7-7.困惑の大地果てなき事


 玄国は依然混乱に満ちている。

 邑平の死により兵達は憤ったのだが、それ以上に衝撃が大き過ぎ、未だ誰もが呆然としている様子であ

った。その怒りをどうして良いのか解らないのであろう。

 そして何よりも軍の総帥たる邑平(オウヘイ)を失った事は、玄軍の総指揮官を失った事でもあり。そ

れは大規模な討伐軍の編成なども不可能になった事を意味する。何しろ現在玄国には大軍を御しえる将軍

は彼以外にはいないのだ。

 勿論玄の国にも彼以外に上将軍、次将軍の二将軍が未だ健在であり、他国からの防衛に励んでいる。が

しかし、彼らも無能ではないが、大軍を御す統率力では邑平には未だ遠く及ばない。及ばないどころか、

今まで軍関係は邑平に任せ切りであったため、急にその頭脳たる邑平を失い、情けない話しだが将軍であ

る彼らまでもが、これからどうして良いか解らないのである。

 反乱軍の一大拠点である流安(リュウアン)は陥落させたものの、反乱の芽は未だ新領土全土から失わ

れた訳では無く。今もそこかしこで小さな反乱が勃発している。反乱も収まるどころか、流安の焼き討ち

で彼らの怒りを更に増大させ、反乱心を益々掻き立てているように思えた。

 大規模な討伐軍を編成出来ない今、各地の守備兵を増員する程度しか為す術も無く。反乱兵にこの混乱

に乗じて、各地への街道とそれに通じる拠点を封鎖され、補給線まで絶たれてしまっている。言って見れ

ば、反乱軍に新領土一帯を制圧されていると言っても良い状況だ。

 とにかく早急に対策を練り、そして更に火急に軍部の統一を図る必要があった。邑平の死を悼んでいる

場合では無かったのである。

 その為には軍の総帥たる竜将軍の任命が必要であろうが。しかしこの実力主義の大陸では、竜将軍がい

なくなりましたから、では上将軍を繰り上げましょうなどと、そう簡単にはいかない。そして彼ら将軍達

にはその器量が無い事は本人達も良く知っている。例え任命しても彼ら自身が辞退するだろう。

「しかたあるまい・・・」

 そこで玄王玄宋(ゲンソウ)は一時的に王自ら軍を率いる事にしたのだった。つまりは軍を王の直轄軍

にしたのである。邑平亡き今、軍を統率出来るのは彼以外には無く、不本意ではあったが一時しのぎでも

そうするしか無かった。

 だが王たる彼が易々と王都を離れる訳にはいかず、反乱鎮圧も遅々として進まない。取り合えず軍部の

混乱は収まり、指揮系統の確保は出来たものの、早急に根本的な解決策を練る必要があった。

「どうすれば良いのか・・・・」

 何と言っても人がいない。有能な将兵もいるにはいるが、しかし誰も大軍を率いた事が無く、そんな経

験不足な者を竜将軍になど出来るはずも無い。人がいない事だけは、如何ともし難いものがある。策や政

治と違って、物理的な問題だからだ。

 そう、今の玄に総大将として即戦力となれそうなのは、王たる自分自身だけであったのだ。

「こうとなれば、私がやるしか手はないようだ・・」

 そして玄宋は決断を下した。王を退位して、自ら一将軍として戦場に立つ事を。

 幸いにも彼の息子はそろそろ30に届こうと言う年齢である。分別も付き、まだまだ頼りないながらも、

参謀長達が補佐すれば充分にその役目を果たす事が出来るだろう。更に息子の玄高(ゲンコウ)は将兵や

国民に人望もあった。その性格、容姿ともに玄宋に良く似ているからだろう。

 やはり似ていると言う事は人の安心の材料ともなる。

 玄宋にとって、いや玄にとって唯一の安心面は世継ぎに問題がないと言う事にあったろう。であるから

こそ、今回のような離れ業も可能となったのだ。

 この大陸では王とは言え必ずしも世襲制であるとは限らず、王に相応しくないとなればその座に就く事

は適わないが。しかしその器量がある、もしくは王への恩義などを感じて国民と将兵が反対しなければ、

やはり王の血筋が優先される事となる。この大陸でも英雄賢者の血筋はやはり敬意が払われるのだ。

 一つには、そうしなければ世継ぎ争いなど無用な戦乱を招く結果になる、と言う現実的な理由もある。

そう言う事からも、王の世襲に関しては多少甘くなる部分も止むを得ないのであった。

「我が子、玄高に王座を譲り。私は大将軍に就き、軍部を統括する。皆の者、異存はないか」

 王の突然の退位に皆驚きを隠せなかったが、しかし現状を考えればそれに反対の声の出るはずも無かっ

た。そしてここに長年空位であった赤竜の大将軍が誕生したのである。

 心なしか王の重みから解放され、一人の将に戻った玄宋の顔は、傍目にも何処か晴れやかに見えたよう

であった。

 しかしこうした事も前例が無いではないが、周囲を驚かすに充分に足りる事件であったに違いない。



 玄がようやく沈静の兆しを見せ始めた頃、それに反するように北守の民は次々と流安近郊の風聞が届く

につれ、勢い良く沸騰し始めていた。

 玄と北守に分かれたとはいえ、元双国の同じ民であった事に違いはない。今は国を分かれたが、その情

は未だ深くお互いを結び付けている。

 そして以前からの玄への不満もあり、北守に伝わる風聞と言うのは当然玄をより悪く解釈したものにな

