1-2.臨戦体勢


 漢との緊張が高まる中、蒼愁(ソウシュウ)は北昇に居た。

 北西方面の司令官である司譜(シフ)上将の補佐となり、防衛体制を完備する為である。

 父蒼明(ソウメイ)、母蒼瞬(ソウシュン)も共に来ている。

 北昇に赴任する者を決めるに当たって、この地と繋がりの深い蒼愁の名がまず出たのだが。流石に彼一

個では不安もあり、その仕事量を考えれば一人に背負わせるのは可哀想でもあった。

 そこでいっその事、内政府でも高い手腕を持つ彼の父も同行させればどうか、と言う話になった。蒼明

も国命であれば異存は無く、それならばと妻を連れて丸ごと北昇に引っ越す事にしたのである。

 蒼明は思いきった事をさらりとやってのける方らしい。

 或いは、合理主義的なのが蒼家の血、と言う事なのかも知れない。蒼親子は自分の郷愁などにはあまり

頓着せず、どちらかと言えば心情よりも便利さの方を取るきらいがある。

 それにいっそ引っ越した方がさっぱりして良いのだろう。蒼親子はどっち付かずよりも、むしろきっぱ

りとどちらかに決める方を好むきらいもあった。それでいて、何故か優柔不断になる事もあるのだが、人

間とは大抵そう言うものであろう。

 ようするに蒼明はそんな性格であった。

 しかしここで問題が一つ起こった。人災である。つまりは姫君の事なのだが。

 蒼愁は参謀長、蜀頼(ショクライ)から姫君の相談役を仰せつかっている。だが蒼愁が都を離れるとな

れば、当然の如く姫君をお世話する事が出来ない。

 手のかかる姫君には昔から参謀府の面々は苦労を強いられていたのだが、幸い蒼愁が気に入られ(彼に

押し付け)た事で、尊い犠牲の下にようやく彼らは救われていた。しかし蒼愁が北昇へ行くとなると、折

角の平穏が破れ、元の木阿弥になってしまうと言う事になる。

 何より姫君自身がうるさかった。

 蒼愁は私を捨てて行くのか、それでも誉れ高き正規兵団黒竜の一人と言うか。恥を知れ、情けを知れ、

人の道を知れ。どうしても行くと言うのなら、私も連れて行け。それが責任と言うものである。いや、そ

れこそが義務であり、正道である。

 などとご立腹の極みに達せられた。

 姫君は手はかかるけれど、普段は皆から慕われる心優しき方であるが。機嫌が悪くなるともうどうにも

手が付けられなくなる。そこにまた可愛げを見出す事も出来るのだが、近衛など直接接する人間からすれ

ば、もうたまったものではない。

 蒼愁は姫君の機嫌を直す術も上手く、そこから彼の評価も高まったと言えるのだが(近衛も参謀と同じ

く、面倒を上手く彼に押し付けたとも言える)。今度は彼自身の異動と言うどうしようもない事が原因だ

けに、流石にどうしようも無かった。

 蒼愁がいくらなだめても、たまには帰ると言っても、姫君の機嫌は一向に直る様子を見せず。ただ前述

した事を何度も繰り返すのみなのである。

 しかも終始膨れっ面でいられるものだから、どうにもいけない。

 これは完全な姫君の我侭なのだが。その膨れ面を見ると、何故か本来正当である蒼愁や近衛達の方が悪

い事をしているような気にされてしまう。姫君の人徳と言えば聞こえは良いが、ある意味兵器に等しい。

 流石にもう耐えられない、何とかしてくれまいかと、近衛や侍従から蜀頼を筆頭とする参謀府の面々は

泣き付かれ、とうとう王自らが出ると言う事態になってしまった。

 王、壬劉(ジンリュウ)も一人娘には弱い。頼みの綱であった后の壬麗(ジンレイ)も笑って居るだけ

で何もしてくれないとなれば、最早娘を蒼愁達と一緒に行かせるしか無かった。

 しかし姫君をただ遊ばせているような余裕は壬には無く、視察や民の慰撫の為と言うのでは長期の派遣

