8-1.計算内の予想外


 北守と壬まで巻き込んだ玄の騒乱は、一応の終結を迎えた。

 その報は例によって瞬く間に大陸全土へ広がり、ここ凱の首都、偉世(イセイ)にもすでに届いている。

この辺の諜報活動にはどの国も余念は無い。

 凱の現国王である凱禅(ガイゼン)は、壬の持ち出した、その言わば借用策には流石に驚きを隠せなか

ったのだが。しかし最終的には彼の思惑にまったく反した結果に終った訳では無い為、まずまずその報に

満足をした。

 例えこの政策が面白いものであり、真に珍しき策であったとしても。その驚きがかえって人を採用に駆

り立てたのだとしても。それはやはり一時凌ぎであるに過ぎず、玄が北守に領土を奪われたと言う事実は

変わり無いのである。

 今は良いが。その内、玄には北守へ領土を明け渡したと言う不満が。北守には何故に玄へ税の六割も渡

さねばならないのかと。そう言う二種の不安がそれぞれ満ち溢れる事は明白である。

 それを解っていてその策が採用されたのは、単純にその場だけを収めさせる工夫であったからだ。

 おそらくどの国の首脳部もそれに気付いているだろう。だがそれ以外の方法も無く、何をやっても遅か

れ早かれ結果は同じ。しかしその策は多少の効果があった事も否めない。

 遅かれ早かれでも、遅い方が良いには違い無いのだから。

「それにしても面白い事を考えるものよ・・」

 そして凱禅をもそう思わせる一種の魅力があった。

 面白さと言うのもまた、人を動かす一大理由の一つであるには違いない。特にこのような突拍子も無い

策が使われるのは、そしてそれが割合正常に働くのには、人にそう言う感情があるからだともこの男は思

っている。

 それにそこまで唖然とさせられれば、この自意識が強い男にさえも爽快感に似たものを抱かせてしまう。

だから珍しく素直に人を褒めるような呟きを、迂闊にも漏らしてしまったのだろう。

 他国が凱を一切信じていないように、この凱禅もまた、他国に対して一切の友誼を持っておらず。また

それを持とうとも思った事が無い。

 その点、この男は賦族にも似ているのかも知れず。そう言う男が他国人を褒める、認めると言う事態は

通常ありえないのだから。それは迂闊であり、不覚でもあったろう。

 だが不思議とそれも悪く無い。凱禅はそうも思っていた。

「だが蒼愁なる男は、一体どう言う男なのだ」

 現在彼の離間策はほぼ成功している為心配は無く、興味はむしろその事にあった。

 蒼愁(ソウシュウ)、おそらくはこの面白い政策を打ち出した男。

 凱禅が見るに、外交使として派遣された三名の内、司譜(シフ)にも季笥(キシ)にもこのような策を

打ち出す才は無い。この老齢の男達には熟練の技と知恵があるが、しかしこのような前例が皆無に等しい

事を生み出す力はすでに無い。

 つまりは彼らは長年の生によって、無数の秩序や法令、そして思考法などあらゆる物を吸収した代償と

して、新たな考えを生み出す想像力と言うものを、大部分削いでしまっている。

 おそらく役職や使命を与えれば、彼ら以上に役立つ者はいないであろうが。その想像力と言う一点にお

いて、その彼らでもこの蒼愁と言う男には劣るであろう。

 不覚にも、この凱禅すら或いは劣るのかも知れない。いや、今は彼よりも衰えていると言うべきか。

 そしてこの蒼愁と言う男は想像力だけでなく、その才も尋常では無いと思われる。それは彼がこの難解

で重要な調停役の一人として選ばれた事でも解ると言うものだ。おそらく壬国内での評価も高いのだろう。

 しかし、凱禅は今まで蒼愁などと言う名はついぞ聞いた事が無い。僅かに先の大戦で、後方支援に功の

あった者としてその名を聞いた事があるような、そのような気がする程度であった。

「しかも蒼などと言う名も、今まで聞いた事が無い。まさか始祖六家でもあるまいが・・・」

 始祖六家。この大陸に住む者の祖先であり、最初にこの大陸に立った者達の事である。彼らはその尊貴

さを生み出す為か、血の尊さを守る為なのか。その全ての大陸人の祖となる家名を、宗家唯一家にだけ名

乗る事を許した。

 その為にこの六つの姓を名乗るのは、この大陸広しと雖も、それぞれに一つの家だけなのである。

 この六家で最も現在有名なのは、かの双家であろうか。

 だが勿論この大陸で最も尊貴な血統である、この六家の中には蒼と言う名前は無い。おそらく同じ音で

ある双家から分派したものだろう。

 始祖六家の分家となった氏族は別姓を強いられる訳だが、それでもまったく別個の姓を名乗った訳で無

く。宗家の姓に準じた姓を付けた。例えばこの双の分家として、両と言うのもある。

「一度調べて見る価値はあるかも知れぬ」

 この歴代凱王の中でも最もと言える策謀好きは、自らの知らぬ物がある事はどうにも許せぬ性質であっ

た。無知、その言葉を最も嫌う。だからその知的探究心を満たすだけでも調べる価値はあるだろう。

「だが・・・・、どうも蒼と言う名、何処かで聞いた覚えがあるような気もする・・」

 凱禅はそのままいつもの如く、一人思考に熱中した。



 賦の首都である牙深(ガシン)も諜報部隊からの報告を受けるにつれ、将兵達に様々な感情が広がって

いた。

 その中には、今こそ玄を討つべし、の声が最も高い。現に以前の賦国ならば真っ先に侵攻していただろ

う。混迷の真っ只中にある今、賦が全面攻勢をかければ、玄一国を滅ぼすのは出来ない事では無い。勿論

それによる賦への被害もまた、尋常では無いだろうが。

