6-4.望岱決戦


 奮起の雄叫びが咆哮となって望岱へ突き刺さる。

 おそらくすでに北守軍が進軍している事は望岱側にも解っており、慌しくも防衛準備は終っている事だろ

う。賦族が果たしてどのような守勢を見せるのか、少なからず不安もあった。だがしかし、そのような事で

怯むような兵は漢嵩(カンスウ)の下にはいない。各々が恐怖を乗り越え、死中に活を見出すような、そ

のような鋭くも冷静な目に変わっていた。

 漢嵩はそれに満足そうに頷く。

「我に続け!!」

 颯爽と漢嵩は目前に聳える望岱へと馬を進めた。総大将が先陣をきる等とは危険極まりない事であるが、

これが一番士気の上がる方法である事にも違い無い。危険をものともしない勇敢さこそが、人を耐え様も無

く震わせるのだ。

 そしてそうであるからこそ、兵達はこの将軍の為に命を投げ出そうとさえ思うのである。これが自らは安

全な所から動かないような将であれば、誰がそのような者の為に自らを犠牲にしようなどと思うだろうか。

よほど心服でもしていない限りは有り得まい。いや、心服していてもその時点で幻滅してしまうだろう。

 人の心は絶えず動いており、その心が今何処にあるか、これを見極めるのが良将と言うものだ。

 そして漢嵩は明らかに良将である。

 あっという間に彼の眼前に雄大な城門が広がってきた。懐かしき、あの望岱の難攻不落の門。しかしそれ

もよく知っているだけに賦領土側に比べれば如何にも弱く見える。

 その城壁には弩兵の姿が見え、それと同じくして夥しい程の矢が降り注ぐ。

「つォォおおおおおおおおおおッ!!」

 漢嵩は手にした槍を縦横に振るい、その矢群を叩き落した。顔や関節部だけ気をつければ良かったから、

その分安心感が増し、それは自信と変わる。自然、その槍捌きにも迷いが無くなっていた。壬国製の甲冑は

例え賦族の誇る弩弓であっても易々と貫かれる事は無い。

 そして弾かれた矢が無数に飛び散る中を北守軍は轟風の如く疾走した。

 騎馬兵の突撃は攻城戦においては大して効果はないのだが、しかし士気を上げる為と、素早く城門へ接近

出来ると言う強みはある。

「梯子をかけよ!」

 その命に応じて兵達が組み立て式の梯子を組み、一斉に城門へと立てかけ始めた。これも壬製の物で、簡

単に組め、しかも軽い。

 後方からは北守の弓兵達が援護射撃を繰り出す。弩と弓、双方の矢が空を染めるかの如く、上空に満ち満

ちて正に矢の雨、いや矢の嵐と言った光景が広がっていた。だが双方とも損害は少ない。壬の武具に身を固

めた北守兵の防御力を矢で貫くのは困難であったし、弓の腕は賦族に及ぶ者などいないからである。

 城壁の上まで効果的に弓矢を放てる者は、例え熟練の兵と雖もそうはいない。

 その為、射撃戦は一進一退の攻防を示していた。

「さあ、行け!我等の手で望岱を取り戻すのだ」

 北守兵はその隙を狙って梯子で城壁を登り始める。長い梯子であり安定が悪く落ちる者もおり、賦兵に梯

子ごと蹴り倒される事もあったが、徐々に北守兵達は城内へと侵攻出来始めたようだ。予想通り一つ一つの

事に対しての賦兵の反応が遅い。やはり経験の差が如実に出ているようである。

 まあこれが例の強弩兵相手であれば、こうも易々とはいかなかったであろうが。賦族にしても強弩はまだ

まだ実験段階らしく、その数は少ない事が幸いした。

 流石に漢嵩まで梯子を登る訳にはいかず、彼は降って来る矢を払いながら壁下で的確に指揮を取っている。

盾を持たせた兵の後ろに弓兵を配置し、徐々に距離を詰めている為、射撃戦は尚激しくなってゆく。

 それにしても気になるのが敵兵の姿が思ったよりも少ない事だ。

「何か企んでいるのかも知れぬ、一時後衛に戻る。後は頼んだぞ」

 兵隊長に前線指揮を任せ、漢嵩は一時後衛まで下がる事にした。あの賦族であれば、城門を開いて打って

出てくる可能性もあった。そうなれば登壁に夢中になっている今の状態では虚をつかれ、正に格好の餌食と

なってしまうだろう。その為に迎撃部隊を編成しておかなければならない。

 戦場での漢嵩は多忙である。



 望岱防衛を指揮するのは賦の次将軍、青海波(セイカイハ)。齢50を過ぎ、最早初老を越えているが、

その長年戦場で鍛えられきた体躯は衰える事を知らず、未だ前線に出ても疲れる事を知らない。噂ではある

特異な呼吸法を体得しているのだとか。そしてそれを示すように、忙しく指揮する今も息切れ一つ見せては

