8-3.武神の武たる事


 謁見の間は王城の中心、言わばその城の城である所以の場に造られている。

 それは古来より、どの国家のどの国もほとんど変わる事は無い。つまりは謁見する事が、王として人に

会う事が、権力の象徴であり確認手段でもあり。そしてそれをする為にこそ、古来からこの豪奢な一種無

駄とも言える建造物を、人間が創り上げてきた理由でもあるのだろう。

 権威とは飾りであり、作り物であり、人の心に植え付けられる事によって初めて威と成す。

 それが本来空虚である事を知る者が、この権威と言う魔物を手懐ける為に、儀礼や祭式を長年の歴史の

中で生み出し、ようやくにして形としてきたのだろう。その努力が果たして褒めるべきモノであるかは解

らないが、その途方も無い尽力は驚嘆に値する。

 今賦正は王の象徴であるその謁見の間にて王座に座り、左右に高官を従いながら最も畏怖すべき者と相

対していた。祖先が生み出した王の威光とやらを多分に頼みにして。

 その者の名は紫雲緋(シウンヒ)。紫雲海亡き今、紛れも無く賦族最強の戦士であり、全民から絶対の

信頼をおかれる大将軍である。

 賦の守護神である地海黄竜王を現す金色に、彼女自身の好む銀と氏色である紫を絡ませたその鎧は、明

けに夕に煌びやかに輝く。常に光ある存在であり、全ての栄光は彼女と共にある。

 大柄だが不思議に細くたおやかにも見える全身をその輝鎧に包み、静かに頭を垂らすその様は、さなが

ら絵物語の主人公であった。

「紫雲大将、再びそなたを見る事が出来て嬉しく思う」

「ありがたき幸せ」

 紫雲緋はゆっくりとその目を王へと移した。その顔は休息を強いられた事を物語るように未だ少しやつ

れて見えたが、表情に光彩を欠くような事は無く、衰えた様子は微塵も無かった。

 それどころか、かえって少し痩せた事で鬼気にも似たモノをある一点から濃厚に感じさせる。それこそ

が賦正の心をもっとも震わせるあの兄譲りの目であり。これを見る度に見られる度に、兄から感じた途方

も無い自分への無力感を、またこの姪からひしひしと思い出され、身も縮む思いもするのである。

 しかし最早賦正はそのような思いに無意味に過敏に反応する程も若くない。良い意味でその感覚にも慣

れてきており。年老いた故の重厚さを身に付けていた。

 それに今この場に在る、王たる不可視の権威が彼に力を与えてくれる。

「もう身体は良いのか」

「はい、もう充分過ぎる程休みましたから・・・。いつでも出陣を御命じ下さい」

「うむ、頼りにしている」

 賦族の王には本来族長と言う風な意味合いが強く、姪であり大将軍でもある紫雲緋がここまで形式ばっ

た形を執らなくても良いのだが。この娘はその父と親子共々必要以上に王を立てる風があった。

 それは紫雲海が賦正を少しでも立ててやろうと言う気持ちが彼女にまで受け継がれたもので。賦正はそ

れをありがたくも思いながらも、いつも申し訳なくも思っていた。

 しかし自分が王としての対面を望んだ以上、この優しい姪はその心を素直に立てようとしてくれている

のだから、それに何を言う事も今は出来ない。

「昨今、どうも我が軍は精彩を欠いておりますが・・・・」

「・・・・」

 賦正は動揺した。ついに来たかと思ったのだ。ここで暗に趙戒だけを重んじている(将兵達は多かれ少

なかれそう思っている)賦正の態度を、彼女が諌めてくるのかと思ったのである。

「私が戻った限り、そのような弛みは一つたりとも許さず。軍部の統制を正し、祖先の名に恥じぬ戦いを

御覧にいれます」

 だが彼の予想に反して、紫雲緋は軍部の不満に対しては何も言わず。ただそのように抱負を述べ、来た

時と同じく静かに退出して行ったのであった。

「・・・・・」

 賦正は何言う事も無く、ゆっくりと一度頷き、そのまま彼女を見送った。

 ようするに賦正が何を考えているのかは解らないが、全て彼に任せると言う事なのだろう。彼女はそう

やって常に王を立ててくれる。おそらくこれからもそうだろう。彼女は変わる事は無い。父に似て彼女も

相当に頑固者なのである。

 賦正は口に出せぬ想いに、心の中で礼を述べた。彼女の信頼に応える為にも、自らももっと積極的に動

く必要があるだろう。趙戒に人を魅せる才が無いのであれば、それを自分が補ってやらねばならない。紫

雲緋が賦正を補ってくれているように。 

 紫雲緋が言いたかった事は、即ちそう言う事であったに違いない。

 

