7-4.焚き付ける風の彼方には


 玄国新領土の丁度以前の玄と双との境界となる辺りに、流安(リュウアン)と呼ばれる小都市がある。規

模は他の都市程では無いが、大陸北西部の交通の要所として賑わっていた街である。それは丁度あの壬の趙

庵(チョウアン)と同じ条件の元に生まれた街であろう。

 そしてこの街にはその都市柄、昔から情報の出入り等も激しく。そして富裕な商人、所謂豪商も多い。そ

う言う点を考えれば、ここは民衆の拠点となるに一番相応しく、またそうなるに自然な場所であったかも知

れない。元々中央の政権より離れている事もあり、こう言う場所に生まれた者は独立心も強くなる。

 それに国境周辺は戦も当然激しく、その警戒を常に持っており。豪商の中には竜だけでは物足らずと、自

衛の為に私的に虎を雇う者も少なくなかった。壬などとは違い、どの国も全ての街が強固な防衛力を誇って

いると言う訳では無いのだから、そう言う事も何ら不思議では無い。民もその全てを国に依存している訳で

は無く、過酷な状況の下、自らそれを打開する為に出来うる限りの事はしてきた。

 また賦や他国の脅威のみならず、そう言った中央より離れた地方には夜盗、強盗の類も珍しく無いと言う

事実もある。特に今のように一国が消え、その残党や郎党が未だ細々とでも残っている時期は、そう言った

輩も当然増えると言うものだ。

 それ以外にもこの国が沸騰し沸き返っている時勢に乗ろうと、大陸全土から無数の有象無象もやってくる。

そんな状態であるから、何事が起こってもまず不思議はあるまい。

 そしてこの流安に現在、玄への反乱軍が駐屯していた。いや、この小都市一個こそが反乱軍であるとも言

えなくもないかも知れない。任侠心のある豪商からは私兵と武具も民衆に提供され、防壁や防衛装備も強化

されており、正に一大武装都市へとその姿を変えてもいるのだ。

 そこには無秩序な反乱では無く、何か計画的なものが感じられる。何にしても、これは一朝一夕のもので

はないだろう。

 しかし以前より新領土の民に不満があったとは言え、ただの一般の民衆がこうも用意周到に計画を立て、

更に豪商達をこうも積極的に反乱へと組み込めるものであろうか。これも時勢、とだけ呼ぶには何処か物足

りなさを感じ得る。

 よほどの指導者が民衆の中に埋もれていたか、或いは何かしらの陰謀めいたものをそこに感じても、それ

ほど不自然では無いであろう。が、しかし当事者である民衆達には、そのような事を考える余裕も無いであ

ろう事も、また確かだと考えられる。

 そのような事を考える余裕や余力があれば、元々反乱などという切羽詰った事態を自ら行ったりはしな

いだろう。彼らは良くも悪くも目前の事しか考えられなくなっている。必死なのである。

 玄の統治も悪くは無く、むしろ他国と比べてもその水準は高い位置にある。それを思えばやはり何か彼ら

の後ろにきな臭いものが感じられたが、それを訝しがる者は少なくとも反乱軍の中には誰もいないようであ

った。誰もかれもが逃れがたい何かに絡まれでもしたかのように、際限無くただ戦への道を歩みつつ、いや

全力で駆けつつあるようだ。

「おい、とうとう大規模な討伐軍が組まれたらしいぞ」

「何を玄如きに怯える事があるか。それこそ望む所だ」

「しかしいくらなんでもまともに太刀打ちは出来ないだろうに」

「いやいや、この事態を漢将軍が黙って見ている訳が無い。なにか手を差し伸べてくださるはずだ」

 しかし皆強気でいる訳でも無いようで、そのような会話もこの流安のそこかしこで見られる。

 ただ漢嵩(カンスウ)そして北守の国を慕い頼る心も、誰の心底にも大きなものを備わせているようで、

誰しも漢将軍の名を聞けば不思議と安心するようであった。

「それにこの流安もここまで強固にすれば容易くは落ちまい。そうなればこの事態を賦が黙っているはずは

無く、必ずこの隙を突いてくるはず。そうとなれば玄も余裕無く、我等にこれ以上本腰を入れる事は出来ぬ

はずよ」

 他に、多少の目の達者の中にはこんな事を言っている者もある。

 事実、そうだろう。未だこの大陸には賦と言う一大強国が中央に堂々と座しており、その周囲に位置する

他の四国家もその行動に絶えず気を配り、それ以上に怖れてもいる。何しろ一対一ではまるで相手にならな

いほどの精強さを誇る国で、一対四でも互角以上にはなれないと言う恐るべき力関係にある。

 それを思えば、いつまでもこのような反乱を黙ってみている訳には勿論いかないとしても。それ以上に反

乱などに関わっている余裕は無かろう。

 現在のこの賦国の不気味な沈黙が、四国家の恐怖心を余計に震わせている事でもある。

「であれば、状況によっては我等の領土も北守へと入れて頂ける事になるかも知れないぞ」

「おお、それこそが我らが望み。こうなると賦もありがたい存在だなあ」

「はは、まったくまったく」