いなかった。

 生来の頑固者であり、時に凶暴とすら言える姿を見せる事もあるが、兵からは割と好かれているようだ。

ただその性格故におそらくは次将軍以上にはなれないであろう。まあ当人はそのような事はまったく気にし

てはいないのだが、惜しいと言えば惜しい。

 この青海波、防衛の経験以前にその性格からして防衛にはまったく不向きであったようで、今も苛立つ心

を抑えかねていた。

「双兵程度にしてやられるとは、如何に将があの漢嵩とは言え口惜しい事よ!」

 そしてそれを隠そうともせず、大声であたり構わず怒鳴り散らしているのである。

 元々この望岱も賦族は防衛拠点に使うなどとは考えておらず、単に北守や双侵攻への中間拠点として利用

するつもりであった。であるから青海波もこの望岱を守る為にわざわざやってきたのでは無く、むしろ北

守へ侵攻する為に駐屯していたのだ。

 しかしあろう事かその北守から、しかも壬と共同で、この望岱に攻め立てて来たのである。

 初めから防衛などは考えていないのだから、防衛が上手くいかないのもそれは当然であろう。そう考えれ

ば人事も間違っていたとは言えない。ようするに賦にとって予想外の出来事なのだ。

 しかも相手はあの漢嵩、一筋縄でいく相手では無い。

 青海波も他の賦族同様に、この漢嵩を将として認めている。賦族は有能たる者は例え敵であっても尊敬す

る美徳があったからだ。大陸人を一様に憎んでいても、その力量を認める事は吝(やぶさ)かではない。

 だがそうとは言っても、あの弱兵名高い双(今は北守だが)の兵にこうも押されるとは、どうしても青海

波は納得出来ず、心底から悔しく思うのはどうしようも無かった。

「何をやっておるのだ!!貴様らそれでも賦の武人か、双兵如きにしてやられるとはけしからぬ」

 青海波はその苛立ちを兵の端々にまでぶつけるが如く、猛りに吠えるのだが、しかし無論そのような事で

は北守兵の勢いは止まらない。今ではもう守将室近辺から剣戟の音すら聞こえた。これは北守兵の深い侵入

を許した事を意味する。

「しかし北守兵どもの鎧、なかなかに硬く、弩弓ですら貫けません」

 近侍の兵も余裕が薄れているのか、その口調も慌しく、現に弩兵隊の戦果も思わしく無かった。

「むう、あの強弩さえ我が手にあらば・・・」

 弩も年々強化されてはいるのだが、すでに構造上の限界を迎えており。上等の鉄製の武具が生成出来るよ

うになった現在、以前主流であった皮鎧やそれにおそまつな鉄板を貼り付けただけのような物に対してのよ

うに、最早容易く貫くと言う訳にはいかなくなっていた。碧嶺(ヘキレイ)以来、賦族の敵者を大いに苦

しめてきたあの弩兵部隊の威力も今は望めない。

 その状況を打破すべく、上将軍の紅瀬蔚(コウライウツ)などが中心となって新兵器である強弩部隊を設

立しようとしてはいたが、まだまだ数は少なく他将軍の部隊にまではとても回って来てはいなかった。

 無い物を願っても仕方が無い。

「ううむ・・・、こうとならば打って出るまでだ!」

「しかし将軍、今動かせる兵は五千程でありますが・・・」

 馬の数には防衛側だけに余裕もあったが、肝心の乗り手となるべき兵が八千ほどしか残っておらず。予備

兵の事を考えれば、せいぜい五千が良い所であった。後の兵は皆必死で戦っている。勿論これは、城内に

居る双兵を抜いての数である。賦族は双兵などに信はおいておらず、また興味すら無いのかその居場所や兵

数も把握してはいなかった。

「構わぬ、予備兵なども要らぬ!運用出来る全兵力を持って、打って出る!!」

「承知しました!!」

 近侍の兵もいつまでも城内に居る事に飽きていたらしく、表情を輝かせて兵の召集の為に更に慌しく駆け

去って行った。

 全兵力を使えば隊の交代も出来なくなり、消耗するのみの戦となるのだが。青海波はそのような必要も無

く、短期決戦で終らせるつもりであったから、特にそれは気にせず。ましてや援軍を待とうなどとは欠片も

思ってはいなかった。その短期決戦こそが北守軍の狙いだとも知らずに。

 だが賦の騎馬兵こそが、この大陸最強の兵団である事は間違いの無い事実でもある。果たして天はどちら

に味方するのであろうか。 




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