 紫雲緋が戻った事により、賦軍の統率は一段と鋭さを増したようである。

 不出軍への不平も驚くほど聞かれなくなった事を思えば、おそらく彼女が懸命に将兵を諭したのだろう

事も予想出来る。彼女の軍への影響力は非常に強く、どの将兵にも女神の如く慕われているからその命は

絶対でもあった。

 勿論それで不平不満が消えた訳ではなく、単に心の中に再び収められただけなのだろうが。紫雲緋が同

時に始めた大々的な軍事訓練の為に、それも徐々に無くなって行くだろう。心を晴らすのには身体を動

かすのが一番である。そう言う風に心と身体の疲労の均衡を保つ事が安定へと繋がるのだ。

 不満の原因の一つである趙戒も、最近は前以上に静かに暮らしているようである。余計な荒波を立てな

いようにと、賦正がそうさせたのだろう。賦正自身も尽力し、自ら数多の将を慰問し、不満や不平を聞い

てやった。

 そうすると他愛無いもので、元々賦族はからっとした種族である事もあり、将兵達は不思議なほど大人

しくなった。彼らとしても王と大将軍にそこまでされては、最早それ以上言う言葉は無いのだろう。

 こうして賦正と紫雲緋の二人がかりで今は言わば富国強兵の時であると、全民に納得させたのである。

これから一段と寒さが激しくなり、戦には一年で最も向かない時期に入る事もそれに味方した。

 この大陸の冬は全てを凍て付かせる程厳しいものでは無いが、それでも相応の準備と言うものは必要に

なる。自然は常に人間にとって大いなる恩恵と、そしてそれ以上の恐怖の対象なのだ。

 他国も慌しく過ぎる季節に追われ、国内平定に躍起になっている事だろう。

 賦以外のどの国家もこの一年の激しすぎる変化にその差はあれど、とても付いて行けていないのであり。

本来ならば他国を気にしている余裕も無かったのである。

 それに大規模な戦争が続き、物価も安定とは無縁で高騰が続いたりと、真に民にとって暮らし難くなっ

ていた。先の玄と北守の停戦があれほど早々と成ったのも、一つにはそう言う訳もある。どの国家もこれ

以上戦争をしたくないと言う気分が濃厚に生まれていたのである。

 ただ凱だけはその戦乱より常に離れていた為に、その内心はどうであるかは誰にも解らない。この国だ

けは相変わらず虎の往来も激しく、常のように活気に満ち溢れたままである。



 そしていつしか寒さも和らぎ、冬も終り、激動の東暦752年も終ろうとしていた。

 思えば何と言う恐るべき年であった事か。このように僅かな時間で情勢が転回した年も古来無かったで

あろう。

 だがここまでくれば無事に年を越せるだろうと誰もが安堵したその時、そう言う時にこそ災厄が訪れる

のだと、これほど思い知らされる事になろうとは。

 それは他ならぬ趙戒の一声より始まった。

「王よ、今こそ玄を攻め落とす時。全軍にその旨お伝え下さい」

 賦正も当然その言葉に驚きを隠せない。何故今なのか、攻めるならば玄が内乱に侵されていた時に攻め

れば良かったのではないか。

 しかし趙戒は言う。

「あの時は確かに玄は疲弊しておりました。しかしその兵士気は高く、戦時だけに軍備も行き届いており

ます。更には北守も玄と例え争っていようとも、我が軍が寄せてくれば一致団結して防備に当たったであ

りましょう。反乱兵達も自らの土地を護る為とあれば、日頃の不満も忘れて死力を尽くして戦ったに違い

ありません。それでも我が軍は勝ったでしょうが、それによって多大な損害を負う事になります」

 更に言う。

「ですが今はどうでしょうか。確かにここ数月の間に落ち着きを見せ、民は安んじております。しかしど

の国家もその為に莫大な資金と資材を使い、更には兵達も数月と言う時間によって堕れております。北守

も全軍を静封より返し、玄も収入はあると雖も領土が無ければ、当然兵は増えません。その兵力は依然回

復したとは言い難い数です。ですから今なのです。この時期に攻める事に意味があるのです。今こそ我が

軍が最小の被害で最大の効果を発揮する時なのです」

 なるほど確かに半端な時間が人の心に油断を生み、疲労が抜けるどころか内政の労によってむしろ蓄積

されている。

 そして何より、今であれば北守の援軍の心配も無い。軍は当然ながら大きくならばなるほど鈍重になる

ものであり。北守へ報が届き、それから軍を編成、玄へその軍が到着する時間を考えると、とても援軍な

どは間に合うまい。

 賦正は決断の早い男でもある。頷くと即座にその命を全軍へと通達した。

 賦の将兵達も戦を望んでいた。この数月の鬱憤を晴らせるとなれば、勇んで命に従うだろう。皮肉にも

この数月が玄兵を弱くし、逆に賦兵を強くしていたのだ。

 思えば趙戒はこうなる事を初めから計算していたのだろう。

「確かに能力だけは趙深様に匹敵するのかも知れぬ」

 賦正はその遠謀に驚きながらも。しかしそうであるからこそ賦族からは疎まれるのだと、また不安にも

思った。趙戒の行く道がどのような栄光に彩られていようと、結局彼には自滅の道しか与えられないので

は無いかと・・・。




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