7-9.薄明かりの絆


 壬国外交使団は出来うる限り急ぎ、漢嵩(カンスウ)の下へと向った。如何に面会の許可を貰っている

とは言え、それで安心してゆるゆると行こうものならば、それは待っている相手に対して非常に礼を失す

る事になるからだ。

 そもそも礼儀作法と言うものは相手に対しての心遣いと敬意を現す法だとすれば、今自分が相手に対し

てどうすれば礼に適うのかは自ずから解る。

 もしその程度すら解らないとすれば、その程度の人物と見られ、特に外交などでは非常に不利な事にな

るだろう。

 意外にも礼儀作法とは自らの為にすると言う意味合いも強い。誤解している者も世間には多いのだが、

他者を尊ぶ事が自らを尊ぶ道でもあるのだ。

 であるからして、この場合も外交使団は急がざるを得ない。今は急ぐ事のみが何より肝要であり、そう

する事が主命達成に大きく作用もするだろう。今回の外交策は困難以上の何者でも無い事は誰の目にも明

白であり、その責も重く、交渉前から失態を犯す訳にはいかない。

 この外交で或いは数万の命が助かるか助からないか、そこまでの影響を及ぼす可能性すらあるのだ。戦

争調停、これほど困難で責の重い事は世の中広しと雖も、そうざらにはあるまい。

 漢嵩は今玄との国境付近にある小都市、静封(セイフウ)に居る。

 この小都は元々双国が西方面への侵攻拠点の一つとして設計した軍都であり、移動の便が良く、大軍を

擁する宿舎と武具、そして食料も常に完備されている。それは主が北守になってからも変わらず、玄への

防衛、侵攻拠点として使われていた。

 地理的にも交通の要所を抑える位置にあり、その意味での戦略的価値も高い。

 壬国外交使団は川船などのあらゆる交通手段を使いながら、一週間ほどかけてようやく静封へと辿り着

いた。そして休む暇無く漢嵩へ面会を申し込み、漢嵩は長旅でお疲れであるから謁見は明日にしようと返

答する。この辺りの応対は儀礼的なものである。

 流石に戦時などの場合を除けば、遠い所から疲れ果ててやって来た使者に対して、それほど無体な事を

する者はいない。よほどの田舎者でもそれくらいは心得ているだろう。

 ましてや相手はあの漢嵩である。彼はその辺の事も諸事心得ており、その夜、外交使団は大いに歓待さ

れた。

 勿論その歓待の意味の中には外交使団に司譜(シフ)上将が居ると言うのが大きい。漢嵩が面会に容易

く応じてくれたのも、司譜の力が大きいだろう。

 何しろ漢嵩は二度の投降を得てからは、以前よりも余計にそう言う恩義や礼節に過敏な程気を使うよう

になっている。少しでも彼の美意識を慰める為に違いないが、今はそれも壬に対して有利に働いていた。

 これならば上将軍自ら外交使になった甲斐もあったと言うものだ。

「やれやれ、ようやく辿り着いたか」

「ええ、疲れましたな。急ぎの旅は老骨に堪えます。歳は取りたくないものですな」

 司譜と季笥(キシ)は流石に疲労を隠せないらしく、顔色が少し優れないように見える。特に船に乗っ

たのが堪えたに違いない。壬国人は山国と言うその土地柄、船と言う物に乗る機会がほとんど無い。

「しかし司上将、結局は良案を思い付けませんでしたね」

「ええ、まったくもって情け無い事ですが・・・・。しかしこうなっては領土を半々に割るでもするしか

ありますまい。何をやっても多少の禍根を残すのは避けられないでありましょうし、それならば等分する

のが作法でしょう」

 二人が提案していようとしているのは、玄の新領土の半分を北守に明け渡すと言うものであった。現実

に考えれば、玄と北守の言い分をどちらも適えるような事が出来るはずも無く、そうなれば折衷案を出す

くらいしか方法は無いだろう。

 そうしてどちらも同じだけ我慢してくれと、そう頭を下げてお願いし。調停役が謙る事で少しでも両国

の尊厳を守る形で両者矛を収める。そう言う方法である。

 そんなものは一時凌ぎにしかならない事もまた明白であり。半分はお互いに不満を持つという事になる

事も二人は良く解っているのだが。しかし北守へ領土を多少なりとも譲らねば、おそらく玄の反乱は収ま

るまい。反乱兵達は何よりも漢嵩の統治を望み、そして何よりも玄の統治を嫌っているのだから。

「まったく頭の痛い事よ・・・・」

 考える度に司譜、季笥共に溜息が零れ落ちるのを避けられない。

 そんな所にひょっこり現れた青年がいる。三人目の外交使、蒼愁(ソウシュウ)であった。彼は上官二

人に珍しく意を決した顔で何事かを話し、そうしてその後三人で議論をした結果、やがてその蒼愁案は受

け入れられたのだった。

 しかし採用したものの、二人の上官の顔は何故か困惑気味であったと言う。



 漢嵩は天幕内に置かれた床机に座し、中天を見据えるように腕組みをして何事かを思案していた。

 今漢嵩は静封に居るのだが。しかしいつでも進軍するぞと玄に睨みを利かせるべく、市外に出、天幕を

張って布陣していた。一つには戦の覚悟を兵達に常に思わせる為でもあるだろう。そして自らにもそれを

覚悟させる為でもあったろう。

 つまりは北守は本気であると、それを内外に示しているのである。その為、漢嵩も天幕内にて寝起きを

