7-2.中庸の謀なる事、賢しからず


 凱の都偉世(イセイ)も常よりも更に活気に満ち溢れていた。

 この国は直接は先の大戦に参加してはおらず、連合国が期待したような牽制を行う機会も無かったのだが。

連合国の参謀達が睨んでいた通り、実はそれを行う為の準備は着実に行われていたのである。

 その為、この都にもいつも以上に虎が増え、武具、生活品、食糧なども飛ぶように売れ。昨今稀に見るこ

の賑わいとなっているのであった。

 凱の軍勢は結果的には使われる機会は無かった訳だが、意気消沈しているのかと言えばそうでも無い。戦

の種など大陸内に無数にあるし、凱としても賦への備えはやり過ぎると言う事は無かった。それにそのおか

げで経済が潤ったとなれば、被害が皆無である事からそれも凱の一人勝ちと言えなくも無かった。

 凱はいずれにしても損をしない方法を常にとっているのである。そう言う感覚で言えば、凱の民以上の者

はこの大陸にはいまい。

 そして大戦の結果も凱王としては満足のいくものとなった。

 確かに壬、北守、玄の三国は更に領土を拡張したのだが、急激にあれだけの領土を与えられれば、雑多無

数の問題を抱える事になる事は明白であるし。それ以上に玄は愚かにも遅参と言う愚中の愚を犯した。それ

によって当然、三国が結束されるどころか更なる離間を齎す事もまた、明白である。

 凱にとってこれ以上良い結果は無いだろう。賦を倒す為に四国の力と結束を増す事は吝(やぶさ)かでは

ないのだが、それも必要以上に大きくなっては困る。何しろ凱と言う国は米粒程も他国より信頼されていな

い。下手に三国の結束でも増そうものならば、賦を倒した後返す刀で狙われるのが凱である事は容易に想像

が出来る。

 四国仲良くなどは夢想以外の何物でも無く、いずれこの大陸が統一されるまで、争いは永遠に続くのであ

る。否、例え統一されたとしても、戦の根は絶えないだろう。それは皮肉にもこの大陸の歴史、いやそこま

でいかなくとも、最もこの大陸で尊崇されているあの碧嶺一個が齎した歴史だけで、彼一人だけで充分証明

されているのだ。

 人間が何千年、何万年、何百万年生きたとしても、それほど賢くなる訳は無いのだから。

 一人一人の寿命はせいぜい数十年が良い所と思えば、築いてきた知識は積もっても、その思想や精神の発

達までは受け継ぐ時間も意識も無い。人とはそう言う厄介な生き物なのである。

 しかし、だからこそ楽しいのだと、凱王凱禅(ガイゼン)は思う。そう言う人間の愚かさがあるからこそ、

彼の好みである策謀と言う存在がより浮き彫りにされ、何よりも生きてくるのであった。

「いつまでも賦などに負けてはおれぬ」

 ここ数年における賦の方針の変化について、ある一人の策謀家の存在が大きく関わっている事はすでに内

外に知られている。どのような人物なのか、そこまでは知る術もないが。そのようなぽっと出のしかも賦族

などに負けてなるものかと、凱禅は昨今常に考えていた。

「我らが策謀の歴史にとって、賦などに巧く歴史を紡がれる事以上に屈辱な事は無い」

 事実それまでの賦国はそう言った戦略や政策などとは無縁に、ただひたすらに攻勢を繰り返し。そして恐

るべき事に、それだけで今のような大国にまでいつの間にかなった国なのである。

 そういう風に言えば、賦族はやはり並々ならぬ種族だと考えられる。しかし凱禅などからすれば、もし彼

が賦の王であったならば、とうにこの大陸を平定している自信があった。そして実際そうだろう。漢嵩(カ

ンスウ)が寝返ったあの一件以来、驚く程に状況は変化しているのである。その一事だけでもすでに双一国

が滅び、他の国も瓦解の兆しに翻弄されてきた。

 元を辿れば、ただ一個の離間策のみでそれが起きたのだ。勿論それには色んな状況も味方しただろうが、

しかし賦が策謀を持てばそれ程の力を生み出すと言う事でもある。そしてその賦がいよいよ策を使い始めた。

「愚かしく、忌々しい種族めが」

 しかし真に惜しい。凱禅は吐き捨てるように呟きながら、そういう風にも思った。この凱にも賦のような

強兵と勢いがあれば、と。賦の武力があればこの大陸を平定出来るものを。

「無いもの強請りと楽観は策の鬼門。しかしやはり惜しい・・・いや、今は北守と玄だ」

 無いのならばもう作るしかない。賦族並の強兵は無理としても、今の賦国の位置に着くことは、或いは不

可能ではあるまい。その為にも使えるものは全てくまなく使う。賦を倒す事も大事だが、倒した後の事も考

えねばならない。このままいけばおそらく漢嵩が第二の碧嶺(ヘキレイ)になってしまうだろう。それだけ

は防がねばならない。

 最後に覇権を握るのはあくまでも凱、そしてこの凱禅なのだ。