る。その効果もあってか、今では国としても捨てておけない程にまで、民衆の声は猛々しいものになって

しまっていた。

 いかに反乱を起こしたとは言え、それを無慈悲に武力でねじ伏せ、しかも火攻めにして女子供まで容赦

無く焼き殺してしまうとは何事であろうか。そんな非道はいくら戦乱の世と言っても許される事では無い。

遥かな太古でならともかくも、今は碧嶺(ヘキレイ)から継承された不文律と言うものも存在する。

 例えそれが無くても、人には人道と言うものがあるだろう。一都市を包囲して攻撃し、そしてその始末

に困ったからと言って焼いてしまおうなどと、およそ人間の考える事では無かった。

 確かに玄に同情を感じ得ない部分もある。すでに邑平の死も伝わっており、それに対する哀しみの気持

ちも充分に察する事も出来た。

 だがそれを差し引いても、この世にはやって良い事と悪い事がある。それにそれが行われたのは、邑平

生存時の事でもある。

 大戦後からの不安定な内情を考え、例え同情する余地あれと雖も、これをこのまま放って置くわけには

いくまい。それは北守の民が許さず、それ以前に漢嵩(カンスウ)の侠気が許さない。

 そしてそれに対しての玄の言い分を問うべく使者を送れば、今はこちらも混乱にあると、玄国はまとも

に取り扱おうともしなかったのである。流石にこれを二度、三度と繰り返されれば、漢嵩の我慢にも限度

と言うものがあった。

 この時、確かに玄には混乱の極みにあり、そしてそれを漢嵩自身も良くわかっているはずであったのに。

彼の怒りと民衆の声がそれを理性的に判断する事を良しとさせなかったのだろう。

「こうなれば武を持って示すしかない。双政権打倒の功労者と雖も、民衆から望まれぬ者にそれを統治す

る資格は無く。そしてこのような非道をこれ以上繰り返させる訳にはいかぬ。我等の手でかの地を解放す

るのだ」

 漢嵩の下知に数万の兵は尽く応え、漢嵩自らが三万もの大軍を率いて玄方面に陣を形成し始めるまでに、

それほど時間はかからなかった。



 北守、玄ともに、現在の最大動員兵力は五万から六万と言われている。がしかし、玄の新領土の兵力が

反乱兵鎮圧に忙しい現在、その均衡は大きく崩れてしまっていると言って良い。

 それに玄は反乱によっても少なからず被害を受けている。それを考えれば、例え元王である玄宋が率い

たとしても、三万は動員出来まい。政情と現状を照らし合わせれば、せいぜい二万が良い所であろう。そ

こから対賦への守備兵を裂けば、更に兵数は減らさざるを得ない。

 勝敗の行方は明白であり、将の能力としてもやはり漢嵩に一日の長がある以上、万に一つの可能性も無

いと言える。玄宋も王となる前は名立たる将であったのだが、その感も長年の王政で戦場へ出て居ないた

めに、多少曇ってしまっていると考えれば勝負になるまい。

 北守と玄が今戦えば、玄はおそらく崩壊の危機に陥り、そしてそこを賦に突かれ、不本意ながらも双の

ように呆気なく滅びてしまうに違いなかった。賦か北守か、どちらに制圧されるかは予測不能だが。玄の

滅亡は最早逃れられまい。

 そして漢嵩自らが率いている事から考えても、北守の意志もまた明白である。

 反乱者を全て許し、その領土も北守に渡せと言うのだろう。しかしそんな事を認めてしまえば、最早玄

の国としての威信は消滅したに等しい。漢嵩が存在する限り、もう二度と彼に逆らう事は出来ず、未来永

劫の不名誉が歴史に残る。

 玄宋も北守に屈する事以外に国を保つ術が無い事も解ってはいたが、どうしてもそれを行う事が出来な

いでいた。玄国民全員が生涯を漢嵩に屈するよりは、いっそここで潔く・・・と、そんな思いすら脳

裏に過ぎる・・・。

 しかし漢嵩は以前の対双国戦で玄への不信感を持っているのだから、開戦となれば一切の呵責もしない

であろう事も容易に察せられた。抵抗する限り、今の漢嵩と北守軍は例え女子供相手でも容赦しまい。

「正に万事休す・・・」

 王位を息子に譲ったとは言え、まだ実際の権力は玄宋にある。

 そして今暫くは彼が政務も担当しなければならないだろう。息子の玄高も器量はあるが、まだまだ王と

しての経験が不足している。このような大きな事態であれば、自然玄宋が自ら一切を執り行うしか無かった。

 玄宋の決断で全てが決まるのである。国民全て皆殺しか、それとも未来永劫の不名誉を選ぶか。このよ

うな悲惨な選択もそうあるものでは無く。玄宋も逃げ出したい衝動が絶えず蠢動する心を感じていた。

 国の建前として、玄宋も自ら一万五千の兵を率いて、防衛の構えを見せているが。勿論戦う気は微塵も

無い。戦えば必ず負ける。

「最早、壬に頼むしかあるまい」

 戦いたくなければ、誰かに仲裁を頼むしか無く。それならば元北守を属国としていた壬に頼む以外には

無かった。

 そして早速玄高にそう指示を出し、玄高もその命に反する訳も無く、壬へと使者を立てたのだった。

 玄だけでは万事休す。それならば多少膝を屈しても他国の助けを借りるしかなかったのである。どの道

屈するしかないのならば、少しでも頭を高くしていられる方が良い。




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