し、そして雑務もこなしているのだ。

 そして今漢嵩の居る天幕内には他に彼の両翼を固めるように、大隊長二名と参謀長である央斉(オウサ

イ)が、漢嵩と同じように床机に座して思案顔をしている。

 しかしその顔は不安とか困惑と言うよりも、単純に驚いているようにも見える。そして喜んでもいるよ

うで、やはり何処か腑におちない、そんな複雑な表情を作り出しているようにも思えた。

 特に漢嵩がこのような不可解な顔をすると言うのは珍しい。

「央斉よ、一体どうすべきだと思うか」

 そして最も頼りにしている参謀長へと問いかけた。

「・・・・はい、これはどうしたものか。私としてもこんな不思議な交渉をしたのは初めてです・・」

 しかしその央斉でも流石にこれには容易くは答えられない様子である。彼がこうして漢嵩からの問いに

対して返答を窮するなどと言う事は、これもまた珍しい事であった。

 果たして彼らは何をこれほどに悩んでいるのか。

 それは今他の天幕に待たせている壬国外交使から齎された、北守に矛を収めさせる為の条件の事である

のだが。それがただの条件でなく、真に珍妙なものであったからである。

「しかしこんな事は古来聞いた事がありませんな」

 大隊長の一人も誰に言うとも無くそう呟く。平素漢嵩に伺いも無く、勝手に口を開くなどはしない男で

あるのだが。その彼にしてもいつもの自分を忘れる程に、一種衝撃的な事であったらしい。

 ではそれほどまで北守の陣営を困惑させた、外交使が齎した調停条件とはどういう物なのか。

 まず玄の新領土の支配権の全てを北守に委ね、漢嵩によって管理していただく。またその条件を用いて、

現在玄に起こっている反乱軍を収めてもらう。

 そして漢嵩のそれ以後の統治も認めるのだが。ただし、その新領土での収穫と税の九割は未来永劫玄に

納める事とする。

 簡略して記せばこう言う事であった。

 もっと単純に言うと、確かに北守の領地として認めるが、その代わりにそこからの全収益の九割を玄に

渡せ。つまりは領土を貸し与えるとでも説明した方が正確であるかも知れない。

 兵や領土を貸し与えると言う事も古来無かった訳では無いが、このような極端な例は無く。しかもその

先例も遥かな昔の事であって、まるで実感も無い。であるから北守側も困惑するしかなく、ともかくも考

える時間をもらって別の天幕へと移っているのであった。

 だが時間をもらってもそう簡単に答えが出る訳も無く、先程から皆同じ顔をして唸っているのである。

「しかし考えて見れば、確かに両国ともに言い分を保てる策でもあるか・・・」

 漢嵩が呟く。

 確かに乱暴ではあるが、しかし反乱を鎮める事も出来。また玄にとっても新領土は厄介な存在であるか

ら、この際領土の支配権は渡し、その中から得る利益の何割かを取った方が得であるとも言える。

「そうだ。それならば玄の新領土の民も安堵するに違い無い。皆の者、わしはこの条件を受け入れる事に

する。北守にとっても、おそらくは悪い話しではあるまい」

 領土は確かに北守のものとなるのだから、確かに悪い話しでは無かった。それに支配権さえ握っていれ

ば、後でどう言う手も打てるだろうし。例えば玄と戦争状態になっても、その領土の兵は北守兵として使

えるのである。

 玄に税を収めているようであまり良い気持はしないが。その気持ちさえ抑えれば、北守が無血で領土を

奪えると言う、むしろ有益なものであるとも考えられた。

 元々漢嵩はそこから得る利益が軍勢を率いて布陣している理由では無いから、玄に利益のみを渡す事に

はさほど抵抗は無い。しかもこれ以上血を流さないという事は、彼の美意識を納得させるにも充分であっ

た。まさに義挙と言える。

「なるほど、確かに我が国にとっても損はありますまい。しかし九割も渡すのは法外でありましょうな。

後はそこをどれだけ交渉出来るか・・・・」

「うむ、その辺は央斉、お主に任せる」

 決まってしまえば呆気ないもので、天幕内の全員が打って変わって晴れやかな顔となった。

 壬も初めから九割などと言う法外な値を付けたのは、強気に出てから徐々に値を下げて行く方が、単純

に交渉がしやすいと言う為であるに違い無い。となれば漢嵩の意向が決した以上、そのような物は付け足

しのようなものであり。今はそこは保留として、後に玄と交渉してゆるりと決めれば良い。

 北守はそうして壬の申し入れを受け入れ、即座に兵を引き返した。

 それから何度かの交渉の末、玄国にその領土の利益の六割を与える事で停戦交渉は結ばれた。

 北守の民も新領土の民もそのくらいならば納得し、玄の民も政情が政情だけに今は戦が終る事を何より

も喜ぶはずである。

 ただ、それによって両国間の悪感情が消えた訳では、決して無いのであったが・・・。

 北守と玄の間に穿たれた溝は、浅くなる事は無いとさえ思われた。

 大陸の混迷は更に増す事になるだろう。 


                               第七章   了  




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