1-1.防衛包囲網


 賦(フ)、北守(ホクシュ)、凱(ガイ)。三国入り乱れた戦が言わば冷戦化して一年の時が流れた。

 いつ起こるか、いつ再開されるかと誰もが動向を窺っていたのだが、小競り合い程度はあったものの、

本格的な会戦はここ一年起こる事は無かった。

 戦勝国である北守と凱も、流石にあれ以上戦を続ける訳にいかず。長い休息時間を必要としたようであ

る。賦に構っている暇は無く、それよりも領土平定に忙殺されていたと言う事だろう。

 しかし一つ大きな事件があった。

 北守が名を改め、漢(カン)、としたのである。

 ここまで大きくなった以上、いつまでも漢嵩(カンスウ)一人が壬(ジン)に遠慮していても仕方が無

く。国名に二文字以上を使う事は縁起が良くない事であるし、国民の為にも改名すべきだと、宰相である

明節(ミョウセツ)が進言した為らしい。

 勿論壬にも事前に断りの使者を差し向け、壬としてもそれを止めさせる理由も無く。むしろ壬側も今ま

で遠慮していた方がおかしいくらいだと思っていたから、これに関しては何も問題は起こらなかった。

 だが見ようによっては、これによって漢の力に歯止めが無くなったとも言える。

 つまり真の意味で漢が独立国家となり。真の意味で漢嵩が漢王となった事を意味するのである。

 とは言え、これが壬への宣戦布告と言う訳では、勿論無い。依然、壬国へは遠慮の心を消す訳にはいか

ないし、漢としても無用の敵国などは作りたくない。漢嵩個人としても、壬を無下に扱うような事をすれ

ば、当然その名声に傷が付く。彼自身、決してそれを望むまい。

 自らの名声、と言うよりも清廉さと言うものに、彼は異常なまでに拘るようになっており。その傾向は

日を増す毎に大きくなっているように思えた。

 皮肉にも、彼の地位と国力が増せば増す程、強迫観念にも似た思いが彼の心を支配するのである。

 ともかく遠く無い未来、漢は最盛期の賦よりも強大な力を持つに至るだろう。

 いや、すでに国力だけなら凌駕しているかも知れない。豊かな穀倉地帯を手に入れた漢は、資源不足や

食料不足とはすでに無縁である。

 凱は相変わらずである。

 より濃い専制国家として、法が強化されつつあるが。不穏分子も多く、王である凱禅(ガイゼン)の権

力は最大にまで高まったとは言え、未だ気を楽にしてはいれられないようだ。

 恐怖政治をするにしても、単純に恐怖だけではどうしようもない。むしろ今まで以上に巧く民心を操る

事が重要になるだろう。士気を高め、凱禅の命に喜んで服すように教育しなければならない。或いは喜ん

で命を投げ出すくらいに、骨の髄まで恐怖心を植え付けなければならない。

 せめて、彼で無ければこの戦乱の世を生き抜いて行けないのだと、それだけでも認識させなければ、少

しの事で一気に崩れてしまいかねないのだ。専制政体には常にそのような危険も付きまとう。そして腐敗

しや すい政体でもある。

 そう言う意味で、これはよほどの才が無ければ扱えない制度であるだろう。

 そこは他国と変りは無い。

 やはり実力が無ければ、人にその地位に居るのが当然だと思わせる事が出来なければ、王などと言う者

が存在出来る訳が無いのである。

 王とは、地位とは、多分に作り物であり、人間同士の約束事であるにすぎないのだから。
 

 賦も変らず、ゆっくりとではあるが衰退を続けている。

 大将軍である紫雲緋(シウンヒ)が賦族に推され、王を兼任して見事な手腕で統治しているが、とても

の事簡単に盛り返せるような状況では無い。

 食料不足、資源不足、兵力の減少、将帥の不足、ありとあらゆる難問が彼女の前に広がっている。それ

らはこれから増える事はあっても、減る事はあり得ないのだろう。

 最早この国が再び日の昇る国になる事は、不可能であるかも知れない。

 軍師である趙戒(チョウカイ)も良く補佐していると言えるのだが、その何処か危なげのある言動は相

