6-3.望岱を前に漢嵩奮う


 ようやく北昇(ホクショウ)に壬軍も到着し、士気向上の為に盛大な宴が催された。そしてそれからたっ

ぷりと睡眠を取らせ、明朝疾風の如く全軍が北守を出発した。

 前衛部隊として騎馬隊を突出させた速度重視の行軍である。しかし強行軍とまではいかない、この後には

連戦を控えているのだ、なるべく無理をさせる訳にはいかなかった。その為、将の間には僅かばかりの苛立

ちも見えたが、しかし指揮官達の統率力は流石に大したものであり、その軍容に一糸の乱れも無い。

 賦への根強い恐怖は誰しもが持っているのだが、それも高揚感と将への信頼で打ち消す事も不可能では無

かった。ただ、その恐怖自体を消す訳では無いので、終始注意を払う必要があるだろう。

 今回の作戦では大きく壬、北守、玄、の三軍に分かれて行動する。

 それを率いるのは、壬の竜将軍楓仁(フウジン)、北守将軍漢嵩(カンスウ)、玄の竜将軍邑平(オウヘ

イ)と言う堂々たる顔ぶれであった。いずれも名立たる将軍であり、全軍の信頼も厚い。特に漢嵩には皆が

畏敬の念を持っているほどである。次いで黒竜の長たる楓仁に重きが置かれているだろうか。

 三軍が一同に会すれば、黒、紫、赤の三色が燦々と戦場に輝く事であろう。

 紫は北守の国色であり、黒、白、赤、青、黄の五つの純色とは違い、所謂混色と呼ばれる色である。その

為、縁起の上では五色に劣る。それを敢えて使ったのは属国故の配慮であろう。本来ならば地形的に西海白

竜王の加護を受ける場所柄であるから、白と定めても良かったのだ。

 そして双と北守境界の辺りで壬軍と北守軍は互いの幸運を天に祈りながら分かれた。ここから壬軍は北西

の双へ向い、北守軍は南西の望岱(ボウダイ)へと進軍する。距離的には望岱の方が北守に近く、もう今日

明日には届く距離であった。

 双へはまだ暫しの距離がある。出来うるならば壬軍が双に到着する頃には望岱を落としているのが理想で

あろう。

 或いは双が望岱へ出す援軍と野外で戦いたい。援軍と言えども数万と言う大軍であろうが、しかし今の双

には有能な指揮官がいない。むしろ撃って来られた方が好都合と言うものだ。それがもしいずれかの都市に

でも篭られれば、それだけ余計な時間を食ってしまう。それは好ましく無い。

 双を簡単に落とす為にはここで華々しい戦果を上げる事が望ましく、またそうであるべきであった。

 そうなれば士気も益々上がり、後の賦からの援軍との戦いも少しは容易になるはずである。

 ただ、弱兵名高い双が果たして出陣してくれるかどうか。その為に会えて壬軍二万だけで双に当らせたの

だが、楓仁将軍と黒竜の異名を知れば倍以上の兵数差があるとはいえ、まだ出陣を渋る可能性もあった。

 まあ、それならばそれでも構わない。

 双に出陣する程の気概が無く、しかも望岱を見殺しにしたとなれば。更に双を見限る者達が出てくるであ

ろう。臆病こそが最もこの大陸人達の嫌う所でもあり、賦族ならまだしも、望岱に居る五千の双兵を見殺

しにしたとあれば、最早これ以上双に仕える気も失せるはずであった。

「今の双はすでに国として存在出来ていない」

 漢嵩は複雑な気持で何かを押し殺すように呟く。

 例え今はどうであっても、元は彼の一族が代々仕えて来た国である。しかし明辰(ミョウタツ)と言う名

将が率い、当代最強の精鋭と言われた兵団の面影も今は欠片も無く、そこに形容しがたい虚無感を感じた。

 古来より王に信なき国は腐敗し滅びて来たが、いざ自分がそれを滅ぼす側に立つとなると感慨も深い。

 ただ悔いは無い。滅びるべきモノが滅びるだけの事なのだ。これもまた天命であろう。

「いずれにしても、望岱だけは賦族などに渡す訳にはいかぬ」

 賦族侵攻を食い止める為に、多大な労力と時間を払って双が築いてきたその結晶が、言わば望岱である。

その望岱に賦族を住まわせている事は、先祖への冒涜に他ならない。

 漢嵩は改めて決意を固め、粛々とだが迅速に軍を進めさせた。


 望岱、その名には今では堅固の語感が常に付き纏い、まさに防衛拠点の代名詞とも言える存在となってい

