2-5.欺きへの誘い


 参謀府からの調査報告、並びに独自に発している間諜達の報告、双方共に不穏な予想を証拠付ける。

 凱の軍勢が続々と壬方面へと配備され、武具や食料などの補給物資をも、最早隠す事もせず大々的に集

められているらしい。この現象が示すのは、ただ一つであろう。

 凱は前の戦でほとんど消耗していないだけに、現在戦争能力を一番高く保っているとも言える。そして

その戦争能力は、益々高まっているはずである。その力は凱の歴史を見ても、最も高い水準にあるかもし

れない。虎の助けが無くとも、おそらく一国で充分に戦をやれるだろう。

 だが壬にも自負がある。強大無比な賦族の猛攻でさえ、今まで撃退してきたのだ。凱の軍勢などに負け

る訳にはいかない。負けるはずがない。

 幸いにも凱程では無くても、紅瀬蔚が降伏を申し出た為、前の戦での壬の被害は少なかった。常と同じ

ように、防衛に徹すれば破られない自信はある。

 次将軍、法越は軍備を整え、自らの率いる五千の軍勢と共に、凱との再接近点である東砦へと急いだ。

 すでにいつ宣戦布告を出されても不思議は無く。凱が軍勢を壬方面へと集結させている事自体が、宣戦

布告であるととれない事も無い。そんな緊迫した事態である。こちらも先手先手を打っておいた方が良い。

 凱がいずれ攻め寄せるだろう事は予想していたが、こうも早々と仕掛けてくるとは、何か勝算あっての

事だろうか。それとも、早々と行う事で勝算が出て来るのか。

 確かに敵を疲弊している内に叩くのは、兵法の常道であるのだが。

「漢に力が戻らない内に、と言う事でございましょうな」

 法越は呟く。

 それに壬も遠征を行った事で、兵力はともかく、国力は大変疲労していた。漢に受け持ってもらった食

料、資材も少しずつ返していかなければならない。これには少なからざる苦労をしている。

 まあ、漢嵩は返す必要は無いとも言ったので、素直に受け取っておくと言う手もあるにはあった。

 漢としても後々の為に受けた恩を返しておきたく。いつ完済されるか解らないような物をいつまでも待

ってるよりは、いっそやってしまった方が良いと考えたのだろう。

 確かに壬の国力を考えれば、例え北昇一帯を得たとは言え、一年二年で返せるかどうか解らない。

 国土が広くなった分、兵数も多く持たねばならず。出費も同様に増える。単純に領土を得れば、それだ

け楽になると言うものでは無い。身のほどを弁(わきま)えねば、自ずから滅びる事になるのは、人とし

ても国としても変らないのだ。

 しかし壬としては黒曜鉄の鉱山を受け取っている事もあり、これ以上余剰の恩を受ける事は好ましくな

かった。結局は漢嵩の面目を立て、半分を恩返しとして受け取る事としたが。残り半分はきっちり返す事

を約束した。

 敢えて茨(いばら)Iの道を選ぶ事も、時には必要なのである。

「ただ我が国と漢の疲弊を考えても、凱禅にしては焦っているように思えます。あの男は要らないモノは

躊躇せず捨て去りますが、自分の持ち駒を無駄使いするような真似はしないはず。されば何か考えがある

のかと思えば、今回はそれもあるように見えず・・・。衝動的に進軍するとは、らしくございませんな」

 法越はいつも通りの丁寧な口調を保ちながら呟き、部下達にさりげなく問うた。

 部下達も彼の性格は良く解っており、こういう場合は常に何かしら言葉を用意しているものだが。今回

は上手く答えられず、黙り込む。彼らも同じように思っていたのだろう。らしくない、と。

「らしくなくても動く時は動きます。現に敵は戦の準備を整えてもおります。将軍、とにかく凱を撃退す

る事だけを考えましょう」

 伝令兵として常に法越の傍に居る兵の一人が威勢の良い声を上げたが、やはり法越は何処か納得がいか

