1-5.殲滅作戦


 思う所は、願うのは、賦と言う国家の滅亡である。

 初めにそう述べられた。今更確認するまでも無い。これが賦国が勃興してからの、大陸人の悲願だった

からだ。単純に元奴隷だからと言う、感情的な問題だけでは無い。この国が大陸人にとって、紛れも無い

脅威であったからである。

 そして賦国がこの大陸に存在し続ける限り、その脅威は消える事は無いだろう。

 例えその力が薄れ、弱まったとしても、言って見れば元々最底辺から上り詰めて来た者達である。それ

を考えれば、どれ程警戒しても、警戒し足りると言う事は無かった。

 賦族の爆発力は比類の無い程強力なモノであろう。

 現に漢と凱の同盟軍が、先の戦では手痛く敗れている。

 漢嵩が諸将を集め、初めに目的をはっきりと述べたのは、自戒の為でもあり、諸将を戒める為であった

のかも知れない。漢軍はどうあれ、漢嵩自身は微塵も油断を帯びてはいないようであった。賦族を依然変

らず怖れている節がある。

 と言うよりも、漢嵩は賦族の力量を買っているのかも知れない。紫雲緋には尊敬の念すら持っているだ

ろう事も、想像に難くない。

 それに彼は先に同盟側が敗れた原因は、賦がどうこうよりもまず自軍に油断があり、慢心して賦族を侮

っていた事だと考えている。如何に連戦連勝を遂げて来たとは言え、それで漢兵が賦兵に勝るようになっ

たかと言えば、それはまた別の話である事を、不思議と解って居ない将兵が多かったのだと。

 簡単に言えば、皆舞い上がって居たのだ。いつのまにか自らが常勝不敗の軍勢だと、そんな風に思い初

めていた事に対し、まるで自戒の気持が欠けていた。都合の良い事を、自分に都合の良いように疑いもせ

ず信じ。敵側も自分達の都合通りに動いてくれるとまで考えていたのだろう。

 そんな愚かな考えを抱いた軍隊、いや人間が勝者になれるはずは無い。同盟軍は戦う前から負けていた

のだ。

 それを考えれば、先の一敗が良い教訓になったと言えるかも知れない。漢嵩が見る限り、ようやく兵達

が自分を取り戻し始めたように思えた。しかし負けた事によって当然士気は落ち、賦への恐怖が甦る程で

は無いにしろ、新たに怖れを抱き始める可能性もある。

 漢兵は決して強く無い。むしろ他国と比べれば弱いとさえ言える。その弱兵が勝てて来たのは、漢嵩の

指揮が大きく作用しているとは言え、最も大きな理由は兵達が勝つ事で自信を付けた事にある。

 その自信が揺らぎ、折角薄れた賦族への恐怖心を甦らせる事は非常に不味い。

 何でも一度躓(つまづ)いてからが勝負だと思えば、これからが正念場と言えよう。ここからが真の意

味での漢嵩の力の見せ所である。そしてここから盛り返す事が出来れば、漢兵は今まで以上に強くなり、

揺ぎ無く、しかも自分を見失わない、そんな強固な自信を持つ事が出来るだろう。

 そこで漢嵩は今までよりも、より綿密な作戦を立てる事にした。必勝の策を。

 作戦決定までに時間がかかった原因には、その事が大きく作用している。

 凱禅は一度は無用な気遣いだと一笑に伏したのだが、元々計画を立て、計画通りに運営する事が好きな

男であるので、結局はその方針に割合素直に従った。

 その作戦とは。

 第一に混成軍を避け、一国のみの軍隊を編成する事。その軍隊は各々に独立するが、決して総大将の命

に逆らう事は許されない。もし逆らえば厳罰と共に、後の論功行賞において、甚だしい減賞を処す。

 第二にいきなり決戦を強い、本拠を突く事はせず。行く先々の都市や拠点を一つ一つ制圧し、補給戦と

連絡路を確保する事を優先す。

 その過程でもし敵主力軍が襲来したならば、無理せず一時退き、味方の援軍を待ってから反撃に転ずる

事。数の上での優位を覆されない事を最優先とす。

 第三に敵主力軍並びに王都牙深から他の拠点、都市への糧道を断ち、主力軍を孤立させる事。

 敵軍は鋭意盛んであり、また強弩などの存在も脅威である。決してこちらから無理に決戦をしかけよう

とはせず、防戦に回り、敵の疲弊を待つ。然る後に大軍を集中させ、一気にこれを打ち破るとする。

 つまりは短慮せず、長期戦に持ちこむ事とす。

 第四に長期戦になるからには士気を保つべく、演習や訓練を欠かさぬ事。その為にも軍勢を二軍三軍に

分け、警備、訓練、休息、の役割を順々に回り持たせる事。

 物資の蓄えは常に過剰に見積もっても構わない。決して補給を閉ざすべからず、常に英気を満たせるべ

く、充分に将兵に分け与えよ。

 第五に総指揮権は漢嵩に在り、次点に凱禅、その次に楓仁が来るとす。 

 第六に漢は北部と西部、凱は南部、壬は東部を受け持つとす。

 第七にあくまで三国の連携を保つ事。一箇所が崩れば、全てが崩れ去ると覚悟せよ。

 第八に要所には守備要塞を建て、決死の覚悟で守る事。


 他にも細々と大将、部隊長、兵卒と分けて幾条もの命令が出たが、大雑把にまとめれば上記の八条にな

るだろうか。

 とにかく軽挙を避け、包囲網を完成させ、じわじわと首を締めるかのように、時間をかけて賦を確実に

滅ぼす腹のようだ。その慎重さに、大陸人の心中に在る、消えようの無い賦族への恐怖心を思わせる。

 三国ともこの作戦に同意し、長期包囲の為の補給計画や要塞建設の大まかな目標期間を立て始めた。