る。堅城は古今いくつも現れたが、ここまでのものは史上そうは見ない。その壮麗さと揺るぎ無しと呼ばれ

た規模と、何より比類無き英雄の存在で名高い、あの碧嶺の王城も今は無く。実質現存する中では最高峰の

一大要塞と言えるかも知れない。

 しかし、それはあくまでも対賦を想定した上での事と考えなければならない。

 実はこの望岱、双側から向かえば堅固とは言え、難攻不落とは言い難い部分があるのだ。

 まず望岱までの交通路。兵の輸送が活発になる為に当然交通路の整備には他よりも気が使われ、丁寧に均

されている。それ故、大軍での進軍も容易であり、むしろそれに好都合とさえ言える。

 そして賦と言う強大な敵の印象が強い所為か、対賦の防衛拠点となって以来は、主に賦領土側に対して増

改築がなされていた。この拠点は碧嶺時代から存在するが、双領土方面は修復程度が中心であり、賦領土方

面と比べれば、さほどその規模、防衛力は変わってはいないのである。

 今では望岱の名が一人歩きをしている為、皆それに気付いてはいなかったが。しかし漢嵩は別である。彼

は長年ここに駐屯し、その全てを掴んでいた。彼が指揮するに当って、双方面も勿論強化してあったが、や

はり賦方面と比べてはその強度は落ちる。

 そして防衛を考えると言う事は、即ち攻撃手段を考えるのと同義であり(攻撃手段が解らなければ、そも

そもそれに備え様が無いからである)、漢嵩は頭の中で何度もこの望岱を陥落させてきた。言わば、彼はこ

の望岱の天敵なのである。

 何より賦と言う民族は常に攻撃的であり、攻め込まれた事は皆無に等しく、防衛戦の経験も無く、つまり

は防衛戦に弱い。如何に勇猛果敢と言っても、馬術に巧であると言っても、それが生かされるのはあくま

でも野外、それも平地や広い場所に限っての事なのである。

 こう言った拠点防衛は、むしろそんなモノよりも策を用いる事が重要なのだ。あらゆる手段を事前に防ぎ、

その準備を済ませ、また常日頃から改修修繕も怠らない。賦にはその経験が無い。

 現在望岱を治める次将軍、青海波(セイカイハ)も猛将の誉れ高いが、一つ所に落ち着いていられない性

分らしく徒(いたずら)に短慮な所もあるようだ。央斉(オウサイ)がすでに間諜を手配しており、漢嵩は

こう言った望岱の内部情報もほぼ把握している。

 この青海波、平原での決戦ならば恐るべき相手ではあるが、攻城戦においては海千山千の漢嵩の敵では無

いだろう。だが勿論油断は禁物である。賦族にはあらゆる理屈を覆す程の強さがあるのだから。

「賦よ、望岱はお主らには過ぎた城。それをこの漢嵩が教えて進ぜよう」

 最近の漢嵩は主に政務をこなし、その方面でも彼は有能ではあったが、やはり根っからの武人である。久

々の戦、しかもこのような大規模な作戦で血は大いに滾っていた。それは彼の率いる北守軍も同様である。

元は弱兵弱兵と呼ばれた双兵であるが、しかしそのほとんどは長年漢嵩と命を共にし、曲がりなりにも賦の

侵攻を食い止めてきた兵達だ。

「我が北守の兵は双兵であって双兵では無かったと、改めてそう思い知らせてやろう」

 漢嵩は目前に広がる懐かしい景色を目に映しながら、荒ぶる心で静かにそう決意したのであった。そして

望岱を手にした槍で突き刺すかのように指し示す。

「見よ、あれが望岱である。しかし賦族などではそれも宝の持ち腐れ。考えても見よ、我等があの城に居て

こそ、あの賦族を長年抑えて来たのだ。我等以外の何者がそれを出来たと言うのだ。臆する事なかれ、そし

て望岱におわす祖先の御魂を安んずる為にも、各々奮い、奮い立ってあの城を我等が手に取り戻そうぞ。今

こそ汚名を注ぐ時ぞ」

 それからゆっくりと将兵を見渡し。

「全軍、我に続け!!」

 雄々しく叫び、激しく騎馬に鞭を打った。

「オオオオオォォォォォォォォォオオーーーーーーーー!!!!」

 漢嵩に続く北守軍の雄叫びが、まるで望岱を震わせるかのように深く響き渡った。




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