は出来ない。考えた末、姫壬萩(ジンシュウ)を北昇候として任命してしまう事にした。厄介払いととれ

なくも無いが、可愛い子には旅をさせよ、と言う事なのだろう。

 細かい事情は不明だが、王の名誉の為に一応そう言う事にしておこう。

 実際一人娘を北昇にやる事は悪くない。彼女は(黙って居れば)見栄えも良く、貴族にありがちな傲慢

さも無い。壬王家は代々自らも一国民であると言う気持が強く、そう言う所がまた国民に人気がある理由

でもあった。

 そう言う彼女が行けば、未だ漢と結びつきが強い北昇一帯の民も、壬国に益々好意を持ってくれるだろ

う。王族が治めると言う事、それ以上に壬国民だと思わせる事は無いからである。しかも一人娘を寄越す

ともなれば、民の心情としては光栄の極みと言えるだろう。

 例えるなら遷都されたような高揚感に包まれる・・・・かも知れない。

 大陸人は名誉をこそ尊ぶ。

 そして何処か漢に遠慮を持っている民達も、ようやく安心出来るかも知れない。

 今までは新領土であり、また王都から遠い事もあって、壬王家と言うのをさほど身近に感じられなかっ

たのも事実だったからだ。

 それを慰撫する意味では、大変有用な事であろう。

 王家を身近に感じると言う事もまた、忠誠心をかきたてる要素であるに違いない。

 とは言え、ようするにこじ付けな訳である。実際は壬萩に押されてしまったと言うのが正直な所。こう

いう風に、壬は常に陽気な風であるらしい。面白いと言うのか、のびやかでおおらかな印象を受ける。

 しかし勿論そう言う風だけでは無い。壬の民はどの国家よりも真面目で勤勉であるし、そうしなければ

生き残れない程に貧しい。

 ただ、そこに一片の暗さも無かった。


 蒼愁が北昇に赴任したのが半年前。如何にも壬の民であると言う風に、彼は誰よりも精力的に働いた。

それは珍しく派手に動いたと言う事でもある。

 何しろ防衛に専念と言っても、この辺りは平地である。その分農作物は豊かに実るが、山地よりも道は

広く数も多く、しかも四方八方何処からでも攻め寄せられる。行軍路や中継拠点としては申し分無いのだ

が、防衛に特化する場合には逆にその利点が重荷になるのだ。

 壬の総兵力はたかが知れている。しかも量より質を重視する為に、当たり前だがその数は増え難い。領

土が増えたからと言って際限無く兵を集めると、当然質が落ちてしまう。黒竜の名が軽くなるとすれば、

いくら数が増えても本末転倒になってしまうだろう。

 何しろ、黒竜が最精鋭の軍隊だからこそ、壬がいままで持って来たと言って良いのだから。

 今更半端に数を増やしたとて、とても他国には及ばない。質を落す分、弱くなるだけだろう。

 その為に建国当時から壬は少数を最大限に活かすべく、行軍路を整え、兵力を中央に置いて集中させる

事に努めて来た。こうしていれば、何処から敵が侵攻しようとも、瞬時に大兵力を送る事が出来。各侵攻

想定路に強固な砦を建造する事で、本隊が到着するまでの時間を稼ぐ事も出来る。

 どれもこれも壬の地形を利用した、変ってはいるが、最上の方法であったに違いない。国民達の意識も

変化させ、専守防衛を徹底しつつ士気も衰えないと言う、正に壬臥の意志そのものの国家が出来上がった。

 しかし皮肉にも領土が増えた事により、とても王都に駐屯している兵だけでは賄えなくなったのである。

 王都、衛塞(エイサイ)から北昇までの道は遠い。しかも元々防衛の為にと、他国への道は行軍に適す

ようにはされていない。

 いままではそれで良かった。壬が他国へ侵攻する事は、はっきり言ってあり得ない事だったからだ。

 しかし北昇を得る事になり、今更ながらも必死で整備する破目になっている。壬はこう言った土木工事