ない様子であった。

 大体戦を行うにしても、それなりの準備段階があると言うものだ。

 壬と凱との間に限った事でなく。賦が建国されてからというもの、どの国も、賦以外の国と戦う事は皆

無に近かった。例え同盟している訳ではないとは言え、共同戦線も張ったし、お互いに共通の賦と言う敵

を前に、協力し合う構図が自然に出来上がっていた。

 そんな関係を無視出来るはずは無く、戦をするにも事前に外交と下準備を行うのが当たり前だろう。

 何かしら強引にでも起す理由を付けるのが、戦争というモノである。お互いに自国の主張を正義、正道

だと信じ。そう信じさせるからこそ、兵達も戦える。理由があるからこそ戦える、それが人間である。

 その底に欲望があろうと、純粋な正義感があろうと、愛国心があろうと、それは問題では無い。やる事

は皆同じであり、なまじそう言う純粋な感情があっても出来るからこそ、戦は罪深いとも言える。良心も

容易く殺せるからこそ、戦争は最も憎むべきモノなのである。

 人殺しに正道などある訳は無いはずであるのに、そうであるはずなのに罪悪感も良心も薄れてしまう。

戦争とは真に怖ろしい。そして戦争を駆り立て、それに反する他の一切の何もかもを押し潰す、集団の意

志と熱情とでも言うモノは、化物でないか、とさえ思わせられる。

 ただそんな戦でも、事前に何かしら理由付けさせる、と言う部分があるからまだ救いようがあると思え

なくも無い。例え子供のような思いからであっても、良心の呵責を覚える点、その点だけ冷静さが残り。

冷静さがあれば、振り上げた拳を、そっと下ろす事も不可能では無いはずだ。

 しかし今凱禅はそう言う事前の理由作りさえせず、通常の強引さ以上に強引に、発作的に戦を始めよう

としているように見える。それだけ凱禅一個の支配力が強まっているとも考えられるが、やはり何処かお

かしい。

 彼に常にあるはずの、計算高さと言う冷静さが感じられない。

 凱禅は利用出来るモノは全て利用してきた。だから芝居がかった演出も多いが、それをやるだけの意味

はあった。そういう男が、果たして衝動的に何かを行おうとするだろうか。そう言う衝動が湧いても、ひ

た隠しに隠し、己を欺いてでも周到に準備するのが凱禅では無いだろうか。

 どう転がっても自らに都合の良いように。そうするにはそれだけの手間と時間が必要なはずだ。

 それがまるで幼い子供のように目の前の餌に跳び付く。何故今だけ、これまでと違うのだろう。もしか

すれば、これは凱禅だけの意志では無いのではないだろうか。

「やはり何かしら裏があるような気がしますな」

 法越はどうにもその点が気にかかる。

 得意の策略を用いず、正面から挑んでくれるのであれば、それはそれで守る側は楽なのだが。どうして

もそこに不信感が残る。

 何処か知らない所で、我々は上手く動かされているのではないだろうか、と。 


 項弦は漢へと伝令を送った後、退屈そうな顔をして、王城を出た。

 いつもいつも参謀府に居たのでは息が詰まる。元々彼は同じ場所で毎日同じように延々と働くのが苦痛

だったから、わざわざ虎などと言う投機的な仕事に就いたのだ。

 苦労は多く、常に食べられると言う職種では無い為、死を覚悟して無茶も随分やった事がある。だがこ

の道を選んで後悔した事は無い。自分自身ですら自分の心がよく解らないような男だが、その気持だけは

おそらく確かだったろう。

 ようするに、彼は虎に向いていたのだ。

「ま、城勤めとあのお方の顔を拝見させていただくのも、後少しの辛抱だろうさ」

 正直言って、項弦は凱禅と、彼が作った今の凱の国が好きでは無い。憎悪とか言った暗い気持は無いが、

はっきり言って面白く無いのである。