 それには玄と北守の状況を利用しない手はあるまい。

 凱禅は再び私室で一人深い思案に入った。すでに手は打ってある。



 北守の宰相である明節(ミョウセツ)は今大陸で最も忙しい人間の一人であろうか。元々双の民であり、

数少ない有能な高官でもあった彼は、北昇(ホクショウ)の太守の時から民衆に善政家として慕われ。更に

は王である漢嵩(カンスウ)の存在もあって、新北守は壬や玄よりかは遥かに統治しやすい環境にはあった

のだが。しかしその領土は以前の数倍にまで広がり、首都どころか言わば一国全てをこの地に移転した事に

よる仕事量の膨大さときたら、これは想像を絶する物であった。

 彼がふと見るだけでも、まあ出るわ出るわの不正の山。探せば探すほど次から次へと無数の過去より続く

悪癖が出てきたのである。双国上層部はつくづく腐り果てていたようだ。しかもそれは明節や漢嵩の予測よ

りも遥かに上回るのである。今まで国として存続していただけでも驚嘆に値すると言うものだ。

 それが出来たのは手足となって働いていた地方長官や下士官などに、有能な者が少なく無かったからに違

い無い。実際明節も彼らのおかげで大分助かってもいた。

「双の民も捨てたものでは無い」

 そして確信する。彼の野望も実現不可能では無いと。

 北守の国は大きく広がり、漢嵩の名声も更に高まり、一国として強大と言える程に成長したのだが。しか

し明節の思いはこの程度で止まる事は無かった。いやむしろ、これからが重要である。

「それには他国との仲を一層親密にしなければ・・」

 そう考えればやはり壬一国だけでは物足りない。あの凱の力も欲しい。

 凱は信頼度には甚だ欠ける国ではあるが、しかしその力は侮れない。そして地形的にも真反対に位置し、

色んな意味で利用価値も高かった。いや、凱ですら利用し尽くさねば賦には勝てないと言える。

 双を滅ぼした事で目先の脅威は消えたが、しかし賦の強大さはやはり揺るぎ無かった。おそらく双などと

言う国は初めから捨てていたのだろう。貴族王族の私財や国庫の蓄えが予想よりも遥かに少なかった事もそ

れを証明していた。

 と言う事はこれも戦略の内と考えられる。そう考えればこの戦勝後の今が一番危ない。もしかすればすで

に賦の一軍が出陣している可能性すらあった。

 凱以外の三国は今まとまりに欠けている。隙を狙うのは兵法の常道であるだろう。

「となれば次は玄か・・・」

 壬の防衛力は対賦方面においては未だ健在、北守も望岱がある。となれば今一番混迷に陥っている玄こそ、

正に絶好の的であろう。兵力そのものはほとんど減ってはいないが、今の統制に欠ける状態では宝の持ち腐

れ、軍としては甚だ弱い。

「やはり望岱を得た事は大きかった」

 明節は大きく息を吐く。

 あの戦でもっとも戦力的に損害を出したのは北守である。もし望岱を落としていなければ、おそらく狙わ

れていたのはこの北守であったに違い無い。

「そして玄を狙うとなれば、こちらにとっても好都合」

 戦後の領土分配において玄が大いに不満を持っているのは周知の事実である。

 そして玄の新領土問題における事からもあの国は北守を、いや漢嵩と言う存在に恐怖に近いモノを抱いて

いるに違いなかった。この明節ですら、あれほど漢嵩の名が大きいとは考えていなかったのだから、他国人

である玄の将などは尚更であろう。

 今はそれに気付かず、単に不満としているのだが。もしその怖れに気付けば、おそらくそれは程無く敵意

へと変わる。そうなれば、賦も危険だが漢嵩と言う存在も危険である。その存在が大きくなり過ぎていると、

おそらくそう言う考えに到る事だろう。

 そう考えれば、玄と言う国も早めに滅ぼしておかねば後顧の憂いとなりかねない。

 それも出来れば賦によって滅ぼされて欲しい。そうなれば賦から玄の地を取り戻すと言う大義名分が出来、

民や将の掌握も容易になるからだ。そうなれば漢嵩の名も高まり、正に一石二鳥であろう。

「滅ぼすまでいかなくとも、その寸前まで追いやって欲しい」

 暗い願いではあると解っているが、しかしそれが策と言うものだ。壬はその性質上扱いやすく、漢嵩が受

けた恩も考えれば、存続させる事には問題は無い。出来れば未来永劫の同盟国としていたい所だ。

 だが凱も玄もいずれは滅ぼすべき国である。そして北守が大陸の覇となるのだ。漢嵩を第二の碧嶺(ヘキ

レイ)に、それが彼の今の野望である。

 それこそがこの大陸の為でもあると、純粋に信じてもいた。そしてどうやらその野望も満更夢では無くな

ってきたようである。




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