 しかしそんな犠牲を気にする事は賦族にとって非常な不徳であり、現に誰も犠牲になる事を恐れる者は

いなかった。そう言う点での心の強さ(或いは直情さ)は、他国人を遥かに凌駕している。いつでも信念

の為、そして賦の為に、躊躇無く命を捨てる事が出来る。その善し悪しは別にして、兵としてはこれほど

強い存在は他にはあるまい。

 だからこそ、軍部の中には一向に戦を始めない事への不満も満ち始めていた。

 そしてその不満は王では無く、一人の男に向けられている。

 その名は趙戒(チョウカイ)。あの趙深(チョウシン)の末裔であり、その名を今に受け継ぐ者である。

 である為に、流石に表立って彼を糾弾するような事は無いが。しかし明らかに彼は賦族から不満を抱か

れている。不満を抱かれている所かいっそ、嫌われ者である、と言っても良いかも知れない。

 何故ならば、現在賦が策を用いるようになっているのは彼が居る為であり。その策と言う物を、本来賦

族は嫌う。彼らは裏表無しの正々堂々の正面突破こそ何よりも尊いとし、また美としている。そんな彼ら

からすれば、陰鬱極まりない策謀などは嫌悪の極致なのであった。

 更には一時とは言え、憎悪の対象である他国人と協力するなどは、賦族にとって何よりも耐えられない

事だったろう。

 しかし趙深より受けた恩に敬意を表し、一応はこの趙戒と言う策士には皆敬意を払っている。

 だがそれも限度と言うものがあろう。よりにもよって、戦乱調停直後と言うこの千載一遇の好機を逃す

とは何事であろうか。

 勿論趙戒にも言い分はある。彼とすれば、まだまだ四国家の弱らせ方が足りないのであり、言って見れ

ばこれからが本番なのだ。

 壬のおかげで玄と北守は開戦まではいかずに済んだものの、その傷跡は未だ深くその両国を抉っている。

国家間にも傷を残し、微妙なる敵対感情を両国民に残すだろう。その感情は或いは壬国まで恨む事になる

可能性まであった。

 そうである以上、趙戒の離間策はまずまず成功であると言え。今後その不快感情を煽って、更にその国

家間に出来た溝を深くする事も容易いに違い無い。

「だが、趙戒よ。このままでは兵達の感情を抑える事は出来ぬぞ。如何に王である私が何を言おうと、そ

れにも限度と言うものがある。それに私も今こそが好機だと思っておる。今攻めねば玄もまた盛り返して

来るに違い無く。玄宋自らが軍を率いるとなれば、全国民が奮って立ち上がるに違いない」

 趙戒の唯一とも言える擁護者である、現賦王、賦正(フセイ)もその点が不満でもあった。先の望岱(ボ

ウダイ)の一件と言い、何故にわざわざ好機を逃すような事をするのか。そして何故に同族を敢えて不快

にさせるような手を取るのか。

 確かに彼の言い分も解る。極限まで敵国を疲弊させ、その間こちらは富国強兵に勤め、強大をもって弱

を砕く。それもまた兵略の王道であるには違いない。

 しかしである。策、策と言ってもそれは万能のモノでは決して無く。策士、策に溺れる、と言う言葉も

あるように、諸刃の刃となる要素も常に含んでいるのである。

 更には賦族の感情も考慮せねばならない。どうも賦正から見れば、この趙戒と言う男は理想論に走り過

ぎる気配があるように感じ、その事が心配でもあるのだ。趙戒に言わせれば、他人の感情などを考えるの

はそれこそ愚考だと、そう言いきるのだろうが。

「いえ、賦正様。確かに今が玄を攻める好機かも知れません。ですが如何に仲違いしようとも、他の四国

家は我が国に対してのみ、奇妙な程親密な協力関係を築いてしまいます。それが弱国の真理と言うべきも

のであり、弱者が生き残る為の知恵であるのです。ですから、今悪戯に進軍しても、かえって玄の統一性

を増し、そして国家間の絆をも強める事にもなりかねません。玄のみを屠るのであれば、それでも良いで

しょう。しかしこの大陸を賦族の手にするのであれば、そのような短慮はお捨て下さい」

 予想通り趙戒は自信に満ちた顔で、そう反論した。彼には賦育ちらしく、意固地なとこもある。おそ

らく何を言っても聞きはすまい。それに賦正にしても論を述べれば、とてもの事、この男には敵わない。

 そしてその弁舌もまた、彼を将兵から遠ざける事となっているのだろう。賦族にとって、理想とは碧嶺

(ヘキレイ)であり。その偉大なる才の中でも、最もその武人としての面を愛している。

 武人としての碧嶺は寡黙でもあり、またその軍勢も静動する事を尊んだと言う。その慣習を引き継ぎ、

賦族も多弁である事は潔しとせず、不快としているのだ。しかも趙戒の論は鋭過ぎた。必要以上に他者の

名誉心を傷付ける。

 しかしこの趙戒と言う男はそれを充分知っていて、知っている上でその態度を改めようとはしない。お

そらくは彼には彼なりの正道があり、信じる所があるのだろう。だがそれを過信するあまり、他の者を認

めまいとすれば、それは他者から異端とされても仕方が無い。

「今は待つのです。逸る将兵を抑え、そしてその時の為に静観する。それこそが賦が覇権を執る唯一の道

なのです」

「解った。私も尽力しよう」

 だが賦正のみは趙戒を最後まで弁護し、見守ってやらなければならない。そして彼の言う事にも確か

に一理はあるのである。

 そして賦正は自らこの手に余る男へ手本を示すように、後は無言で趙戒の語る政略、戦略を聞いていた

のだった。勿論、それをしても何が変わる訳でも無かっただろうが。




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