7-6.反乱兵、血海に沈む


 玄の反乱勃発より早半月が経とうとしていた。

 流石に反乱軍も連日の激戦で疲弊しきり、その統率にもやや乱れが生じ初め、反乱討伐軍に徐々に有利

な展開を灯しつつある。

 だがしかし、討伐軍大将である邑平(オウヘイ)の顔は一層陰鬱なものへと変わってしまっていた。最

早出陣当初の余裕などは微塵も無く、ただただ己の浅はかさを悔いているようですらある。

「この竜将軍ともあろう者が何と言う不手際を・・・・」

 そう、すでに半月。時間が経ち過ぎてしまったのである。当然兵の間にも不満の色が隠せ得ない。彼ら

にしてみればこうも苦戦を強いられ、しかもこうまで時間がかかったのは、当然大将である邑平の不手際

だとそう思っている事であろう。

 そしてそれもまた事実であるには違いない。

 この半月の戦でそろそろ用意していた糧食も底が尽きつつある。容易く鎮圧出来る自信があり、軍部の

誰もそれを疑わなかった為に、入念な準備を怠ったせいだ。今にしてそれも悔やまれるが、最早後の祭り、

今更嘆いてもどうしようも無い。

 すでに引き返す余力は無く、もって後二日が良い所であろうか。幸いにも未だ賦に大きな動きが無いが、

それもいつまでも期待している訳にはいくまい。そして静かだけに賦の動向が不気味ですらあった。

 これは一個の武人の沽券に関わるだけではない。国の存亡の危機である。賦の侵攻とあればこのような

反乱程度では終わらず、ともすれば万民の死すら覚悟する必要があるだろう。

 一人の玄国民としてそれをほうっておく訳にいかない。彼にも充分過ぎる程の愛国心があった。

「疾く疾く鎮圧せねばなるまい。こうなった以上は最早遠慮はいらぬ。犠牲などに構ってもいられぬ。我

が玄の力を示し、そして全てを安寧に戻すのだ」

 邑平はいよいよ決意を固めた。今までは文官や王の立場も考慮し、それに反乱軍とは言え、不本意では

あれ、紛れも無く彼らも玄の民である。それを討つとなれば邑兵にしても多少の遠慮はあった。

 だが最早そのような事を考えている余地は無い。一刻も早く、平定などと言う生易しい物ではなく、奴

らを殲滅してやらねばならない。後日の漢嵩(カンスウ)、北守が何するものぞ。

「後の憂慮などをしておる場合ではあるまい。今やらねば、今玄が滅びてしまう!」

 後悔が今はもう責任にまでなって邑平を自ら苛んでいた。それは強ち彼一人の妄想とも言えないだけに、

尚更始末におえないものがある。

 少なくとも今賦に攻め寄せられ、大打撃を与えられようものならば、それは紛れも無く彼の責となる事

は疑いようもなかったからである。 

 今となれば奏尽(ソウジン)達の言を聞き入れず、強引に事を起こした自分が悔やまれてならない。

 あの時、例え多少屈する事になろうとも、例え煮え湯を飲まされる事になろうとも、初めから懐柔策を

取り。反乱軍と交渉を進めて政治的に解決すべき問題であったと、今まさに思い知らされていた。

 だが物事が大抵はそうであるように、彼が気づいた時には時すでに遅く、ましてや降伏勧告などが受け

入れられるはずも無い。しかし今更和平交渉などはそれ以上に論外であろう。勝つか負けるか、今となっ

てはそれのみが落ち着く先であったに違いない。

 となれば道は一つしかなかった。両軍とも犠牲は多く、敵どころか味方すら半端な終結に満足しない今

となっては、徹底的に滅ぼし尽くすのみ。

「皆の者、奮え奮え!!今日を持ってこのくだらぬ戦を終える。我が全軍を持って反乱軍を叩きのめすの

だ。この気高き赤竜の旗の下に、死力を尽くせい!!」

 邑平はそう全軍に下知すると自らも珍しく先陣に立ち、最前線にて指揮を執り始めた。

 自ら前線に立つなどは彼の性には合わないが、ここここに至ってはそうも言っていられない。兵の信を

失いつつある今、もう一度士気を奮わせるにはこうするしか無かったのだ。

 竜将軍、玄の正規兵の総帥と言う意地も誇りも関係なく、ただ一個の武人としての邑平の姿がそこには

あった。そしてそれこそが竜将軍にまで立身させた本来の彼の姿であり、その姿には兵共も心底を揺さぶ

られずにはいられなかった。

 討伐軍はその死力を尽して、流安(リュウアン)を殲滅する事を決意したのである。

 