 壬にはまだ大軍を何ヶ月も派遣するような蓄えは無いので、これは漢から借り受ける事にしたようだ。

勿論戦功を上げれば、借りは帳消しになる。この点から言っても、篤実な壬兵達は真剣に戦うしか無いだ

ろう。彼らは受けた借りは必ず返す事を自らに強いる。

 そこには多少漢嵩の、いや漢の思惑が見え隠れしないでも無い。


 壬の黒竜は東へと進路を向けた。

 半分来た道を戻る事にもなるので、多少億劫に感じないでも無かったが。それはそれとして進軍を続け

る。補給物資は漢が受け持ってくれるから、気も多少は楽になったかもしれない。

 実際戦争と言っても、単純に敵軍と矛を交えるより、こう言った補給、戦前準備の方に多大な時間と労

力を消費する。戦場での光景が良くも悪くも派手だけに、余計地味に見えるのだが。補給と戦前準備こそ

が何よりも重要である。

 人の歴史の中で、およそ補給と準備を蔑(ないがし)ろにして、上手く行った例は無い。そう断言して

も良いくらいだ。

 物資の乏しい壬に至っては、これは建国前からの深刻な問題であった。であるから、食料確保などに余

計な体力と精神力を消費しないで済む事は、或いは窮地に援軍を得る以上に嬉しい事かもしれない。

 かと言って、実際に補給事務や輸送作業などは壬が担当する事は変らないから、依然多大な労力を強い

られる事は変らない。しかも漢との輸送路をも確保し続けなければならないから、そう言う点での仕事は

増えたと言えよう。

 国力寡少な国とは、まったくもって辛いものだ。

 勝ち負け以前に、冗談でなく物資不足で戦えない事態すらありうる。

「暫くは準備に追われる事だろう。今回もさほど急ぐ事は無いな」

 楓仁はそんな内情に反するかのように、今回も彼からすれば、のんびり、と言える速度で行軍していた。

 たまに良い景色を見つけては一休みしたり、訓練を兼ねて狩猟を行ったりと、その姿は悠々として平時

と変らないようにも見える。

 それは一つには、将兵に要らぬ緊張を与え、無駄に疲弊するのを避ける意味があるのだろう。大将の心

と言う物は兵に具(つぶさ)に伝染する。ゆったりとしていれば兵も気を楽にし、逆に張り詰めたように

していては、兵に落ち着きが無くなるものだ。

 黒双への行軍よりも、更に悠々として見えるのは、長期戦が決まったからだろうか。急ぐ理由も無いか

ら、実際楓仁の気は楽になっているのかもしれない。

 彼らが向う先は東河(トウカ)。大河、悠江(ユウコウ)には及ばないまでも、広々とした川幅にゆっ

たりと水を湛える、走波(ソウハ)と言う大河の側に造られた、川舟の集まる商都である。

 ただこの大河の水深はさほど深くは無く、そこかしこに岩礁が見え、昔は熟練した腕が無ければ沈没す

る事も多かったそうだ。その代わり荒れても高が知れており、多少波があっても皆突っ切って行く為、い

つの間にかこんな名前が付けられたのだろう。

 水深が浅い為、小さな舟が多く、専ら個人経営の商人か輸送業を生業とする船頭が集う地でもあった。

 最も、川舟の需要が高まるにつれ、寄付を募って土木工事を繰り返した事で、東河近くの水深は深くな

っており、今では座礁するような事は無くなっているようだ。

 東河で沈む舟は赤子か欲張り者だけよ、などと船頭の間で唄われる程である。

 ようするにこんなとこで沈むような奴は、舟の事など解らない赤子か、欲張って限界以上に積み過ぎた

舟だけだろう。とまあ、そう言う事であろう。

 勿論、工事した水域はさほど広くなく、東河から離れれば難所が続く。だが今では安全な航路が発見さ

れ、広く知られるようになっているから、昔ほど困難な道のりでは無い。

 そのおかげか、益々この商都は賑わっているらしい。

 東河は元々交易の拠点として商人達が、それも商家など持たない者達が集まり、それが次第に大きくな

ったと言う都市であり。都市と呼ばれるまでに大きくしたのも商人達が自力でやったもので、珍しく国が

造った都市では無い。

 その為か積極性に富み。共に助け合って大きくして来たと言う過去もあるから、義侠心も強くなり仲間

意識も強いようだ。更に利に聡く、合理的な都風であるが、決して約を違える事は無い。単に商人と言う

よりは、職人気質な大親分とでも言った方がその気質が解り易いかも知れない。

 当然、昔から自治意識が強い事でも有名である。

 今回この都市が連合軍に協力してくれるのも、賦を倒すと言う言わば大陸人の悲願を叶える為と。協力

する代わりに、戦勝国に所属はするが変らぬ自治を約束されたからである。壬が北守を属国とした時と、

少し状況が似ている。

 変らぬ、と言ったのは、賦に所属していた時も自治を認められていたからである。ある意味賦族と気質

が似通っているから、それを賦族が面白がってそのままにしていたとも考えられる。

 まあ、賦族はあまり商業には興味が無いように思えるから。商人達の扱いも解らず、さほど戦略的に重

要な拠点ではない為、そのまま捨て置かれた、と言った方が正確なのかも知れないのだが。

 どちらにしても壬軍には関係無く。

「さて、ここは一都市では無く、一国である。皆そのように心せよ」

 楓仁が将兵にそのように命じた事の方が、将兵達の間に後々まで印象に残ったようだ。 




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