2-1.贖(あがな)える刻


 賦が滅び、数月が経った。

 すでに夏も過ぎ、秋へと差し掛かろうとしている。

 風も少しずつ和らぎ、人々はそれなりに落ち着きを取り戻しているようであった。街は賑わい、笑みも

こぼれ、小康を祝っている。

 またすぐそこにまで戦乱の気配が漂いつつあるのを、まるで海奥の黒雲を果てに眺め見るように恐れな

がらも、今を精一杯に楽しんでいるようだ。

 漢、凱、壬、三国全ての戦後処理も終り、賦族はそれぞれの地へと連れて行かれた。彼らには当然不満

があるだろう。しかし素直に従っている。敗北した以上、彼らは決してその想いを口にする事は無い。

 いや、何を言う必要も無かった、と言うべきか。とにもかくにも紫雲緋(シウンヒ)の命は助かったの

である。不満はあれども、その一事だけで賦族は皆満足していた。

 そして彼らは身を捧げる事で賦族の心を救った、紅瀬蔚(コウライウツ)に対して感謝以外の心を持た

ず。漢に請うてまで、異例ながら、彼を祭る事を許してもらったようだ。

 とは言え、勿論碧嶺(ヘキレイ)のように大聖真君(タイセイシンクン)などと言う大仰な神名を与え

られる事は無い。碧嶺だけがこの世で今の所唯一人特別であり、彼以外の何者も、おそらくこの大陸を再

び統一でもしない限りは、決して神として祭られる事はあるまい。

 それ故、紅瀬蔚には護麗将(ゴレイショウ)と言う送り名が与えられた。

 麗しきを護る者。ようするに紫雲緋の守護者と言う意味だろう。神格化された訳でも無いのに、こう言

った送り名をする習慣は大陸人には無いようだから、おそらく賦族の古い風習か何かだろうか。

 ただ今までにこう言った事を大っぴらにしたと言う記録が賦族にも無い為、或いはこの時創り出された

風習、とも考えられる。それだけ紅瀬蔚への感謝の念が大きかったのだ、と言う証に残す為だと。

 わざわざ彼一個の為だけに、新しい風習(単純に神格化の縮小版と言えなくも無いにしても)を創る。

これ以上の名誉が他にどれだけあるだろうか。

 こうする事により、紅瀬蔚に対して賦族は皆感謝していたのだと、後世まで伝える事も出来るだろう。

 あの時の紅瀬蔚の取った方法は、人道的感情的に見れば良い事なのだろうが。戦略的戦術的に見たなら、

とても褒められた事では無い。どう言い繕っても、彼がやった事は命令違反でしか無く、降伏した罪は通

常ならば一生、いや永遠に免れ得ないだろう。

 だから逆に考えれば、その不名誉を消す為だけに、わざわざ護麗将などと言う大仰な名前を付ける事を

考えたのだ、とも推察出来る。

 どちらにしても、そこからは感謝と尊敬の念しか汲み取れない。紅瀬蔚も、きっと冥府で胸を撫で下ろ

している事だろう。

 この間の賦族の大きな動きと言うのは、それ一つくらいなもので、後は皆開拓者や鉱夫として懸命に働

いている。いざやるとなれば、手抜きをするような者は賦族にはいない。

 彼らに関しては、まずまず上手くいっていると言える。

 大きな動きがあったのはむしろ賦族では無く、戦勝国筆頭とも言える漢の方であった。

 その動きとは、他ならぬ王、漢嵩(カンスウ)の健康の事である。

 漢嵩は今まで命を削るようにして知恵と肉体を使い、様々な不可能事を為し遂げて来た。そして大陸人

達の悲願であった、賦国の滅亡をさえ達成した。

 しかしその代償である精神的負担や肉体的負担は計り知れず。賦国を滅ぼした頃から、おそらく張り詰

めていたものが解けたのだろう、目に見えて体調を崩し始めたのである。

 始めは戦続きの疲れであろうと、人々は心配しつつも危機感を持つまでには至らなかった。だが、一月、

二月と病に伏す姿が続くにつれ、これは違うのでは無いか、疲れなどでは無く、もっと重い病なのでは無

いか、と流石に皆気付き始めた。

 慌てて全土から医師薬師等、治療に携わる者で多少なりとも名の知れた者はほぼ全て呼ばれたのだが、

それでも漢嵩の容態が回復に向う事は無かった。大陸の誇る名医でさえ、病の進行を遅らせる程度が関の

山であり。数日後には、とうとうその名医でさえさじを投げてしまったらしい。

 今では余命幾許も無いと、大陸の誰もが知り得る程に広まっている。

 そうなると漢嵩への心配はまた別にして、関心は後へと向く。つまりは漢嵩の後継者である。

 この漢と言う国は漢嵩があってこそ成り立った国だと言えなくも無い。その漢嵩が死した後、果たして

どうなってしまうのだろうか。彼が大き過ぎる存在であっただけに、かえって国民の中には不安が募る。

 漢嵩が死しても、果たしてこの国は上手く治まるのだろうかと。

 何しろ彼には子が無い。夫人さえ居なかった。

 その人生の中で、関係した女性が居なかったとは思えないが。少なくとも公的な子や夫人は居ない。と

すれば、宰相の明節(ミョウセツ)か、或いは参謀長の央斉(オウサイ)が浮上するのだが。この二人が

あまり上手くいっていない事もまた、周知の事実である。

 そして武の柱である漢嵩が消えれば、間違い無く漢の軍勢は弱体化するだろう。

 確かに皆笑顔を享受してはいるが。漢の民の笑顔の裏には、拭いきれぬ不安があるようだ。もしかすれ

ば、その不安を払拭する為に、敢えて陽気に振舞い、笑顔を絶やさないのかも知れない。

