8-2.賦の武聖


 ここで賦の大将軍について話しをしなければならない。

 賦の軍組織は碧嶺のものを受け継いでいる為、他国のように竜将軍がおらず、常時大将軍が任命される。

 大将軍とは王から軍部のほぼ全権を委任され、実質的な軍の総督であり。政部を一手に担う宰相と並ん

で最高位の一つであるが、軍を掌握している事を考えればこちらの方がより影響力があるとも言える。つ

まりは大将軍こそ官の最高位と思ってもらっても構わない。

 その権威は小王とも言える候よりも尚高い。

 故に大将軍は時に王を遥かに凌ぐ勢威をも誇る。それを恐れ、今は賦以外の国は竜将軍と言う新規の官

位を最高位とし。大将軍を任命する事は非常時に一時的にするくらいしか行われていない。

 大将軍とはよほど信頼に足る人物でなくてはならず。また求められる能力も高い。

 碧嶺の時代は才能の溢れた時代であり、大将軍となれる器。つまりは王ともなれる器を持つ者が数人は

居た。そしてそう言う時代であったからこそ、初めて存在出来た位であると言える。更に重要な事は、皆

碧嶺に深く心服していたと言う事がある。その上下の信頼関係が無ければ、このような次王たる力を臣下

に持たせるような事は出来まい。

 現在は地方領主である候でさえ、大陸内には皆無に等しい。

 王に権力を集中させねば余計な権力争いを招く事になり、国家としてとても運営出来ないからであろう。

 ようするに碧嶺の統治は、碧嶺と言う一大天才と天才的な多数の高官達がいて、初めて運営出来るもの

であったのだと言える。

 だからどの国家もこの大将軍と言う存在に、ある意味恐怖感に似たものを持って置かず。また敢えてそ

のような特権を持つ将を作る必要も無い為に、現在滅多にそれを任命する事は無いのだ。

 だがこの賦国は違う。

 大将軍を置く事にむしろ誇りを感じ、賦こそが碧嶺の意を受け継ぐ正統の国家であると自負してもいる。

更にはこの国家には民衆全てが潔癖にも似た誇り高い精神を備え、その種族同士の連帯感も非常に強いと

言う稀有な国家でもあり、大将軍と言う存在を成立させるに足る背景が充分にあった。

 そしてこの国の慣習として、大将軍には代々気高き女性が就いて来た。

 勿論、武術、知略、気品、そして魅力までもが全て抜きん出ている者しかなれない。

 それは賦族全員から数百名を選定し、それから更に数名が選ばれ、そして数年の軍役と内政任務によっ

てよほどの名声を得た者しかなれないと言う精強さである。

 正に碧嶺から続く大陸の主義を、その一個の存在によって象徴していると言っても過言ではなかった。

 現在の賦の大将軍の名は紫雲緋(シウンヒ)。現王である賦正の兄、比類なき名将と謳われた紫雲海(シ

ウンカイ)の娘であり。その血に恥じず彼女も十五の時に大将軍に就いて以来、二十年もの間、漢嵩(カ

ンスウ)や楓仁(フウジン)とも数々の名勝負を繰り広げてきた。

 漢嵩があれ程の名声を得たのも、彼女の猛攻から長年防ぎ得たからであり。そして楓仁が黒き修羅と呼

ばれるようになったのも、闘鬼とまで呼ばれていた彼女と一騎打ちで互角に渡り合えたからである。

 即ち、鬼とまともにやりあえるのは修羅くらいなものであろうと。

 それは同時に、今大陸の武略の最高水準に居るのが彼女であると、そう示してもいる。

 その彼女の名が昨今出てこないのは、長年の戦場生活で受けた傷を癒す為に、しばし前線を遠ざかって

いたからによる。

 その年も三十五となり、この比類なき女将軍は前線から退く事を考えていると言う噂もあった。

 しかし惜しい事に彼女には子が無い。

 何せ賦族屈指の女傑である。その彼女と現在渡り合えそうなのは、先に言った漢嵩と楓仁くらいなもの

で。賦族にも紅瀬蔚(コウライウツ)や青海波(セイカイハ)と言った良将がいるが、しかし彼らはあく

まで一戦闘指揮官であり、将器としては上の両名にも及ばないだろう。

 彼女にとって、そして賦にとっても不幸な事は、賦族内に彼女に認められるような男が居なかった事に

ある。彼女の地位と、そして彼女自身の能力を考えれば、自然その理想は高くならざるを得ず。それほど

の男は精強を誇る賦族内にもいなかった。

 もし彼女に娘でもいたならば、おそらく有力な候補になっていたに違いなく。紫雲海、紫雲緋と奇跡の

ように続いた名将の血統が途切れる事も、無念としか言いようが無い。

 この女神のような大将軍が近々軍に復帰するとの報が、ようやく伝えられたのである。軍人だけでなく、

賦国内は当然の如く歓喜に沸騰した。

 そして彼女も他の将兵と同じように、今の趙戒のやり方に不満を持っている。

 王に匹敵する発言権を持つ彼女の事、王城に出頭するとなれば、これはただで済む訳があるまい。