 反乱軍とされた者達の望みは偏にそれであった。つまりは漢嵩の下で働きたい、漢嵩をこそ己が頭上に冠

したいと。

 大規模な一揆を起こしたとは言え、彼らの望みは切迫した家計の事情などではなく、もっと純粋でそれだ

けに始末に終えないものであったのだ。だからこそ玄の善政も何するものぞ、と反旗を翻しているのだろう

し、漢嵩以外には頭を垂れる事も無いだろう。

 どちらにしても、絶対敵国である賦をありがたがるとは、まったくもって皮肉としか言い様が無い。



 そんな中でも玄国討伐軍は順調に進軍していた。

 総兵力は二万と言う大軍である。それは先の遠征には劣るが最大動員兵力の半数近く、その数からも邑平

(オウヘイ)以下の兵士達の意気込みが伝わってきそうであった。

 古来一揆平定程度にこれほどの兵力を割いた例は無いと言えば、それだけこの反乱軍と言う名の一揆が大

規模であると言う事も解るだろう。いかに兵達の意気込みが大きいとは言え、それだけでは王はこれほどの

大軍を許しはしまい。それを許すのは必要があればこそである。

 何しろそれだけの大規模な軍を編成するとなれば、その労力やそれにかかる費用も尋常の物では無く、容

易く出せるものでは無かった。特に玄は新領土との確執もあって、その収入も微々たるものとなっていたの

だから。その上相次ぐ一揆となれば、これはもう財政は火の車とまではいかなくとも、それに近い状態であ

る事も間違いは無い。

 つまりは失敗は許されないと言う事だ。

 討伐軍を率いる邑平もそれはよく解っている。しかしだからこそのこの兵数である。万が一にも失敗する

事などは考えてもいない。反乱平定は当然として、後はどれだけ早くそれを為せるか、であった。

 賦の侵攻も怖い。彼としても賦に対する恐怖心は大きいのである。

「敵軍の兵数はどれほどか?」

 反乱軍とされた以上、ここではもはや民衆ではなく一軍として扱われている。

「は、二万近い民衆が流安に立て篭もっているとの報告です。ですが年寄り子供等を除いた実戦闘員はおそ

らくは一万もおりますまい」

 側に控える近衛が邑平に答える。彼らは近衛兵と言っても戦時中は主に諜報や伝令を担当する兵である。

勿論将を守る為にも戦うのだが、邑平はあまり自ら無理を買って出る将ではないから、撤退時でも無ければ

それほど戦う機会は無いだろう。

 これが漢嵩(カンスウ)や楓仁(フウジン)であれば、逆に真っ先に戦う破目になるであろうが。

「しかし一万もなかなかの軍勢である。ようもそれだけ集まったものだ。あの日和見主義の双国残党が何を

今更やっきになっておるのか」

 邑平はどうやら個人的にも新領土の民が嫌いであるらしい。その口調にも毒気があり、自然物言いまでき

つくなっていた。

「まあ、どのみち烏合の衆よ。民風情が我等玄の誇る騎馬兵団に敵うはずがないのだ」

「しかし将軍、その中には虎が三千程もおるとの事でありますし。長引けば周辺から援軍が送られてくるや

も知れませぬ。ゆめ、油断なさらぬ方がよろしいかと存じまする」

「うむ、しかし野外決戦となれば尚更好都合であろう。だが、その言は心に止めておくとする」

 邑平も洒落や粋狂で竜将軍にまでなった訳では無い。その武勇、統率力、軍からの信頼などを考えても、

紛れも無く玄で一二を争う漢であろう。であるから、一近衛程度が考える事などは彼も重々承知していた。

 流安の実兵力は一万程度にすぎないだろうが、その周辺にも反乱兵は点在しており、それ以外にも潜在兵

力とでも言える者達もいる事だろう。それらが一丸となってこられれば、こちらもそう楽に鎮圧は出来まい。

 現に流安に居た守備兵などはとうに敗れ去っているのだ。

 玄は流安にも勿論兵を駐屯させていた。自らの領土になったとは言え、それで安心して守備兵もおかない

程、この国も愚かではない。

 その兵数は三千程であり、平時であればそれで充分であったはずなのだが。折り悪くこう言う事態を招き、

一小都を反乱軍に占拠される破目になってしまったのであった。

 三千と言っても決して少なくは無い。それを考えても、反乱軍は決して弱くは無いだろう。

 邑平もその程度は理解している。

「だが、たかが軍属でも無い民衆程度に良いようにしてやられるとは、真に情けない事だ」

 しかし一揆などに蹂躙されると言う事態は彼の誇りを傷つけて余りある。決してあってはならない事で

あり、それは今後の玄の威信にも関わる重要事であろう。

 であるからそれを払拭する為にも、反乱を早々に鎮圧しなければならないのだ。

 そしてそれは何も困難な事では無い。何しろこちらは正規兵団赤竜二万である。その程度の反乱などすぐ

に治められると、邑平は何処か高を括ってもいたのであった。 




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