だけで、すでに疲弊の極みにあった。ようするに資金が足りない。

 ならばどうするか。最も簡単なのは、北昇を第二の衛塞としてしまう事である。

 だがそうなれば、北昇に置くべき新規の大兵力が必要となる。しかし上記の理由により、簡単に正規兵

団である黒竜は増やせない。となれば傭兵団である虎に頼るしかないが、肝心の金が無い。

 無い無い尽くしであり、結局蒼愁は司譜と相談した上、最後の手段として義勇兵を募る事にした。それ

ならば、同じ未熟な兵でも士気だけは高い。士気が高ければ、やる気があれば、訓練の効果も高く、結果

的に単純に徴兵するよりは数は少ないが、練度の高い強固な兵団を早く作れる。

 幸い北昇一帯は豊かで人口も多い。漢嵩を変らず慕っているとは言え、誰もがこの地に愛着があり、壬

に対しても良い感情を持っている者も多い。防衛をするのならば、打って付けの軍隊が出来るだろう。

 そして義勇兵は数万も集まった。

 しかし勿論数だけではどうしようもない。それは以前ここに在った双(ソウ)と言う国が証明している。

双と言う国は大兵団を抱える国であったが、兵の練度も士気も低く、あっけない程簡単に滅びた国である。

その二の舞を起こすのでは意味が無い。

 とは言え、今までの壬のやり方をほとんどが軍事の素人である義勇兵にさせると言うのも酷であろう。

 壬の軍制の基礎は紫雲雷。つまり賦の精鋭主義と速度重視を濃厚に受け継いでいる。それだけにその兵

にも個々の能力が必要であり、将には精強な兵を自在に操れる天才的な軍事能力が求められた。その必要

からも、採用試験が厳しいものにされていたのだ。

 ようするに壬の軍制には、精強な軍隊が必要なのである。

 だからそれを今すぐ義勇兵達に求めるのは無理であろうし、そこまで鍛えるだけの時間があるかどうか

解らない。ならばどうするか。

 軍制自体を変えるしかない。

 今までのような能力相応の力を生み出せる、と言うものでは無く。誰でも使えばそれなりの力が出ると

言うものを考える必要があった。つまりは大雑把では無く、素人でも解りそうな単純明瞭な軍制に変える

必要があったのだ。

 そこで蒼愁を中心として頭を凝らし、各隊毎に装備を変え、個々の役割を持たせ、その為だけに特化し

て鍛えさせる法を生み出した。一方面に特化した兵ならば、鍛えるのはそれほど難しく無い。

 まず軍団を、大きく軽兵と重兵に分ける。軽兵は主に弓を持ち、武装も軽く動きやすくして、偵察や牽

制、支援攻撃を主とさせる。重兵は逆に重装備をさせ、槍や重鎧で防御力と攻撃力を高め、兵力を集中し、

軽兵でかき回した敵兵を力押しに叩き潰す決戦兵団とした。

 更に予備兵、遊撃兵として臨機応変に使う竜兵を置いた。竜兵の装備は軽重の中間とし、臨機応変にど

ちらでも対応出来るようにする。竜兵には特に軍事能力の高い兵を選ぶ事が望ましい。

 出来ればこれら全てを騎兵で作るのが望ましいのだが、何しろ馬が足りない。主力は歩兵とするしか無

かった。それだけが悔いであったが、これは仕方が無いだろう。

 しかしこうして単純明瞭にする事で、一人一人に自分の役割を認識させる事が出来、用兵も容易になり、

その能力は飛躍的に上がったと思われる。実戦経験が無いので、その戦力は未知数であるが、単純に以前

のままの軍制で使うよりはましであろう。

 そしてこの義勇兵団を、言わば半官半民の部隊であるとし、虎竜(コリュウ)と名付け、北昇方面の主

力兵団とした。

 壬王はこれを承認し、ここに新たな兵団が誕生した。

 現在も訓練に余念は無い。




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