8-5.紅竜、落つる花の如く


 玄の国は平原の満ちる国である。

 その為大軍の運用に足るが、防衛に不向きであると言う特徴があった。自然、防壁などの防衛技術が発

達したが、元来の騎馬民族としての特性も濃く受け継ぎ、今も馬の達者が多い。この点賦族と共通した民

族であるとも言えよう。

 玄宗が率いる二万の兵も全てが騎馬兵であり、その中でも特に騎乗の巧みな五千が弓騎兵隊を組んでい

た。騎射こそが玄の最も得意とする所で、この点だけは或いは賦に並ぶかも知れない。

 賦族の弩兵隊程の威力は望めないものの、平原での合戦においては神出鬼没の弓矢の群れは、正に脅威

と言えるだろう。軽快に進退が望める点、弓騎兵の方が敏捷性も高い。

 しかしそれだけで優勢になれるほど、賦軍と言うモノは甘くは無かった。

 まともに正面から、それも数で劣る軍で戦える相手ではないのである。

 急襲し不意を付ければ、或いは暫くは優勢に戦えるかも知れないが、一時の優勢などは地力の差ですぐ

にひっくり返されてしまう。

 玄宗も数々の戦場を経験した猛者である。その点は誰よりも解り過ぎる程に理解していた。しかし戦い

と言うモノは、総じて避けようの無いモノだ。

 晴安までの道を急ぎ、その七割程の行程を進んだ頃だろうか。前方から玄の旗を揺らめかせながら、紅

い甲冑に身を包んだ一騎の兵が駆け込んで来るのが見えた。

 そしてその紅兵は突如馬を止め、必至にこちらへ旗を振り始める。

「全軍停止せよ!!」

 玄宗は太鼓を叩かせて停止を告げ、自ら一騎のみで前方の兵へと近付いて行った。

 賦の性質を考えれば、偽兵などと言う姑息な手段を使うはずもなく。その兵は紛れも無く玄の兵だろう。

とすれば晴安からの使者に違いない。

 玄宗はその伝令内容まで解っていた。おそらく晴安が落ちたのだろう。それ以外には考えられない。

「伝令、ご苦労である」

「はッ」

 鄭重に礼の姿勢を取る兵に頷き、伝令を促せる。

「大将軍閣下、晴安が陥落されました。賦軍は一万の兵を晴安に駐屯させ、尚五万に届こうかと言う軍

勢が、止まる事を知らず王都へと向っております。おそらくすぐにでもここへやって来るかと」

 伝令兵は見るからに敗残の兵といった態で、甲冑は傷だらけになり、その下の各所からも血が滲んでい

るのが見える。後少し出会うのが遅ければ、この兵はこの場で骸を晒す結果となっていたかも知れない。

 その表情には生気が無く、最早意地だけで生きていると言う、その必至さだけが目の奥で凄みを利かせ

ていた。素人目にも死相と解る。

「良く伝えてくれた。お主はゆっくり休み、後は私に任すが良い」

「いえ、及ばずながら私も参陣させていただきとう存じます」

 こういう時の伝令は敗戦した事に余計な弁解などはしない。

 どれほど凄まじい戦いをしてきたかは、その姿を見れば一目瞭然であるし。全兵とも必死で戦いました

などと、そんな事は当全の事でもある。

 それをましてや弁解するなどとは、残して来た仲間に対してこれ以上の侮辱はあるまい。

 伝令役として送り出された兵も生を恥とし、次の戦かその機会さえ無ければ自刃して果てるのである。

死に行く者に、余計な欲などある訳が無い。彼らは純粋に真白であり、後は少しでも美しく死ぬ事のみを

考えている。

 この伝令兵も全てを伝えおえた後、願い通り怪我をおして軍列に参加したものの、安心して気が抜けた

のか、いつの間にか息絶えてしまったらしい。次に停軍した時に彼を見た者はいなかったのだが、戦時の

事である為、この兵士の名前など細かい事は伝わっていない。

 役目を果たして本望であっただろうが。戦場で華々しく散れなかった事は悔いているかも知れない。ど

ちらにしても最早生きる事は叶わなかっただろうが。

「全軍前進せよ!!」

 ともあれ玄宗は雄々しく叫び、再び軍を猛進させ始めた。まるで賦とどちらがより近付けるかを競って

でもいるようで、唯只管に駆けた。

 玄宗にも幾許かの戦略はあったようだが、それをする時間が無さ過ぎた。全土から兵も募り、援軍に来

るように全兵に伝令を発してはいるものの、おそらくそれも間に合うまい。

 後は賦軍がここに来るまでの行程で、如何に疲労が溜まったか、それだけが最後の望みである。もしこ