 兵を消耗品としか思わず、人々の自由を縛り、ただ己の為だけに使役する。全てをとことん道具として

使いきる男、凱禅。そこに魅力が無い訳ではないが、面白みは一片も無い。面白いのはただ凱禅一人だけ

であるだろう。

 自分は凱禅に使われる為に生まれてきたのではない。そう叫びたい者が、この国には一体どれだけ居る

だろうか。だがそれももうすぐの事だ。そしてこの退屈さもその時までの事だ。

「そうだ、もうすぐの事。すでに計画は成っている」

 しかし項弦は詰まらなそうに呟く。

 彼にとって出来上がるまでが楽しみであり、腕の見せ所であって、出来上がってしまった物には途端に

興味が失せる。純粋な仕事人とでも言えるのだろうか、項弦にはそう言う所がある。

 だからこそ何処か冷めて見えるのかも知れない。

 何故ならば、多くの人間は出来上がった時にこそ興奮するものだからだ。どれだけ素晴らしいモノであ

っても、今そこに無い物には人間は大した興味を注がない。それが自らに関係なく、また興味も持ってい

ないモノであれば、尚更無関心である。

 誰かが創るのを待ち、出来上がってから一緒に騒ぎ、他の物が出来上がれば今度はそっちで騒ぐ。人と

は怖ろしく飽きっぽい心を持ち、本来あまり執着心の無い生物なのかもしれない。

 しかしそれはあくまでも待つ方の側の人間であり。項弦のように創り出す側の人間は、大抵その過程を

こそ楽しむ者が多い。そしてその過程に騒ぎ、今そこに無い物に喜びを見出す事が出来る。

 今日でも同様で、それを生み出す事しか考えない研究者は多い。その良い部分にだけ目を向け、誰にで

も容易に想像出来そうな悪用法、或いは自らの情熱に水を差すような危険は敢えて無視し。後に当然のよ

うに、こんな事になるとは思わなかった、などと独創性の無い発言をする。

 研究と開発、自分の目標のみに目を向け、その周りにも後にも目を向けようとは考えない。そう言う人

間も、考えてみればとても怖ろしい。情熱とは果たして良いものなのかどうか。

 ともかく、項弦は他の多くの者と熱する時期が違う。だから彼が情熱を注いでいるモノには、ほとんど

誰も注意を払う者は無く。それを理解も出来ず。出来上がって彼が興味を失った時に、皆が初めて熱く騒

ぎ出す。或いは賞賛し、ほくそ笑む。

 だが当然項弦は他の人間が何を嬉しがっているのか解らない。他の人間も当事者のくせに一人だけ冷め

ている彼の事が解らない。

 そんな風では異端者と思われても仕方があるまい。常に冷めている人間などは居ないが、見ようによっ

てはそう見える事がある。

 だが今の項弦は、それほど冷めてはいなかった。

 何故ならば、彼に初めて生涯の目的(夢と言い換えてもいい)、つまり待つ喜びとでも言うモノを与え

てくれた者が居たからだ。

 今まで他者の思惑に使われ、その仕事の過程にしか楽しみを見出せなかった項弦に。後の騒ぎを冷めた

目で見詰めるしか無かった彼に。彼自身の目的と目標を与える事で、初めて自らの行いだけでなく、その

結果と行く末にも喜びを見出させた男。

 項弦を同志とし、仲間とした男。

 その男が居る限り、彼も共に夢を見続ける事が出来よう。

 その男と道を共にすれば、共に騒ぎ、喜びを分ち合える。それは李穿(リセン)のような信用出来る存

在とはまた違う、言うなれば、魂の同盟者である。勿論、それは凱禅や明節のような形ばかりの主人の事

では無い。

「明節の計は成った。だが、それだけの事。何事も最後はあるべき所に行き着くだけさ」

 項弦は初めて自らの為した結果を、少しだけだが楽しんだ。   




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