 そして全ての民が、奇跡的な漢嵩の回復を願っているだろう事もまた、疑いようの無い事実であろう。

 勿論この大陸には、漢嵩の死を望む者が居る事もまた、疑いようの無い事実ではあったのだが。


 漢の民の祈りも虚しく、いよいよ漢嵩の病状は重くなった。

 聞く所によれば、意識不明に陥る事もしばしばらしい。

 これはいよいよ危ないかと言う気配が民の端々にまで満ち始め、漢嵩自身も何事か悟るモノがあったの

だろう。俄かに王位の継承を行う旨、各府へと達せられた。勿論国民へも大々的に報じられた。

 そして肝心の次の王であるが。漢嵩が候補として名を挙げたのは、明節であった。

 漢嵩が言うに。

「元々漢の前身である北守(ホクシュ)の国は、明節殿が収めていた北昇(ホクショウ)一帯から生まれ

た国であり。確かに私は武を任されていたが、政は全て宰相である明節殿が行っていた事である。

 つまり、この国は本来彼の治めるべき国なのだ。それを私が賦族を打倒し、この大陸を平穏へと戻す間、

その間だけ借り受けていたに過ぎない。

 これらを考えて見ても、明節殿以上に王に相応しい人物はおらず。私個人としても、才能人柄共に比類

無き人物であると考えている。よって私こと漢嵩は、明節を次の王へと推挙する」

 この言葉に万感の想いが込められていると言って良い。

 そして参謀長、央斉には特別に。

「思えば貴殿とは私が取るに足らない一兵卒であった頃からの、長い付き合いである。賦との戦い、賦へ

の投降、北守の誕生、そして漢へと、私の全てを共に歩み、僭越ながら私の半身と言いたいお方である。

その私の想いを、もし貴殿が少しでも汲んでいただけるのであれば、どうかこれからも漢の国にお仕えい

ただきたい。そしてどうか、どうかこの国を安らかに治めていただきたい。そして最後に、私が最後まで

職務を全う出来なかった事を、心からお詫び申し上げたい。真に、真にそれだけが、悔みきれぬ」

 やつれた身体を必死に使い、彼はか細い声で、途切れながらも長い長い言葉を伝えた。

 おそらく漢嵩としては様々に申し訳無かったに違いない。本来ならば央斉が王になってもおかしくなく、

間違い無く漢嵩亡き今、漢の武を背負って立つ人物でもある。

 漢嵩の教育も、将軍の育成まではまだ行き渡っておらず。単なる兵への命令者として、手足のように使

うならば充分に将軍達は使えるのだが。作戦立案、戦況に応じ臨機応援に対処するなどの重要な役割は、

おそらく今現在、この国では唯一央斉のみが行える。

 それ故、言ってみれば漢嵩が為し終えなかった事を、彼に押し付ける事にもなるが。それをどうか、ど

うか勘弁していただきたいと、そう言う風に漢嵩は言いたかったのであろう。

 この時の彼が、例え一語の言葉を話すだけでも、それだけでも命を削るような作業だったと思えば。一

体どれだけの想いが、あの長い言葉に込められていたかが解るだろうか。

 勿論王にさえ、次の王の任命権は無く。即位には国民の総意が必要なのだが、明節の功績は誰もが知る

所であるし、何より漢嵩の遺言でもあると思えば、これを拒否出来る者など、漢の国には誰一人いまい。

 この言葉が、実質上の王位継承式だったのである。

 こうして明節は国民の総意を受け、漢王となった。

「漢嵩様の名は、この国が在る限り未来永劫失われない。私と共に漢嵩様の志を継いで欲しい。この世に

揺るがぬ平和と、王の偉大なる志を布かん!」

 この決意の言葉と共に。


 明節が王座に就いた。

 この報も瞬く間に全土へと広まった。

 ほっとした者もいれば、余計な欲望を掻き立てた者もいただろう。しかし漢民や玄にも不満は無いよう

に見え、漢嵩が依然思わしく無い病状だとは言え、それなりに安定しているようだ。

 明節の行政能力は政の漢嵩とでも言うべき程で、その力量に不足を思う者も誰一人居なかった。

 心配されていた央斉との仲も、まずまず上手くいっているようである。もしかすれば、この二人は対等

に近い立場であった為に、上手く噛み合わなかっただけなのかも知れない。

 そう言う型の二人と言うのは、世の中にも多い。

 こうして万事穏やかに落ち着いたように見えたのだが、しかし明節自身は決して満足している訳では無

かった。

 彼としては、今まで漢嵩を第二の碧嶺にする事をのみ考えて生きて来たのである。それが半ば成ったと

思った矢先にこの事態、どう考えても納得出来るはずが無かった。

 表面上、王者の風を見せ、穏やかに善政を布いていたが。内心は常に雷雲のような不満で張り裂けそう

だったのだ。つまりは(他者から見れば)無用に焦っていた。

「こうなれば、せめて生きておられる間に、この世を全て差し上げなくては」

 そう、そんな彼にとって救いがあるとすれば、まだ漢嵩が存命していると言う事である。

「それにはまず凱に動いてもらわなければ・・・。予定を急ぐ事になるが、ようやく彼女を使う時が来た

ようだ。凱と壬、申し訳無いが、早々に滅びていただく」

 夢をむざむざ壊される訳にはいかない。明節はかねてからの想いを、今決意へと変えたのであった。 




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