ちらの疲労の倍も賦軍が疲労しているとなれば、万が一の勝機が見えないでも無かった。疲労こそが兵の

天敵であり、疲兵であれば流石の賦族と雖も、その力は鈍る。

 もし勝ち目があるとすれば、それを突く以外には無かった。

 だが賦族の強靭さは大陸人を遥かに圧倒しており、その唯一の可能性すら無きに等しい。



 玄と賦は程無く名も無き道上にて相対した。

 本来ならば玄としては防衛拠点になる地に布陣するのが当然なのだが、賦軍を視認してから慌てて付近

の小高い場所に移ると言う馬鹿な事をやってしまった。

 驚くべき事に索敵の為の斥候すら出していない。それどころか糧食なども驚く程少ない。

 だが深く考えれば、ここに玄宗以下の覚悟が見えるとも言える。

 おそらくは彼らはすでに勝利など、いや生きる事すら諦めていたのであろう。その証拠に晴安陥落を伝

えられた後、玄宗は王城へ生ある者は玄を捨てて逃げよと、そう言う風に伝令も送っている。

 伝令には更に北守へ亡命するようにも言い含めてあった。昨今、北守とは敵国と言える程に険悪になっ

てしまっているが、もう一方の隣接国である凱が頼むに足りぬ以上は仕方が無かった。それに漢嵩の人柄

を考えれば充分に受け入れてくれる可能性もある。

 後は誇りと言う厄介な問題があるが、そんなものよりも人命の方が大事であろう。

 しかし大陸人は誇りと名誉を何よりも重んじるから、もしかすればこの伝令が発火点となって、全玄人

が立ち上がる事になるかも知れない。

 玄宗はそれでも良いとも思っている。

 恥を忍んで生き、時を待つか。あくまでも名を尊しとし、その為に戦場で死すか。そのようなモノは本

来他人から強制される事では無い。そしてどう考えても滅ぶしかない時にあって、例え王とはいえ、人に

共に滅べなどとは言えはしない。そんな事をすれば、それこそ恥知らずと後世まで言われ続けるだろう。

 戦うにしろ逃げるにしろ、賦にとって利になる事は無い。そうであれば、最早後がどうであろうと構わ

ない。とにかくも自分達はここで死ぬのだ。

「死ぬのだ!!」

 玄宗は陣頭に立って突如そう叫んだ。

 目前数キロ先には賦族の馬煙が見え、その甲冑は陽光に照らされて輝いている。憎々しい程に壮麗で、

正に天兵の如しであった。その姿が玄に亡べと言っている。

「だが我等は無駄死にはせぬ。戦って戦って、最後の一兵になるまで戦い抜き。賦に、そして大陸史に我

等の強さと恐怖を刻ませてやるのだ。常に賦の死兵には苦しんで来たが、今日はそれを奴らにこそ味あわ

せてやろうぞ。者共奮え、力の限り奮え!!、今こそ唯一つの修羅と化せ!、玄兵の気魂を賦族に思い知

らせてやるのだ!!!」

 いくら賦軍が威風堂々と進軍しようと、最早玄宗の心が揺るぐ事は無かった。それどころか新たな悲壮

の決意が心底から湧き上がってくる。その心はその場のあらゆるモノに伝染し、彼に従う将兵達も驚く程

単純に、簡単に、今ここで死する事を決意した。

 それは或いは魔が差したとか、狂気とか、そう言う類のものであったのかも知れない。

 しかしその場に居た者にとってはそれこそが正義であり、それこそが自分に残された、たった一つの道

であったのだ。戦争と言うモノが、本来物狂いの集団から成るモノである以上、それもまた正道であるの

だろう。

 そして幸か不幸か、それは華である。しかも人が起こす中で、最も大輪の一つであろう。平素最も忌む

べきモノが、時に至上の甘美と化す。人の心は所詮はそう言った矛盾から成り立っているモノでしかない

のかも知れない。

 時に死こそが人を揺り動かす力となる。

 だが勘違いしてはいけない。死が美しいのでは無い。死すら厭わない、その覚悟に美を感じるのだ。

「全軍、我に続けッ!!!」

 玄宗の身体は老いを忘れ、一個の稲妻かのように馬を駆けさせた。真一文字に賦軍へと突進する。

「ウォォォオオオオオオオオオオオッ!!!」

 そして獣のような人外の咆哮を上げ、玄騎兵二万が後に続いた。

 高所に上ったのは、戦術的にでは無く、単に馬足に勢いを付ける為であったらしい。正に狂人の群れ、

迷う事無く一筋に玄軍は賦軍と真っ向から衝突した。

 玄兵は滅びへと死処へと躊躇い無く向って行く。




BACKEXITNEXT