。それだけでもいれば、あれほど漢嵩(カンスウ)が苦労する事

も無かったであろうし、それだけ壬軍も楽になっていた事だろう。

 それだけに壬と北守の玄への不満は収まるどころか、日を追うごとに増しているように思えた。特に北守

は下手をすれば王である漢嵩の首をとられていた可能性もある。以前からの彼の名声を考えれば、勝ったか

らそれで良いと言う訳にはいくまい。

 そしてそこまでの不満をもたれれば玄も負い目はあるとは言え、自然北守へと敵愾心を持たずにはいれな

い。更に悪い事に、玄に与えられた領土内の民も大いに漢嵩を尊崇していると言う事であった。これでは玄

が上手く治められる訳が無い。

 そう言う事情が膨らみ、ある一点に達した時。例え今領土の安定に懸命で余力が無いとは言え、一体どの

ような事になるのか、誰にも想像出来ない。言ってみればこの一月と言う時間も、いつ暴発するか解らない

火の海の中の火薬の上を歩いているようなものであった。

 何か小さな事でも起こればそれが引き金となって、また大きな争いが起こりかねない。いや、最早いつ起

こってもおかしくは無い。

「今北守と玄が争えば恐ろしい事になるでしょう・・・」

 北守も今は大国である。双の国庫や貴族の私財が思ったほど残ってはいなかったとは言え、その力は揺ぎ

無いものへとなりつつあり。玄国も先の戦では大した損害も受けておらず、未だその戦力は健在であった。

 その二国が激突するとなれば、そしてそれに乗じて賦が攻めるとすれば、これは一体どのような事になる

のか想像もつかない。一つだけ確かな事があるとすれば、そうなれば賦が以前よりも更にその勢力を増す結

果になると言う事だけであった。

 そうなればもう壬と凱では相手にもなるまい。

 賦の滅びの魔手は未だ大陸を色濃く覆っているようだ。



 玄国は混迷している。

 感情に安定と統一感が無いと言ってもいい。

 先の大戦以来、数多の不満とこの戦後処理等の忙しさで人の心も自然荒んで来ていた。特に軍部に不満が

多い。

 彼らは新領土の守りに多く派遣されているのだが、大戦時にほとんど戦らしい戦もしておらず。賦に中途

半端に勝った事もあって、未だ昂ぶったままの感情を引き摺っている。

 そして新領土の民も玄の遅参などを良く知っており、一時は漢嵩を激昂させかけた事までもが何故か広く

伝わっていて、その分玄兵を快く思ってはいなかった。

 そんな二者が合わされば、当たり前のように衝突も多くなる。その結果生まれた土地を捨て、北守へ逃げ

去る民なども後を絶たなかった。

 そうなるとまた玄の苛立ちは募り、つまりは悪循環となる。

 そんな事が繰り返されている事に憂慮した玄王玄宗(ゲンソウ)はこのままでは後々の為にならぬと、立

ち去りたい者は届け出さえすれば後は自由に立ち去っても良いと言う触れを先日出し、その結果半数以上の

民が新領土を離れる結果となってしまった。

 玄の将兵はこの結果に更に憤慨し、玄宗によって何とか宥められはしたが。しかし単にそれは燻っている

だけでしか無い事は、誰の目にも明らかである。

 ただ大きな不平不満を持つ民が去った事で、少しは兵と民の摩擦も減ったように思える。それだけが救い

であった。

 だがこのままでは国を纏めるどころの話では無く、玄宗は終始頭を悩ませている。土地を得ても、それを

耕す民がいなければどうにもならない。

 内政に長けた玄の事、時が経てば安定するには違い無いが。それには途方も無く長い年月がかかるだろう。

どの道玄と壬は新領土安定に苦労する事は出兵以前から解ってはいたのだが、これほど不味い事になるとは

玄の誰もが思っても見なかった。

「あの遅参がこれほど響く事になるとは・・・・」

 玄宗はもう何度もらしたか解らない溜息と共に呟く。

「望岱の勝利は確かに我が軍の手柄かも知れぬが・・・。しかし漢将軍をあのような窮地に立たせたのもま

た我等なのだ・・・」

 兵士の中には望岱の勝利は我等のおかげと、そう公言して憚り無い者も多いと聞く。しかし玄宗はそこま

で楽観視はしておらず、そう考える事の愚かさも知っている。だが困った事に、将の中にも同じように思う

者が多いのもまた事実であった。

 兵を統べる竜将軍邑平(オウヘイ)もまたその一人であり、そうである事がまた兵達を憚らせない原因で

もあるのだろう。軍部の現最高位である竜将軍の意見は、自然武官達を感化させてしまうからだ。極論に達

する者は少ないだろうが、それでもほぼ全員がそちら側に傾いている事は事実である。

 それによって文官との衝突も近頃は増えてきているらしい。

 邑平と参謀長奏尽(ソウジン)との意見の相違はいつもの事であり、武官と文官の言い争いなども昔から

絶えない事ではあったのだが。しかし今はそれに少し生臭いものが宿ってきたように思える。皆どこか血気

逸っており、自らの感情を何処へ向ければ良いのか解らないのかも知れない。

 このままでは意見の対立どころの話では無い、いずれ二派が真っ向からぶつかり合う事になるだろう。

「さて、どうするべきか・・・」

 内部争いなど始めてしまえば、最早新領土どころの話では無い。そして確実にその隙を賦に突かれる。

 だがこう言う時に相談すべき参謀長がその一派の党首となっている以上、うかと相談する訳にもいくまい。

そんな事をすれば、武官達の反感をことさら掻き立てる事になるだろうからだ。国王は文官達の意見のみを重

用していると。

 そして玄宗は一人悩む。まるでこの国の現状を一人で表すかのように。

「漢将軍に頼めれば、それが一番良いのであろうが・・・」

 新領土の民は漢嵩を信望する事甚だしい。だからこそ玄に尚更不満を抱いているのだ。そこでこちらが折れ

(別段それを漢嵩が望んでいる訳では無いのだが)、彼に貢物などして機嫌を取り、一言宥めてもらえればそ

れで民達も少しは気が収まると言うものだ。

 しかし今そんな事をすれば武官達の不満は更に肥大し、取り返しの付かない事になってしまうかも知れない。

彼らは自らの武勲を誇り、それを辱められるのを嫌っている。それを無視して王が詫びてしまえば、彼らの誇

りを大きく傷つけるに違い無い。

 それは悪くすれば内乱の火種となるかも知れない。

「まさかこのような事態になろうとは・・・。迂闊、いや誤算であったか・・・」

 玄の民から父親のように慕われている彼だからこそ、今はそれが枷となり迂闊な手を打てない。

 とにかく今は見守るしか無かった。玄宗は自らの無力を悔いつつ、ただ待つより他に無かったのである。

 せめてこれ以上は新たな難問が起こらないようにと。 




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