変わらずであり、内外に波紋を及ぼしているようだ。

 賦族にも動揺が広がっている為、この国には以前のような強固さも感じられない。
 

 壬はまるで他三国から取り残されたように、大きな出来事は起こってはいないが。この国も決して何も

していない訳では無い。

 北昇(ホクショウ)一帯の防衛を強化し、漢との境界等、要所々々に砦を築きながら、交通路の整備に

勤しんでいた。

 ようするに四国家共、領内の統治だけで精一杯と言う状況である。

 漢だけは余力があるように思えるが、しかしこの国も急激な肥大により起きた、無数の問題が残ってい

る。軍の編成と訓練にもまだ日数が必要だろう。

 一年かけてようやく形になってきてはいるものの、流石に粗造りであり、まだまだ改良の余地も多い。

少なくとも戦争などをやっている暇は無いだろうと思えた。

 例えるなら、漢と凱が賦を挟んで睨み合いながら回復を待ち、壬一人が少し離れてそれらを見守って居

ると言う状況だろうか。

 しかしそう言った小康状態こそ、不満に思う者が少なく無いらしい。

 静観するような形に在る壬を、どうしても渦中へ引き込みたいと言う輩も多いようだ。

 不安の残る情勢の中、突如漢より派遣された使者。これにより壬も争いの中へと引き摺り込まれる事に

なるのである。

 まるで、消耗する事だけが美徳、とでも言うかの如く。


 漢よりの使者、その用件を一言で言えば、共に賦を滅ぼそうと言う事であった。

 漢としてみれば、ようやく落ち着き始め、進軍準備にかかりつつあるが。流石に賦の殲滅戦ともなれば、

膨大な被害が出る事は明白である。それならば例え領地を分割する事になっても、他国の力を借りる方が

賢明だと言う事なのだろう。

 勿論凱にも使者が行っているに違いない。

 賦は他国とは逆に、時を得る毎に弱体化している。このまま底辺まで行くのを待つのが、本来は最善の

方法かも知れない。しかし腐っても賦国、上将軍紅瀬蔚(コウライウツ)も回復しつつあり、将軍として

復帰し始めてる以上、元々は一砦の反乱程度から勃興した国である以上、出来れば早々に滅ぼしておきた

いのも人情であろう。

 弱体化したとは言え、賦族への警戒心が消える事は無い。

 それだけ爆発力を持った民族であり、結束の固く、個々の力量が大陸人を凌ぐ、恐るべき者達なのだ。

 その怖れは壬も凱も変らない。協力する点には、今更三国家とも異存は無かろう。

 だが壬はその申し出を、事もあろうか断ってしまった。

 とは言え、協力しないと言う事では無い。ただ兵は出せないと言ったのである。実際、壬には大軍を派

遣出来るような余裕は無かった。

 しかし、断ったのは別に政略でも、深い考えがあった訳でも無い。多分に心情的な理由からなのである。

 何故ならば、壬は賦に借りがあった。

 驚くかも知れないし、現に他に例の無い事であるが。壬は建国の際、他ならぬ賦族の力を借りているの

である。しかも少なからぬ力を。

 壬の建国王、壬臥(ジンガ)は元々その建国地を北昇一帯に求めて居た事は、以前に記した通りである。

しかし双の猛将、明辰(ミョウタツ)によって阻まれ、何度も敗れる内にとうとう現在壬国が在る山間ま

で追い立てられた事も記した。

 この時代の双は明辰のおかげで恐るべき強さを誇り、或いは賦族と同等とまで言われた程で、少数の兵

しか持たない壬臥などは、まったく物の数では無かった。

 そして明辰の心理として、賦だけで手一杯であるのに、これ以上近辺に国など出来て欲しく無く。出来

れば、このまま壬臥をその夢と共に葬りたくあった。だから彼とその一党を執拗に追った。

 壬が防衛に特化した国造りをするのは、この時壬臥が受けた恐怖から来ていると言う事からも、それが

どれ程苛烈だったかが解るだろう。

 明辰はあまりにも強く、壬臥の持つ山賊紛いの兵団では、とてもの事対抗する事が出来なかった。しか

し壬臥は逃げの名手であり、驚くほど撤退や後退が上手く、そのおかげで何度も窮地を逃れ得た。