 賦族は彼女の言動に注目した。



 賦正は来るべき日が来たと、その日(つまりは紫雲緋が登城する日)王座にて複雑な心境で待ち構えて

いた。

 賦の王としては大将軍の復帰を祝う以外の感情は無い。だが賦正個人として見れば、現在の政情を考え

ると、黙って考え込まざるを得ないのだ。

 王にとっては姪にあたり二十近く年も違うのだが。しかしそれによる親密さよりも、畏怖心の方が強い。

この感情は彼女自身の実力以上に、彼女が紫雲海の娘であると言う事から来ている。

 賦正は本来ならば紫雲海こそが王になるべきであったと、今も思っており。彼らの父、先王も同じよう

に思い、その頃の家臣達も等しくそう思っていたであろう。

 紫雲海、この名は偉大過ぎる。

 幼き頃より、碧嶺の上将軍であった紫雲竜(シウンリュウ)の再来とも言われ、その実力も紛れも無く

賦族の歴史の中でも、いや大陸史を見ても、おそらくは第一等と呼べる人物であったろう。

 戦場においては威風堂々、質実剛健、気品溢れんばかりであり、何処から何処を見ても賦族の理想の典

型を為し。武力、戦略眼、統率力、ありとあらゆる武の才を持ち、更に心も広く、頑固な所もあったが賦

族から深く敬愛されていた。

 賦正も名将と言うに足る人物であったが、この偉大すぎる兄と比べれば、どれほどの才であろうと物

足りなく思え。どうしようもない敗北感と深い憧憬を幼少より抱きながら育った。

 当然誰もが紫雲海こそ、次代の王にと望んだ事は想像に難くない。

 だが紫雲海は皮肉にもその深い洞察力を持っていたが故、自らが王たる素質が無い事を悟り、むしろ弟

こそが人の上に立つ人物であると、早くから見抜いてしまっていたのだ。

 確かに将帥として軍を統べれば自分ほどの才は古今数える程しか無いだろう。現に彼の力で賦の領土も

大いに拡張され、更に賦の軍事能力は飛躍的に上がった。言わば碧嶺、そして紫雲竜から受け継いだ軍律

を、彼の代でようやく完全に復興出来たと言っても過言では無い。それほどの役割を彼はこなした。

 しかしそのような驚異的な武の才を持ちつつも、彼には驚く程に策士や政治家としての才が無かった。

 一つには彼は感情量が大きすぎた。その点が賦族に愛された要因の大きな一つでもあるのだが、王たる

者が一々の事に一喜一憂していたのではどうしようも無いだろう。

 それに比べ彼の弟は幼き頃より人の話しを良く聞き、紫雲海の弟として恥じぬよう自らを厳しく律し、

そして何よりも穏やかであった。性根が深く据わっていたと言ってもいい。冷静沈着、寡黙であり、何を

聞いても動じた風は無かった(少なくとも彼を見る者にはそう思えた)。

 だから紫雲海は弟に王位を継承させ、自らは上将軍となり、当時の大将軍であった妻と共に生涯を戦場

で過ごした。そこには兄弟愛もあっただろうが、しかし純粋に賦の為と思ってした事である。

 だが不幸な事に、弟である賦正はそうは思わず。あくまでも兄から譲られたのだと思い、その事が一つ

の引け目となってしまっていた。その感情は当然、紫雲海の娘であり、その紫雲海を或いは越えるのでは

無いかとまで言われる紫雲緋を見る目にも、当然影響を及ぼす。

 だから賦正は他の誰よりも、この姪に敬意を払い、そして臣下としてよりも、むしろ客将のようにして

扱っていた。

 紫雲緋も聡明な女性であり、賦正の感情を理解し、それでも王たる者がそのように一臣下である自分に

対して遠慮してはいけないと、昔から再三言っているのだが。賦正の態度はあくまでも変わらなかった。

 この感情は英雄の弟と言う、そのような不思議な運命に生まれつかなければ、おそらく解らない事なの

だろう。

「さて、一体どうしたものか・・・・」

 賦正は悪い事に趙戒の保護者でもある。彼一人が護ってやらねば、例えその尊貴な血統をしても趙戒は

どうにもならなくなるに違いない。賦族としては被保護者を見捨てる以上の恥は無い。しかもそれが趙深

(チョウシン)の恩を仇で返す事になるとなれば尚更である。

 しかし紫雲緋への遠慮心もより濃厚にある。

「・・・・・・・こうなれば天命に従うのみか・・」

 結局彼としてはその場の流れに身を任すより他に無かった。しかしいざとなれば趙戒と心中するくらい

の覚悟も決めている。それが責任というものであり、それは趙戒の意を受け入れ、登用した時から決意し

ていた事でもある。

 そして後はただ静し、謁見の間に向った。おそらくすでに紫雲緋が待っている事だろう。

 私室では無く、謁見の間にて会う事が。この時彼の出来うる、たった一つの政治であった。あくまで公

的に王として紫雲緋に謁を賜うと。




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