 討伐軍の攻撃は苛烈を極めた。

 それは正に殲滅戦であり、一切の呵責も遠慮も無く、ただただ抹殺する事のみを将は考え。兵卒にも最

早躊躇が無く、ただ憎しみややるせない鬱憤を全て叩き付けるかのような攻めを見せていた。

 火の吹くように攻められた流安は流石に無事ではいられず、徐々に敗勢の気配が濃厚になりつつある。

 特に文字通りの火攻めに難苦させられた。討伐軍は貴重な油まで惜しみなく使い、火矢に火樽など様々

な火器を使い始めたのだ。それはそこにある全てを焼き滅ぼさん勢いであり、そこに篭る反乱軍のみなら

ず、その一小都すらを全焼させようとでもするかのようで、最早狂気とすら言えた。

 これには反乱兵もたまらず。消火作業をする暇も無いくらいに火の勢いも留まる所を知らず。家屋や人

が次々とその炎に蹂躙され、その存在をこの世から消し去られていく姿を呆然と眺めるしかなかった。

 その恐怖は想像に難くなく、反乱軍もただの烏合の衆へと戻り、泣き叫び狂乱の姿が流安内を覆い尽く

したのであった。すでにあれほどあった統率力も欠片すら無く、虎以外の者は理性すら保てていない。保

てるはずも無い。

 ただただ吠え、ただただ泣き、出口を求めて数多を彷徨うのみ。その間も途切れる事無く、火矢の雨が

降り続ける。更には門を突き破らんとする討伐軍の雄々しくも恐ろしい叫び声が絶えず耳を切り裂き、衆

乱ここに極まれりと言う態であった。

「もはやこれまでだな」

 焼き落ちていく家屋の群れを眺めながら、項弦(コウゲン)は一人呟いた。彼の隊だけはこんな時であ

っても、全ては他人事とまったく冷静さを欠いているように見えない。

 むしろ予想していた事が、予想していた通りに起こったと。そんな風に思っているようにすら見えた。

「隊長、そろそろ引きましょうぜ。いよいよここも危なくなって来ました」

 彼らの居る兵舎とでも言える建物にも火は燃え移り、項弦の顔も火明りに赤く照り返っている。いや、

そこのみならず、もうこの流安で火を見ない所は無かったろう。

 まるで火が民であるかの如く、今は炎だけがこの一個の都市の主人となっていたのだ。

 おそらくは後数日もすれば、この流安は灰と瓦礫の塊となって、無残に野にその姿を晒す事になるだろう。

「そうだな、すでに事は成った。ここまですればむしろ本望と言うものだろうさ」

 しかしその言葉とは裏腹に、項弦の顔は詰まらなそうにその炎を見ていた。そして飽きもせず泣き叫ぶ

民衆共の声が絶えずその耳を覆うのを、気にも留める様子も無い。

「この民も良くやってくれた。後日の礎となるとあらば、こいつらも本望だろうな。せいぜいその時の為

にも今は泣き叫んでくれる事だ。その声が漢嵩にまで届くように・・」

 こちらに助けでも求めているのだろうか。項弦に向かって何やら必死に叫んでいる者達の姿が彼の目に

映った。もはやその声もこの火勢で聞き取れないが、例え聞こえていても彼は同じ事をしただろう。

 項弦はその哀れな者達を気にかけるでも無く、なぞるように一瞥すると。

「よし、引き上げ時だ。金目の物、使える物があればいつものようにいただいておけ。ここにはそんなも

のはもう必要無かろう。だが急げよ、もうすぐ玄の狂い兵どもがやってくる。一時たりとも奴らには関わ

るな」

 虎長の言葉に項虎達は歓声を上げて、気ままに行動し始める。

 火事場泥棒、その言葉がぴったりだがそれこそが彼らの至上の楽しみの一つなのである。金に女、無数

の欲を掻き立てる物がそこかしこに当たり前のように捨ててあるのだ。これが歓喜と言わずして、何と呼

べば良いと言うのか。

 ここの所の英雄の有能な配下役にも飽き飽きしていたのだろう。玄の狂兵に先立って、獣のように略奪

を始めたのだった。

 哀れなのはその犠牲となった者達。この火勢に全てを焼かれ、そしてまた頼む方として信頼していた項

虎達にまでそのような目に合わされ、先ほどとは別の意味に民衆達は泣き叫ぶしかなかった。まともにや

って虎に勝てるはずも無く、彼らの好き放題に蹂躙されるしかない。

 どうせ何にしても民衆達はここで死ぬしか無いのだ。例え火から逃れられたとしても、後に待っている

のは怒りに狂う討伐軍である。反乱兵の命運はここで蜂起した時に、すでに決まっていたのだろう。

 それから燃え盛る火の海の中を、民衆の悲鳴だけがいつ果てる事もなく木霊していた。

 こうして流安は全てが灰となるまで数日に渡り燃え続けた。無残を通り越して哀れとしか言い用が無い。

 しかし当然ながら討伐軍にも多大な被害が出たのである。虎は項虎だけでは無かったし、それに民の中

にも当然ながら性根の座った者達も居たのである。

 彼らも死を覚悟し、背水ならぬ背火の陣をとって果敢に討伐軍を攻め立てた。

 その結果、前線指揮をとっていた邑平に深手を負わせると言う所まで行ったが、それも一時の高揚で、

暫く後には全員が屍へと変わってしまっていた。しかしその戦果を思えば、彼らも少しは満足に死んでい

ったに違いない。戦いの中で果てる事は、大陸人にとっては一倍名誉欲を満たされる事でもある。

 誰しもが碧嶺(ヘキレイ)のように華々しく戦いたいと言う気持ちが心底にはあるのだから。

 そして邑平もその後を追うように、いや彼らに冥府へと引き擦り込まれるかのように、あっけなくもそ

の生涯を終えたのだった。戦時に受けた傷はやはり深かったようである。

 そうして討伐軍の行き過ぎた行為と邑平の死は玄のみならず、全土を震撼させ。混迷のままに流安陥落、

邑平の死から更に一週の時が過ぎた。




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