 しかし逃げても逃げても明辰は執拗に追って来る。このままではいずれ逃げ場を無くし、元々戦力差が

あり過ぎる以上、最後には簡単に屠(ほふ)られてしまうだろう。

 そこで壬臥は思案し、驚くべき結論を出したのだ。

 彼は自らを史上初の統一皇、碧嶺(ヘキレイ)に仕えた大将軍、壬牙(ジンガ)の子孫だと称している。

その真偽は無論定かでは無いが。ともかくその縁を伝い、破天荒にもすでに大陸人の終生敵国となってい

た賦国へと助けを求めたのである。

 時の賦王は例えその素性の真偽は定かでは無いとしても。壬牙と言う名を出されれば、元は奴隷であっ

た賦族を解放する為に、昔彼が尽力してくれたと言う大恩を無視する訳にはいかない。

 思慮の末、なんと王が最も信頼していた、時の上将軍であり、実の弟でもあった紫雲雷(シウンライ)

を万を超える大軍と共に派遣させ。明辰との史上に残る名勝負を繰り広げた後、見事撃退に成功したのだ

った。

 それだけでは無く。紫雲雷は壬臥に乞われ、そのまま数千の兵と共に壬国に帰化した。彼は楓雷(フウ

ライ)と名を変え、名実共に壬国民となったのだ。つまりは現竜将軍、楓仁(フウジン)の祖である。

 壬国民、他国民問わず、どの国王も碧嶺の重臣達の子孫を名乗っている。その手前もあり、又何百年も

前に受けた恩の為に、上将軍でさえ惜しまず与えたと言う美談を誰しも好んだと言う事もあり。この驚く

べき事件も、さほど障害無く受け入れられたようである。

 許し、信頼こそが政道であると言った、碧嶺以来の法も効いているのだろう。

 彼は降る敵者をよほどの理由が無い限り(国民から憎悪されていなければ)尽く許しており。それこそ

が碧嶺の国家を増大させた最大の理由でもあった。彼は敵対国家すら丸ごと吸収していったのである。

 楓雷達も信頼に応えるべく、身を粉にして働いた。

 彼らも壬国民となったからには最早賦国との関係は立ち消える。そして賦王も手を貸すのはこれで最後

だと言った。それ以来数十年、紫雲雷の子や孫は常に王を助け、賦国とも存分に戦った。むしろそうする

事が彼らの本懐だったろう。

 例えその心情は複雑だったにしても、二心無きが賦族の美風であり。賦族相手にもまったく容赦せぬ楓

雷以下帰化民達の戦果を見るにつれ、今では大陸人の間には心配心の欠片も無く、完全に壬国民として認

知されている。

 長い歴史の中には、このような現象が起こる事もあるのだろう。人間は不思議な生物である。

 こう言った事があるから、老人や歴史を知る者は、賦に止めを、しかも三国同時に弱りきった賦を討つ

のを憚る心を素直に理解した。

 そこまでしなくても良いじゃないかと、そのような気分が起こるのも自然な事では無いだろうか。

 これが壬一国で攻めるのならまだ解る。だが大多数を持って衰えた賦を叩くと言うのは、どうにも恩を

仇で返すようで、壬首脳部としては行い難い。

 勿論、戦争を繰り返して来たのだから、賦に対する恨みや憎しみが無いとは言えない。だがそれはそれ

として、また恩を恩と思う心もあるのである。人の心は真に難しい。

 しかし漢の大部分の民は壬国民特有の感情だけにこれを理解出来ず、壬の返答に異を唱え。臆したか、

実は賦と秘密同盟を結んでいるのではないか、などと騒ぎ出し。自国の肥大に半ば酔った漢国民達は、北

守建国以前から大きな好意を見せてくれていた壬に対して、事もあろうに背信者、臆病者の汚名を着せ始

めたのである。

 喉元過ぎれば熱さ忘れる。それは恩義も同様であるようだ。皮肉な事に、恩と言う同種のモノに対して、

この二国の姿勢は真っ二つに別れてしまった。

 漢王である漢嵩の意向とは裏腹に、国民達は反壬感情を高めて行く。

 壬国は予想外の窮地に立たされようとしていた。




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